「美しい」は最少単位
僕は美しい人間に心が動かされ、自分もまたそういう人でありたいと思っています。
時々「この人は美しいな」と感じる人がいるのですが、そういう人は必ずしも見た目が整っている人ではありません。誰もが羨むような能力を持っている人もいれば、まだまだ荒削りな人もいます。
そうやって属性も性別もバラバラなのに、ひとしくその人達を美しいなと感じます。けれど、その「美しい」とはどういうことなんでしょう?
自分でふと疑問に思ったので可能な限り言語化してみたいと思います。
街中を歩いていても、綺麗な人はたくさんいます。でもそれは「整っている」であって、僕の感覚における「美しい」とはちょっと違います。
例えば、美しい風景に出会った時に僕達は「美しい」としか感じられなくなってしまう。それを無理やり言葉で表現しようとしても陳腐にしかならない。
だから「美しい」は最少単位なのではないかと思っています。つまり、元素のようにそれ以上分解できないもの。それがあるかないかというだけ。
その一方で、整っているというのはある要素の集合だと思います。例えば、綺麗な人というのは顔のパーツが左右対象に近かったり、あるいは一定の特徴があったり、コンセプトが貫かれたファッションに身を包んでいたりと、そういうものの組み合わせです。
だから、綺麗はある程度は再現できるけれど、美しいものというのはどこをどう真似たらいいのかわからない。いや、そもそも真似ることができないからこそ美しいのかもしれません。
そう考えると、僕が美しいと感じた人やものには共通点らしきものが思いつかないのも納得できます。
でも、美しいと感じるものは人それぞれです。僕が感じる美しさと他の人が感じる美しさは違います。
もしかしたら、自分の中に美しさを感じるセンサーが備わっているのかもしれません。五感と同じように、美感とでもいうようなものが。そして、そのセンサーはちょっとずつ異なっている。
それはありがたいことだなと思います。美的感覚が一緒だったら奪い合いになってしまうから。美しいと感じるものが違えばお互いに譲り合えて、みんなが美しいものに囲まれて過ごすことができるかもしれない。
さて、あなたにとっての「美しい」は僕とどう違いますか?
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