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悩みは環状線のように

 気づけば人の相談に乗っている。楽しく会話していたつもりが、脈絡なく悩みが提示されて、真剣な話が始まる。

「あれ?」と引っかかりを覚えながらも、話の腰を折ろうとも思わないし、嫌だと感じているわけでもないので、聞き入っている。

 相槌を打ち続けていると、だんだん相手の話が堂々巡りしていく。
 そういう経験を重ねていくうちに「悩み」というのは電車の環状線みたいなものだなと思うようになった。

 どちらに回ることもできるし、ずっと動いてはいるので、乗り続けていればどこかに辿り着けるような気になる。でも、どれだけ長時間乗っていても、辿る駅は一緒だし、そのループから逃れることができない。

 解決法はもう簡単で、目的地があるのならば乗り換えをすればいいだけだ。
 でも、それになかなか気づかない。周囲の人が心配して、電車の外から「乗り換えろ!」と口すっぱく言ってみても車内に声は届かない。

 そして、同じ車内、すなわち同じ悩みの中にいる人同士は「着かないねー」とのんきに話し合っているのだ。

 それで、そういう相手にできることは「待つ」ことだと思う。
 だって、考えが巡っているからといって問題なわけじゃないんだ。そこに違和感を覚えたり、抜け出したいと思ったりすれば自ずと行動を始める。

 悩み続けると病んでいく、という見方もあるけれど、思考が動き続けているうちはそんなに心配ないと思っている。心配なのはむしろ、「もう〇〇しかない」と自分の中で確定させてしまった時だ。

 だから、思考が堂々巡りしているうちはしっかり聞いて、問いを投げかければ、きっと相手は必要な駅で乗り換えしてくれるはずだと僕は信じている。

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