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未熟への寛容さ

 典型的なちぐはぐな会話を聞いた。男女で話していて、
「やっぱり私もノートパソコン買った方がいいかな」
「買うとしたら、SSDのやつがいいね」
「SSDってなに?」
「HDDはCDみたいなのに磁気でデータを書き込んでいくんだけど、SSDはメモリーチップでデータを記憶させるんだよね」
「そのパソコンがいいってこと?」
「まあ、値段が高いからね」

 みたいな会話が延々と繰り広げられていた。
 僕は聞きたかったわけでもないけど聞こえてくるその会話に、ちょっと苛立ちを覚えた。「知りたい情報」が曖昧で「与える情報」も的を外れている。

 なぜ、そんな些細なことに苛立ちを覚えてしまうのだろうか?

 自分ならもうちょっと上手く会話の交通整理ができると感じていた。
 自分ができているから、他者もできるだろう。そういう傲慢さがあった。
 それはゲーム初心者のプレイに苛立つゲーマーに似ているかもしれない。

 当然ながら自分ができたからといって、だれもができるとは限らない。場面が違えば、自らが「できない人」になる場面も出てくる。つまり、弱者になりうる可能性が等しくあるのだ。
 だから、失敗や未熟に対して寛容である必要がある。それは他者を助けるだけでなく、自分をも助ける。

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