見出し画像

いま、どこに立っている?

 日頃生活していると、いつも良い状態であるとは限らなくて、波があって落ちる方向へと思考が向いてしまう時があります。幸いなことに、近年ではだいぶ自分でも流れを断ち切ることができるようになりました。
 自分の癖を見極めた上で、その方向性を少し修正することができるようになったからです。

 僕の場合、鬱屈してくると敵を探し始めます。自分の苦手な人や考えの違う人をなにかをされたわけでもないのに、敵だと見なします。嫌がらせなど行動を起こすわけではないのですが、あの人の行動はきっと自分のことを嫌いだからだ、と心がざわめき出します。

 昔はその時に「いやいや、そんなことを思っちゃいけない」と頭ごなしに否定しようとしていました。けれど、むしろその思考にハマることになってしまうので逆効果であることに気づきました。
 だから、そういう場合には「誰が味方か?」を考えるようにしています。すると親しい人の顔が浮かんできて、心が落ち着いてきます。

 敵と味方は表裏一体なので、味方が増えれば増えるほど敵も増えていきますから、本当は敵味方の区別なんてつけないほうがいいのですが、既に動き出してしまった心の動きを無理やり抑圧するよりはそちらの方が安定します。

 そうやって自分と向き合うようになってから、自分が誰かと接する時も「目の前の人にとって自分はなにか?」を意識するようになりました。

 なるべく対等でありたいと、あるいは味方でありたいと思いながら他者と接すると、軋轢らしいものはほとんどなくなりました。
 そうなって初めて気づいたのですが、自分がどんな視点からものを言っているかということについて、人間は思っている以上に無自覚です。

 友達、家族、恋人のはずなのになぜかいつも敵対するような振る舞いをしていないでしょうか? 
 味方からの制止と敵からの制止では同じ言葉を発していても、意味合いが変わってきます。だから、自分が相手に対してどんな立ち位置から言っているのかということは常に意識しておいた方がいいのではないかと思います。

 あなたは相手から見て、どこに立っていでしょうか?
 目の前か、隣か、後ろか? 
 離れている? 近づいている?

 どの立ち位置から声をかけたらあなたの言葉は受け取ってもらえるでしょう?  

 

 読んでいただきありがとうございました。
 気に入っていただけたら、スキ・フォローよろしくお願いします!

読んでいただきありがとうございます。 励みになります。いただいたお金は本を読もうと思います。