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かぐや姫は地球に行きたい 1-15

 今や、あんなに願っていた薬の分析の手を止め、姫は研究室の床に、若君と向き合って座り込んだ。ここで椅子やお茶などを用意し、対話の雰囲気を仕立てあげようものなら、姫の気はたちまち移ろい、若君の話などどうでもよくなる。そんな姫の性質を熟知して、2人を見守るただの壁になりきれるところに、ロダの侍女としての有能さが現れている。

「私は……姫様に救われました。姫様のおかげで、今の私があるのです。姫様はきっと、覚えておられないでしょうけれども――」
「うん、何か知らないけど覚えてないわね。だって、あなたが誰かも分からないもの。もう少し、端的に話してくれない?」

 若君の言葉を遮って文句を言う姫に、ロダは「ああ姫様、情緒を」と、頭を抱える。ロダは、というより恐らく宮廷の誰も、若君の自分語りを聞いたことはないだろう。初めて明かされる、若君の本心なのだ。初めての自分語りなんて、下手すぎて聞けたものではないと相場が決まっているけれど、どうにか最後まで聞き切ってほしいと、ロダは横で願わずにはいられない。

「幼い頃、姫様は私に、自分の意志で決めるということを教えてくださいました。『操り人形になるな』と言ってくださった。その時から私は、姫様と一緒にいたいという私の意志を、貫こうと決意しました」

 自分語りの定番、ぼやけた昔話を始める若君に、ロダは駆け寄って「姫様、この方は五つの頃に定められた許婚です」とまずもっての情報を伝えたかったし、若君の話を引き出す聞き手になりたくてたまらなかった。だが、姫は眉をひそめつつも、一応まだ聞く体勢にあるので、ここはグッと堪える。

「同時に、何より姫様の意志を、お気持ちを大切にしたかった。姫様が望まないなら、身を引くべきだと何度も思いました。でも、いくら姫様のためといえど、どうしても私は自分の意志を曲げれなくて。レオになんて到底譲れなくて」
「レオ」

 寄せていた姫の眉間の皺が、オウム返しにしたその名と同時にパッと消える。姫のこの反応は、ずっと分からない話の中で、ようやく自分の知っている単語を見つけたというだけのものだから、どうか若君は何も誤解しないでほしいと願うばかりのロダ。数秒の間、若君は下を向き、それから真剣な眼差しで姫を見つめた。

「覚えてくださらなくて構いません。ただ私が、あなたと一緒にいたい。あなたの命が尽きる時に共に果てたい。あなたが永遠に生きたいのなら、たとえ地球に落ちることになっても共に生きます」

 プロポーズとも取れるその言葉に、ロダは若君のこれまでの思いを察して、むせび泣きそうになるが、肝心の姫は全く表情を変えない。ただ「そう」と、2文字だけを声に出す。

「姫様のお気持ちを、意志を聞かせていただきたいのです。姫様は永遠に生きることをお望みですか?」

 続けて聞いた若君の問いに、ようやく姫は表情筋を動かして口角を上げると、おもむろに立ち上がる。

「そんなこと望んでないわ。多少、興味はあるけど、これを飲む気なんて、さらさら」

 並んでいた茶色い小瓶の中から、躊躇わずに1つを手に取った姫は、それを愛おしげに眺める。それから、理解するところは理解していたのか、呆れ顔を作って若君へと視線を移した。

「それにしてもあなた、良かったわね。衝動的に飲んだのが痺れ薬で。私が不老不死の薬を飲んだと思って、自分も飲もうとしたんでしょ?」

「大変な思い違いだったようで……申し訳ございません。てっきり、いつものように薬の効果をご自身でお試しになるおつもりかと」

 そんなようなことを、さっきも誰かに言われた気がしてならない姫は、薬の入った小瓶を手のひらで転がしながら考えを巡らす。

「……どう思う? 父上は分かってくれるかしら?」

 父親である月の王は、不老不死の薬を盗んでも飲んではいないという事態をどう対処するのか、姫には読めなかった。姫が分からないのであれば、無論、若君には見当もつかない。

「私には判断はできかねますが……陛下は姫様のされることに寛大であられます」
「そうよね、許してくれるよね!」
「ですが、それは全て、姫様の興味を時止め人から逸らすためだったように思います。それがいざ、時止めのこととなると……どうでしょう」

 1度顔を綻ばせた姫に、容赦なく言葉を続ける若君は、自分語りをしたことにより、何かのブレーキがどこかに消え去ったらしい。そんな若君に、姫は気を悪くすることなく、むしろ面白がるように笑った。

「あらやだ、怖いこと言うわね」

 姫が若君との会話を楽しんでいる。その事実に、込み上げてくるものがあるロダは、声を堪えて涙した。

「よし、じゃあ、あなたから父上に聞いてみてよ」

 いたって軽く、にこやかに提案する姫に、若君は驚いて腰を浮かす。

「それは……今夜の件を、陛下にご報告してもよいということでしょうか」
「ええ。いろいろと派手にやったから、どうせ言わなくてもすぐにバレるもの。自白して減刑を図るのよ」

 自白と言うならば、自分で行くべきではないかと思いつつも、てっきり記憶消去か監禁か、何らかの方法で口封じをされると覚悟していた若君は、すぐさま承知して立ち上がる。

「姫様が地球に下ることとなれば、その時は私もご一緒しますから」

 一礼と共に、姫が許されない前提のそんな決意を告げれば、姫は何かを思い出したかのように「あっ」と、声を上げた。

「じゃあ、ロダと3人で、地球で暮らせるのね」

 楽しそうな姫に指し示された壁際のロダは「とんでもない、私は辞退しますので」と、主に若君に向けて、全力で首を横に振った。

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