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いても、いなくても、試されている

 その場にいない人を、いかに汲んであげられるかがコミュニティを築いていく上で大切だなと思う。

 1人では生きていけない僕達は、集団になる必要がある。ただ、1つの集団に身を置いている人は少ない。家族、学校、職場、組織、趣味など各人が複数の集団に属している。

 すると、どうしても集団が常に全員揃わない。けれど、集団は意思決定と行動をいつも迫られている。それは急かされているという意味ではなくて、「ゆっくり休む」すらも1つの意思決定だからだ。

 そこで、全員が揃わないのに決めなくてはいけない状況が発生する。すると、その場にいる人にとって都合の良い方向へと流れていく。ただ、残念なことにいない人にとっては都合が悪くなるケースも珍しくない。

 その場にいないのが悪い。
 正論を振りかざせば、反論を蹴散らすのは簡単だ。

 そうして、居心地の悪くなった人が、1人また1人と集団を去っていく。そして最後に残った人が「なんでこんなことになったのだろう?」と頭を抱えるのだ。

 だから、その場にいない人を疎かにしない。

 いない人に有利に働くようにするのではなく、変更の余地を残しておくのだ。あるいは、いない人に意見を求める。たとえ結果は自分の思惑と違ったとしても、プロセスに参加すると納得しやすい。

 難しいのは、いない人は見えないから、存在が抜け落ちやすい。そこで人間の想像力が試される。

 他者の視点に立てるか?
 自分以外の人は、どのようにこの場・集団に関わっているのか?

 いてもいなくても、集団において僕達はいつも試されているのだ。

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