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かぐや姫は地球に行きたい 1-10

 「えーっと。あれよ。月の法律全書」

 抗うことなどできるわけもなく、自分の顔認証を使って姫と宮廷図書に入ってきた若君は、ようやく拘束から解放された。本の配置は覚えているらしい姫は、立ち並ぶ書棚の上方の一角を指さしている。自分からさっさと離れていったその姿に、なんとなくの物寂しさを感じていた若君だったが、姫が本棚をよじ登りだすのを見て、センチメンタルな感情など、どこかへ吹き飛んでいった。

「姫様っ!? 何を!?」

 駆け寄って心配すれば、姫は「そんなことも分からないのか」と言いたげな表情になる。

「ハシゴがないなら、棚を直接登ればいいじゃない」

 まさにお嬢様の口調で答えつつ、本棚の1段目に乗っている姫に「どこの野生児ですか」と、若君は心中ツッコまざるをえない。「危ないです。降りましょう」と、若君が何度宥めようと姫は降りない。だが、3段目に足をかけたその時、棚が「ミシッ」と、よくない音を発したのを聞いた姫は、そそくさと降りてきた。

「子どもの頃は、これで全部取れたのよ? 老朽化が原因ね」

 不満そうに言う姫に「お目付け役はそれを許していたのか」と、若君は激しく疑問に思った。

「さて、棚に登れないとなると、肩車ね。ねえ、自称婚約者?」

 小首を傾げ、若君を見つめる姫。

「……はい」
「上と下、どっちがいい?」
「は?」
「だから、肩車。あなたが土台になる? それとも本を取ってくれる?」
「……は? あの、それは、私が本を取るとすると、私は姫様に肩車していただくということになりません?」
「ええ、そうだけど」

 またもや「そんなことも分からないのか」と言いたげな顔をしている姫。若君は「どこのレスリング選手ですか」と、地球から送られてきた霊長類最強の女子の資料を思い出し、心中ツッコまざるをえなかった。

「あの、大変申し上げにくいのですが、もう少し、普通に取りませんか?」

 若君の提案に、姫は眉をひそめる。

「普通って何よ?」
「え……あの、この本棚って昇降式で、端のハンドルを回すと、上半分が手前に降りて……」

 説明の途中で、目をまん丸にして息を飲んだような顔になった姫に、若君は勘づく。

「もしや、ご存知なかったのですか?」
「父上も、教育係も、使用人も、誰1人教えてくれなかったわ! 意地の悪い!」

 若君を押しのけ、叫ぶように問いに答えながら、本棚の端に向かって走る姫。その姿を見て、誰1人、姫に本棚の使い方を教えなかったのは、1日中、本を読み漁る姫への些細な抵抗だったのだろうと、すぐに察した。

「あ、ハンドル重いので、人を呼びましょう」

 若君が声を飛ばしたその瞬間には「ガコンッ」と、本棚が動き出している。初めて触るはずなのに、いとも簡単にハンドルを回す姫を見て、若君は「肩車してもらった方がよかったのかな」と、少し後悔した。それから、読ませたくなかった本を、本棚に登って取られるのを見ていた、お目付け役たちの気分を追体験していた。

「よしっ、これね」

 手のひらほどある厚みの本を抱えた姫は、そのまま若君へとパス。若君をブックスタンド代わりに、ペラペラと紙をめくっていく。酸っぱさのある紙とインクの匂いが、若君の方にも漂ってくる。

「ここね。ほら、書いてある。時止人って」

 すぐに目当ての場所を開けたらしい姫が、丁寧に指をさして若君に教えるものの、残念ながら、反対側から見ている若君にはよく分からない。

「国の認可を受けた者、時止人となれり。国の定めを犯した時止人、苦しみの地に追放されり。以下、時止人になれぬもの。王族、子を成した者、自己決定権のない者」

 姫が法を朗読する間、極力表情を消す若君。最早、姫の好奇心は抑えられないところまできた。だが、自分の口から情報を漏らすわけにはいかないと、若君は口を固く結ぶ。

「小さい頃は、読んでもよく分からなかったから、記憶の奥底に沈めてたのね。でも、さっき急にこの法を思い出して。……あの画家は、時を止めた。本当にこの月には時止人……時を止めて、不老不死になった人がいるのね?」

 自分をしっかり見据えてくる姫の目に、若君は何も声を発せない。少しでも声を出したら、喉の奥から何もかも引っ張り出されてしまうような、そんな恐ろしさを感じた。
 姫は若君の頬に向かって手を伸ばす。

「あなた、不老不死になる方法、知ってるの?」

 婚約した2人が、見つめ合い、顔を近づけ、頬と首筋に手が触れる。

 だがそこに、ロマンチックさは欠片もない。若君は、首にナイフを突きつけられた気分を味わっていたし、姫にいたっては、若君の瞳孔や脈拍の変化から、真実を見極めようとしていた。

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