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寺子屋塾休会に添えての振り返り

愛知県名古屋市中村区には、仙人のような人ーー井上淳之典さんがやっている「寺子屋塾」という場所が存在します。「セルフデザインスクール」や「教えない教育」と言ったキーワードで語られるその場は非常に形容しがたい場になります。やっていることといえば、子どもも大人も変わらずプリント学習をやっているのです。

僕はその寺子屋塾に約8年半にわたって通ってきました。この度、寺子屋塾を休会することになりました。

主な理由としては、引っ越しによって定期的に通うのが難しくなったためです。通信という選択もあるのですが、自分の中ではその空間に行くことがとても大きな意味があるため、それが果たせないのであれば、休会しようと決断しました。

それにあたって、振り返りを書いておこうと思いました。意図としては、2つあります。

  1. 自分自身の振り返りのため

  2. 今必要としている人に届けるため

区切りのタイミングで1度全てを振り返っておくことは、次へと進むために非常に重要なプロセスです。

そして、この記事によって寺子屋塾を必要としている人に届けば良いと思いました。

それはどんな人であるか?

具体的に「◯◯な人」と属性を挙げることは非常に難しいのですが、もしこの文章を読んで心を動かされた人がいるならば、あなたです。

僕が塾生として1人いなくなるということは、そこに入る余地が生まれるということです。

というわけで、必要な人に届きますように。

なぜ僕は寺子屋塾に入ったのか

僕が入塾したのは、寺子屋塾が元々あった三重県の桑名から名古屋市の中村区に移転してきたタイミングでした。たまたま出会った友人にワークショップに誘われ、訳もわからぬまま行った先での講師が井上さんでした。

その話ぶりに関心を持って、翌週には寺子屋塾に足を運びました。

当時の僕は、よくわからない息苦しさを感じていました。

珍しくもない話ですが、他者とのコミュニケーションに苦手意識があり、人の目を見て話すことがやっという人でした。やりたいと思っていた仕事を始めたものの、競合の多さや業界の現実を目の当たりにして、葛藤を感じていました。

そんな未来を描くのが難しい状況の中で、小手先のノウハウを仕入れてもすぐに役に立ちません。もっと根本的な部分から見つめ直す方法はないだろうか?

寺子屋塾がその願いを叶えてくれる確信はなく、どちかといえば「なんとかなってくれ」と祈りにも似た気持ちが強かったです。

なんにせよ、その行動を選んだ自分を褒めてあげたいです。もし寺子屋塾に入っていなければ、今の僕は酷い状況だったでしょう。

インタビューゲーム:量の質的転換

寺子屋塾を語る上でインタビューゲームは、避けては通れません。一言で説明すると、2人1組になってインタビューしあう非常にシンプルなコミュニケーションゲームです。

僕は「100人やったら人生変わるよ」と井上さんに言われて、それを目指すことにしました。詳しくは専用のマガジンがあるのでそちらで読んでください。

現段階で手元で記録に残っている人数は72人ですが、同じ人と複数回やったり、換算していないものもあったりするので、おそらく実施した回数でいえば100回は既に超えています。

その量的な体験は、僕の人生を間違いなく変えてくれました。

単に場数をこなしてコミュニケーション能力が上がった、という話ではありません。苦手意識とか得意不得意などといったものは、量的な体験によってある程度解決することが実感したことが大きいのです。

少し見方を変えれば、本当の意味で向き不向きを判断するためには、「インタビューゲームを100人とやる」くらいの量的な体験が必要なのです。数人とやって、「自分はダメだ」と嘆くのは見切りが早すぎます。

そもそも量が足りない。

その前提に立ってみると、「才能」や「性格的に向かない」などの便利な言い訳が通じなくなります。一方で希望もあります。量の問題なのであれば、なにをすればいいか明確で悩む余地はありません。新しいことへ取り組むハードルが下がり、上手くいかないことへの抵抗感が減りました。

