欲しい言葉を自分にかける
誰かの言葉や生き様に救われた気になっているかもしれないけれど、それは一瞬の気休めに過ぎない。
「救われた」と何度も口にしている人がいて、一体その人は何度救われては、落とされているんだろう? 結局のところ、救いにはなっていないんだ。薬が切れたから、薬をもらいにいくようなもので、根本的な解決になっていない。
「これ、私がほしかった言葉だ」
ではその言ってほしかった言葉を、なぜ自分で自分に言えなかったのだろう?
そこにこそ問題の根は貼っているんじゃないだろうか?
だれかに言ってもらうまで待っていなければいけないならば、その待ち人がこなかったらただ打ちひしがれていくのだろうか。
天からの言葉に救いを求めるのではなく、自分自身に欲しい言葉をかけてあげられるようになればいい。他者から言ってもらわなければ満足できないならば、言ってくれとせがめばいい。
どうか、自分にできることをなくしてしまわないでほしい。
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