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言葉のズレと共感幻想

だれかに伝えてもなかなか伝わらない、人の話をきちんと理解できない。 そうしたチグハグな会話の経験がだれしも一度くらいはがあるでしょう。

一説によると、人が仕事を辞める理由の9割は人間関係が含まれるのだそうです。正確さはさておき、その説が広まる程度には支持されています。

人間関係やコミュニケーションのズレは、多くの人にとって関心の高い話題であると言えます。

そうした言葉のズレと共感について、幅広く語られる対談本でした。

ズレをどのように見える化していくか

人間は、結局のところそのズレを見ることができない。だから、暗黙のうちにずれ続けてしまう。そのことに途方に暮れてしまう。

天気の判断基準は気象庁が定めるところによると「快晴がくもの量が1割以下。晴れは、2割以上8割以下。くもりは、9割以上」だそうです。
しかし、人間が空を見上げて定量的に観測できるものではなく、個人の感覚によって異なる場合があります。つまり、たとえ定義があったとしても、ズレが起こらないわけではありません。

僕らは、ズレ続けている。そういう感覚は強くあります。

ただ、なぜか僕は気楽に捉えていた部分がありました。
それでも人と人とは言葉を交わしていくうちに関係性を深めていけるだろう、と。

しかし、本書を読んで僕の中での認識は変わりました。 同じ言葉でも認識にズレがあるのだとしたら、コミュニケーションは重ねれば重ねるほど、ズレていってしまう。 なにもせずに放っておいたら、コミュニケーションは破綻するような仕組みになっているのかもしれない。だからこそ、他者と擦り合わせる確認や対話という作業が必要になってくるのでしょう。

本書では具体と抽象やダブリング、折り曲げて考えるなどといったいくつかの物事の捉え方が示されていますが、見えないズレをなんとか見える化していこうという試みに思えました。

返済ではなく、貯蓄はできないか?

人類はずっとマイナスをゼロにして、苦しみを減らすことで幸せになろうとしてきました。

『言葉のズレと共感幻想(細谷功、佐渡島康平)』(P109)

コミュニケーションがズレ続けるものだと仮定したら、僕達が行う良質なコミュニケーションとはズレを直す、つまりマイナスをゼロにする返済作業になります。

そうなると失われた健康を取り戻すという病気の治療と同じで、まずなにかを喪失するか、不足した状態からスタートしなければいけなくなります。なんだか釈然としません。

そのゼロをもうちょっとプラスの方向に進めていくにはどうすればいいのだろうか?

今の僕には、それらしい答えが思いつきません。

ただ、考えてみた結果ふとマイナスとかプラスという発想は、連続的な世界における発想なのかもしれないと思いました。
「昨日は悪かった。明日は良くする」という地続きの人生の中で、その収支をプラスに持っていこうとする。 あくまでもなにかとの比較によって成立します。
よりプラスを考え始めると、際限なく駆り立てられることになるのかもしれない。それなら、マイナスをゼロにするというゴールが決まっている状態の方がマシなのかもしれない。

一方で、僕はもちろんコミュニケーションの相手も明日生きているとは限らない。どれだけ貯めていっても、明日は存在しないのかもしれない。それなら返済や貯蓄という発想はそもそも意味がないことになります。

そういう連続の世界から切り離してみると、「今」が浮かび上がってきます。
今やりとりしている1つ1つの言葉や話題、出来事について生じたズレを淡々と直す。
一見すると、それは連続しているように見えるかもしれないけれど、瞬間瞬間で完結していると考えれば、余計な意味づけもせずにズレそのものと向き合えるのでしょう。

非常に面白い本でした。
これをまたいろんな人と一緒に読んでも楽しいかもしれません。

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