できたらやらずに、毎日やろうぞ
毎日やっている習慣がある。
・noteを書くこと
・ヨガをすること
この2つはもう年単位で続けている。noteは一時的に止めたこともあったが、止めることが続かなくて今も書いている。
ただ、以前はもっとたくさんの習慣があった。
・雨の日以外走ること
・らくだメソッド(数学プリント)をやる
・手書きのノートに思ったことを書く
細かいのも除いても、この3つはやっていた。今も続けているけれど、最近「毎日」はできていない。それが個人的に気にかかっている。
「できる時だけ」と「毎日」は全く意味が違う。
毎日とは、眠くても疲れていても、他にやるべきことがあったとしてもやるのだ。妥協が入り込む余地はなく、自分の意思とは関係なくやれるようになるためのプロセスだ。
できる時だけとは、余裕があったらやるのだ。その時点で、もう考えてやってしまっている。
毎日の習慣とは、言ってしまえば自分の思想を身体に反映する作業だと思う。
僕達が生きている世界は、どれだけ似ていても全く同じことは起きない。今起きていることも明日起きることも、初めて体験する出来事だ。
そう考えてみると、「前と同じように」行動することはできない。
だから、いつも即興で対応することになるわけだが、案外自分の思っているようには動けない。
言わなくていい一言を口にしたり、電車で困っていそうな人に席を譲れなかったり、早起きしようとして失敗したり。
どれだけ素晴らしい考えを持っていても、やっていることが食い違えば、違和感を与えてしまう。だから、考えるよりも早く動けるようにするために「毎日」の習慣が必要になる。
必ずしも、具体的に習慣と思想が繋がっていなくてもいい。だって、席を譲る練習なんてなかなかできないだろう。抽象的なところで、自分のやりたいことと繋がっていればいいのだ。
僕の場合、noteを書くことだって、自分の思っていることをなかなか言語化できないからやっている理由もある。それを重ねていくことで、人と関わるあらゆる場面で、なんとか自分の意見を言えるようになってくる。
そんなわけで、毎日やることが疎かになっているのは、好ましくない。
改めて、毎日やることはうやむやにせずに、やっていく。そうすれば、「できなかった」ことすらも一つの経験として、次に活かせるだろう。
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