自称人見知りで、話題が見つからなくて沈黙してしまっていた僕が、今や人前に立つ仕事もしています。量的な経験によってある程度は慣れました。

実際のところは、言うほど行動力があるわけではないのですが、以前よりも確実に軽やかに動けるようになりました。

ごちゃごちゃ言ってないでやるしかない。

どうせやればできるようになるんだから。

自分の体験から生まれた言葉は疑いようがありません。それをお守りに生きています。

ファシリテーター:0から1へのきっかけ

寺子屋塾は「セルフデザインスクール」と銘打っていることがあり、それぞれが自分の課題と向き合うことになります。それは夏休みの自由研究に近いのかもしれません。

なにか強制されているわけではありませんが、仕事や学業など生活場面で自分の関心のあることに取り組み、そこで得た体験を寺子屋塾で井上さんや他の塾生と対話をする。そんな何気ないやりとりが、凝り固まった自分の思考の枠組みを揺らがせ、ずらしていったのだと思います。

僕の大きな関心事の1つとして、ファシリテーターがあります。ファシリテーターとは、異なる生活環境や思想を持った人達が集まってともに行う活動を促進する人とでもいいましょうか。

最近は社会的にも認知されるようになり、活動する領域も広がり、多少解釈や立ち位置も異なります。

寺子屋塾に入る前から、僕はファシリテーターに関心を持っていました。講座やワークショップに何度も学びに行っていました。

しかし、学びと練習と実践は別物です。いざファシリテーターとして活動したいと思っても、その実践の機会はほとんどありませんでした。ただでさえ医者や弁護士のような人々とは異なり、なにをするかわかりづらい役割である上に、経験も実績もない僕に開かれている場所はなかったのです。

その経験の場を最初に与えてくれたのが、井上さんでした。

寺子屋塾で定期的に開催されていたインタビューゲーム会のファシリテーターを任せてもらいました。0だったものが1になれば、あとは増やしていくだけです。小さい経験を重ねていくうちに、お仕事も紹介していただけるようになり、今では自分の収入源の1つになってきています。

自分で企画した読書会も開催するようになりました。最近はありがたいことに毎回満席になっていまして、人がつどいたくなる場が作れるようになってきたのかもなと少し自惚れています。

他者との関係性の中で浮かび上がる課題

寺子屋塾に行くと、他の塾生と時折一緒になります。
だれがどのタイミングでいるかは行ってみないとわかりませんし、自分1人だけということも珍しくありません。それでも顔を合わせれば、近況を語り合います。

年代も性別も職業も異なる人々はしかし、僕と同じようなことに悩みや課題を抱えていました。そこに共感し、取り組む姿に励まされているところがありました。自分を着飾ることなく、本音を語ることができました。

ただ、いつ頃からでしょうか。

僕は彼ら彼女らの語る悩みが他人事に聞こえるようになりました。人間関係の葛藤や自分で決めたことをできない苦悩を「わかるよ」とは言いづらくなりました。

僕にとって、それはもう課題ではなくなってきたのです。寂しさと同時に、成長を実感する機会になりました。

そして、安心で安全な場に物足りなくなってきました。心地良く過ごせる場は、誰かに作ってもらうのではなく、足を運んだ先で自分自身で築いていく段階に来たのでしょう。

住み慣れた街を引っ越すことにしたのも、あるいはその冒険心が影響しているかもしれません。

安心な僕らは旅に出ようぜ。

(『ばらの花』くるり)

たどり着いた今

入った時と辞めた今、なにが違うだろうか?

