見出し画像

かぐや姫は地球に行きたい 1-12

 謁見を仕切っていた教育係は、姫を前にした有識者たちが、次々と顔を強ばらせていく様に、頭を抱えていた。

「あなたは時止め人?」

 宮廷が総力を上げて姫に隠し通していた時止め人の存在を、姫自身が口にするのだから、そりゃあどんな顔していいのか分からない。恐る恐る「はい」と答えれば「採血させて」と、懐から注射器が出てくるし、「いいえ」と答えれば「なんで飲まないの?」と、怪訝な顔をされた挙句、比較のために結局採血される。誰もが顔をひきつらせずにはいられない。

 もちろん、教育係自身も、いの一番に血を抜かれている。あらゆる知識と技術を持つ姫に、教育係がいる大きな理由は、姫に変なことをさせないためのお目付け役……だったはずだが、たかだか一教育係が、姫を止められるわけもない。

 さて、姫のいる部屋を後にする有識者たちがみんなして、具合の悪そうな顔で腕を押さえているのを見て、謁見の順番を待っていた首相は「今日は一体何をされるのか」と、震え上がっていた。

 ついに呼ばれた首相が目にしたものは、たくさんの血液サンプルと、それをうっとりと眺める姫。並の人間なら、それだけで踵を返しそうになるが、孫から事情は聞いていた首相は、全てを悟って前に出る。月の首相であり若君の祖父である自分の立場を、いつものように紹介するその前に、姫の方が口を開いた。

「あなたは、時止め人?」
「いいえ。私は子を持ちましたゆえ」

 そう言うと同時に、服の袖をまくって腕を差し出す首相は、姫のなんたるかをよく理解している。

「あー。そっちなら、もう十分。ついでに健康診断してほしいなら、やってあげるけど?」

 姫が新しい注射器を探り出すのを見た首相は、安堵の息を漏らすと、袖を戻しながら丁重に断る。

「健康診断は、かかりつけ医にお願いしておりますゆえ」
「そう、じゃあ、何用?」

 相変わらず集めた血液サンプルに気を取られつつ、姫が尋ねれば、首相は改めて姿勢を正して要件を述べる。

「私は月の政を担当しております。先日、姫様に分析いただいた景気情勢のレポートが、大変参考になりました。つきましては、今の情勢に有効な財政政策案をご教授願えないかと」

 首相の言葉に、姫は考え込むように数秒動きを止めた後、ニヤリと片側の口角を上げた。

「そう言って、あなた、つい先月も来てるわね?」
「……流石、姫様。覚えておいででしたか」
「私は、人の名前と顔は覚えていないけれど、どういう人とどんな話をしたかはおおよそ覚えてるのよ。私の提案した政策が、片っ端から実行されているようだし。……あなた、首相ね」

 このところ、最寄りの惑星である地球での物価高騰の煽りを受け、月でも景気が悪くなっていることに、首相は頭を悩ませていた。姫の助言をもってしても、景気はなかなか上を向かず、もちろん自分たちでは、にっちもさっちもいかず、しれっと二度目のアドバイスをもらいに来たのだった。
 姫は教育係に人払いを命じ、教育係自身も退室させると、やけに機嫌がよさそうに、奥から束になった書類を持ってくる。

「私の読みが甘かったみたいだから、次はこれを試してどうなるか見てみたいってのはあるんだけどね……。でも、私を政に関わらせてることを知られたら、父上に怒られるわよ?」
「知られないように、人払いされたのでは?」

 ありがたく受け取る手を出しながら、首相が聞けば、姫は口先で軽く笑い「そうね」と、同意する。首相は手を出し続けているが、なぜだかいつまで経っても、その手には何の重みも加わらない。

「ねえ、お願いしたいことがあるの」

 紙の束を首相から隠すように持ち、そう小首を傾げた姫は、笑顔に見せかけた悪巧み顔をしていた。流石の首相も、姫のこの顔には恐れおののく。人払いしたのはこのため、いや、それよりもっと前、機嫌がよかったのも、ニヤリと笑ったのも、このためだったのかと、脳内警告音がボリュームマックスで響き渡る。

「私は何も加担できませんゆえ!」
「あら、誤解しないで。何も悪いことはお願いしないもの」
「いや、ですが……」
「最近、水の価格が高騰しているようね。ライフラインの不安定さは、あなたの支持率に如実に現れてくるわよね?」

 善意100%のにこやかな顔で、弱みに付け込んでくる姫。「うん」とも「すん」とも「ぐう」とも言えない首相。しばらく無言で対峙していたが、姫が途端に無表情になり「そう」と呟いた。

「あなたがいらないのなら、こんな紙切れ、暖炉にくれてやるわ」

 姫はわざわざ首相の横を通り、部屋の端にある暖炉に近づくと、紙の束を放り投げる。火の上に紙が着地するその前に、間に走り込んで書類をキャッチしてしまう首相。首相が肩で大きく息をしているのは、急激に体を動かしたせいか、満足そうな姫の笑顔のせいか。

「それで……私は何を」

 一つ唾を飲み込んだ首相は、義理の孫娘になる予定の彼女に向かって、震える声で尋ねた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?