しない努力

「努力」とは、ある目的のために力を尽くして励むこと、らしい。

 しかし、「する努力」と「しない努力」があるのではないだろうか?
 たとえば健康のために運動する努力。一方で、暴飲暴食をしない努力がある。

 一般的に努力とは「する努力」を指す。だから、どれだけの質と量をこなしたかを努力で測る。10時間勉強して参考書一冊終えた、のように。

 したがって、計測できないものは努力していないとさ見なされる。時には、自分自身も「なにもしなかった」と苛んでしまう。

 ただ、「しない努力」にもっと気を払ってもいい。

 たとえば、八つ当たりをしない。

 アクションは起こしていないけれど、ぐっとこらえる。これは十分努力だ。
 ただ、本人の中であった葛藤は、他者から窺い知ることはできない。

 その特性上、自分が「しない努力」を認めなければ、存在しなくなってしまう。だから、自分がどんな「しない努力」をしているかをちゃんと気づいてあげてほしい。

 そうして、気を配れるようになれば、やがて「しない努力」を意図して行えるようになるはずだ。

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