曖昧保護
厳密さを求めれば求めるほど、細分化されていく。全ての人に通じるようにと設けた基準は、個性をバッサリと切り捨てる。あなたは男だから、女だから。子どもだから大人だから。年収いくらだから、強いから弱いから。そうして、人を区分けした先に待っているのは分断だ。
曖昧さを守ることを僕はとても尊いと思っている。あえて決めないことで、不安になるし、もどかしさも覚えるだろう。けれど、そのあそびの部分が、グレーゾーンが人を人らたらしめるのではないだろうか。
ラインを越える、という表現を最近しばしば目にする。
要するに、その人の琴線に触れて怒らせるということだ。でも、現実にラインなんて存在しないので、勝手にラインを引いている人がいるだけだ。
あなたはここから先は入ってこないで、と。
けれど、そうやって境界線を引いて外に出ない、内に入らせないとしていたらそれ以上の拡張性はなくなってしまう。
本当に最初は話すつもりはなかったのに、気づけば自分にとってとても繊細な部分の話をしてしまう状況に何度も遭遇してきた。それはえてして、話題の決められていない非構成的な場で生まれている。
なにが起こるかわからない。
だから、怖いのか。
だから、面白いのか。
どっちがいいか。それもまた今日は曖昧に決めずに置いておこう。
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