勝手に美談にしないで
人知れず貢献する人がいます。
カラスが散らかした道端の生ゴミを掃除したり、印刷機の紙が足りなくなったら入れてくれたり。
僕はそういう人を見つけたいし、感謝したいと思っています。たまたまネットで同じようなことを言っている人がいて、けれどその人は「たくさん褒めたい」と言っていました。
そこに強烈な違和感を覚えました。
なんで褒められなくちゃいけないんだろう?
だれに気づかれるでもなくやっている人が、まさか褒められることを求めていると思っているのだろうか?
子どもへの「えらいね」や大人への「あなたの行いは素晴らしい」と称賛する行為には、その褒める人の解釈が混じっています。「(みんなのために動けて)素晴らしい」と。
そう言われた人は、本人はそう思っていなかったとしても、その価値観の枠に押し込められてしまいます。てらいなくできていた善行が、突如押し付けられた動機「みんなのため」に、やらざるを得なくなる。
そうなった瞬間、主体性はなくなり、義務と自己犠牲になってしまいます。
なぜ、個人の行動を美談にしたがるのでしょう?
なんとなくやっていた行動が、結果的に全体のためになっていた。それで良いと思います。
気づいたら「ありがとう」と一言伝えれば、きっと十分なんです。
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