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かぐや姫は地球に行きたい 2-9

 最後に拝謁したのは帝が十になる前だったので、その頃よりはるかに成長した姿に、おばあさんは目を細めた。先帝の崩御の間際に誕生したこの男子は、先帝の忘れ形見として異常なまでに大切に育てられ、その一端をおばあさんも担っていた。

「内裏が日々穏やかなのは、そなたのおかげだと、いつも母が申していてな」

 板の間にもかかわらず、足を投げ出してくつろぐ帝の横、正座をして控えているおじいさんとおばあさん。もちろん、部屋を整えようとしたのだが、帝がそれを待たず、勝手に座り込んで、勝手に思い出話を始めたのである(まずもって一般民家が、帝用に部屋を整えるなどできるわけもなかったが)。

「私は何も。ひとえにお上のお力によりましょう」

 おばあさんが平伏して言えば、帝は「いやいやいや」と笑う。

「都に限らず、北から南まで津々浦々、この国から不穏分子を取り除くなど、並大抵のことではない」
「……それが家業でしたので」

 おばあさんが口にした「家業」に、横にいたおじいさんはピクリと肩を揺らした。

「ただ、今の任には一体いつまでかかっているのやら。一筋縄ではいかないから、宮を出て民に化けて取り入るなどと申してから、もう30年近く。すっかり歳をとって。そんなに難しい相手なのか?」

 帝の言葉に、おばあさんは目だけで隣を伺い見る。一筋縄ではいかないので結婚して取り入った相手は、居心地の悪さと誇らしさを器用に混ぜた表情をしていて、自慢話でもしたいのか、口をモゴモゴと動かしていた。

「いえ、お上の命とあらば、今すぐにでも片付けてご覧にいれましょう」

 あっさりとおばあさんが言えば、おじいさんは「そなの!?」と目をむき、首が折れる勢いでおばあさんを見た。その様子に帝は「ははっ」と、楽しげな笑い声を漏らす。

「朕の元に戻る気などないくせに。そなたは、助け出してくれる者に出会えて良かったの。全く、羨ましい」
「帝ともあらせられる方が、このただの老婆を羨むなど、あってはなりません」

 静かな目をして、やや不満げに呟く帝に、昔の面影を見たおばあさんが軽く窘めれば、帝は一層不満をあらわにした。

「帝になど、なりたくなかった。訳の分からぬうちから座らされ、決まりきった言葉を言わされ、己とは何なのかさっぱり分からぬ」
「この天下を治める支配者であられましょうよ」
「皆が口を揃えてそう言うが、今だって分かってはおらぬ。周りが何もかも世話を焼くから、一人では何もできぬ。良からぬ者はそちが全部取り除いてしまったから、人を疑うことも知らぬ。下々の子どもの方が余程マシであろう」

 駄々をこねる子どものように「嫌だ嫌だ」と、首を振る帝に、面影どころではなく昔を思い出したおばあさんは、軽い目眩を覚えた。この帝、過保護に育てられたせいか、元々の性格のせいなのか、どうにも気が小さい。頼りないことしか言わなかった幼い頃から何も変わっていない。先程まで随分と成長して見えたのは、帝なりに、らしくあろうと振舞っていただけなのだろう。こんなんで大丈夫なのだろうかと、宮中を憂いておばあさんがため息をついたその時だった。

「さっきから聞いてれば、うじうじグダグダうじうじグダグダと! 全部周りのせいにして、何もかもやらされて自分は生きていると思ってるんでしょ!」

 髪を振り乱し、帝を指さし、厳しい口調で責めたてるのは、目の下にクマがあっても美しいかぐや姫だった。その手には1枚の文を持っている。

「自分の意志もなく、周りに振り回される人間の生涯は、苦しくてつまらないのよ!」

 突然の出来事に圧倒されたかのように、ボーッとかぐや姫を見る帝に、なおもかぐや姫が言い放ったところで、おばあさんはかぐや姫に素早く膝カックンをお見舞いする。

「帝にあられますよ。控えなさい」

 おばあさんに鋭く命じられた時には既に、かぐや姫は膝から崩れ落ち、平伏していた。ひれ伏しながらかぐや姫は眉をひそめ、首を傾げる。

「なんかこんなこと、前にもなかったっけ……?」

 既視感のようなものを感じたかぐや姫は、その正体を見極めようとするものの、さっぱり分からないので、あっさり諦める。

「そんなことより、これ、父上の文ですよね? 『俺ってカッチョイイ』しか内容がない」

 さくっと帝の前から立ち上がり、おじいさんに文を持っていくかぐや姫に、おばあさんは重めの目眩がした。帝に必死に詫びるが、依然として帝は呆けたままである。

「この風流さが読めんとはまだまだじゃな」
「やっぱり父上のだ!」

 急に黙り込んだ帝の存在はお構いなしに、ラブレター談義を始めているおじいさんとかぐや姫。

「今それどころじゃないでしょ」

 帝の手前、おばあさんが小声で窘めていれば、ようやく帝が口を開いた。

「まことに……美しいの。これほど美しい女子は見たことがない。姫は口実のつもりだったが……うむ。そなたが戻ってこぬと言うなら、姫に来てもらうしかないの」

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