そう自問してみると、自分のことを以前よりも深く知れた気がします。得意なことから、他者との違い、無知や未熟さも含めて、知れたことで、扱い方が上手くなりました。

やれあそこがダメだ、ここが違う、と修正するばかりでなく、怠惰さを受け入れた上で行動するための段取りをしたり、機嫌を取ったりする。そういうことができるようになりました。

最も大きな変化としては、「他者への不信感が薄れた」ことかもしれません。

人見知りにも通じることですが、心のどこかでいつも他者を疑っていました。表に出さないように注意しながらも、目の前の人が信頼に値するかを判定するために、相手の見定めていました。

猜疑心は、自分自身にも向きます。そんな人間のそばにずっといたいとは、誰も思いません。

僕のゆがんだ価値観がどのタイミングで変わったのかとは明確には言えませんが、じわじわと変わりました。

ただ「信じる」と伝えることのやるせなさも体験しました。

数年前、ある知人から相談を受けました。

詳しい中身は語ってくれませんでしたが、心のバランスを大きく崩していました。その人は、それまでも何度となく苦しい体験をしてきたという話は事前に聞いていました。

相談にのり、これからできることをやっていきましょうと言って別れた翌日に、その人は命を断ったそうです。

僕がその知らせを受けた時には、もう葬式も終わっていました。立っていられなくなるほどの脱力感に苛まれ、なんと自分は無力なのだろうかと思いました。

その日、飲めない酒を飲みました。

チューハイ1缶でガンガン痛む頭をかきむしりながら、悲しさと悔しさと怒りの混じった感情を持て余していました。僕が注意を払いながらかけた言葉は、その人をこの世界に繋ぎ止める力にならなかった。

話せばわかるなんて、嘘だ。
「信じている」とか「一緒に頑張ろう」という気持ちを乗せた言葉も受け取ってもらえなければ、なにも意味はない。

それでも絶望に飲み込まれなかったのは、同時に話さなくても伝わることだってあると感じていたからでした。

僕が寺子屋塾で過ごして得た財産は、他者にかけてもらった時間です。

たとえばインタビューゲームを1対1でやるとしても、最低2時間はかかります。それを50人とやるだけでも100時間かかります。

僕がやりたいと思ったことに多くの人が時間と手間をかけて付き合ってくれる。それはどんな的を射た説教や偉人の格言よりも、重く響きました。

なぜこの人達は、僕のわがままとも言える活動を共にしてくれるのか?

多くの人に手間をかけてもらった自分を軽々しく扱えるのか?

僕の不信感は、どう頑張ってもそこに否定的な答えを見出すことができませんでした。だから、僕は諦めて人を信じることにしました。

僕1人では、決して得られなかった変化です。寺子屋塾で関わってくれた方々には、本当に感謝しています。それが本当に些細なやりとりだったとしても、自分の救いになっていました。

なにかをしてくれるからではなく、そこにいることやただ雑談をするだけでも問題ないのです。

まとめ

この記事を最初に書き始めたのは2024/4/11でした。書き終わったのは、2024/6/5です。

途中手をつけられない期間があったとはいえ、なぜこんなにも時間がかかってしまったのかといえば、最初に設定した問いに対して答えが導き出せなかったからです。

寺子屋塾に行くと、なにが得られるか?

この記事を書くにあたって何度も自問しました。
その問いに答えるために、思いついたことを羅列してみましたが、結局僕はその答えに辿り着くことはできませんでした。〇〇スキルが得られる、収入が上がる、とわかりやすいようなことはありません。

つまり、それが答えなのだと気づきました。
誰もが共通して得られるものなどない。

ただ、自分に必要なことが起こります。

そして、追い求めたくなる問いに出会えるでしょう。

もしかしたら、入ってからもがき苦しむことになるかもしれません。渦中にいる時は、翻弄されて自分の現在地を冷静に分析できる余裕はありません。しかし、それは自ら飛び込んだから得られる体験です。

10年後、「あの時やってよかったな」と思える時間が過ごせるでしょう。

少しでも関心を持てたなら、一度尋ねてみるといいと思います。事前に連絡さえすれば、寺子屋塾は来訪者を歓迎しています。

読んでいただきありがとうございます。 励みになります。いただいたお金は本を読もうと思います。