仲間の厚さ

「仲間」ってなんだろう?

 最近その単語を口にする人が身の回りに何人かいて、その度に引っかかりを覚えている。気になっている時点で、自分が強い関心があるのは認める。ただ、それが自分にとってどういうものなのかまだ判然としない。

 1人の力に限界を感じ始めている。自分の上限はまだ見えないけれど、時間は有限で、やろうとしていることとできることの溝は広がる。
 組織で働く人の話は、愚痴もあれど、できることの規模は大きい。その姿に羨ましさを覚えてしまった。だから、仲間が欲しいと願った。
 ただ、誰でもいいわけではない。

「本田さんのファンなんですよ」

 つい数日前に冗談まじりにそう言った人がいた。好意で言ってくれたその言葉を喜ぶべきなんだろうけど、僕は素直に受け取れなかった。ファンとか信者とか一方的に自分を支えてくれるだけの人はいらない。
 きっとその存在は癖になるくらい甘美で、抜け出せなくなってしまうのだろうけれど、一方的な関係は嫌なんだ。お互いになるべく対等にやりとりできる関係性が心地良い。

 仲間とはそれに近い言葉だと思っている。
 1人1人を名のある個人として認識して、向き合っていく。それは本当に手間のかかる、効率とは縁遠い存在なんだけど、いざという時に頼りあえる。そういうものだ。

 ただ、「志を一緒にする」という耳障りの良い言葉で片づけたくないんだ。そんな一言で片づけられるような、薄い関係性じゃないと思うから。

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