読書会『世界は贈与でできている』
7/9『世界は贈与でできている(近内悠太)』の読書会を行いました。
僕自身、この本に感銘を受けると共に、ところどころ疑問に思う部分があり、その内容を他者の視点や意見を通して、読み解きたい気持ちが芽生え、開催に至りました。
読書会はリアルとオンラインのハイブリッド形式で行い、計7名で開催しました。
各自1冊ずつ用意してもらい、第1章を音読しながら回し読みし、その後対話形式で意見交換をしていきました。
話されていた具体的な内容については触れませんが、読んでいる最中で参加者の皆さん様々な問いが浮かんできたようです。
僕は本書を読んでいて、書かれている内容を自分の体験や思想と照らし合わせてみた時に齟齬を感じることが何度かありました。参加者の方々も同じように感じたようです。
ただ、抽象的な視点で考えてみた時にはまた視点は異なるのかもしれないという意見がありました。
たとえば、柴犬とシベリアンハスキーは同じ犬です。しかし、毛色という視点で見てみると差異はあるわけです。具体的な事例だけで見ていると、どうしても一致しない点は見えてくるのでしょう。
個人的に印象的だったのは「負い目」についてです。
お金で買うことのできないものおよびその移動を、「贈与」と呼ぶことにします。
本書では、贈与をこう定義しています。
この定義を逆から見てみた時に、「お金で買う」行為って結局なんなのでしょう?
それは交換であると本書で言っています。交換することで、そのことについてはおしまいになり、その後については後腐れなしになります。
それはスッキリしているけれど、関係性を断つことでもあります。一方で、贈与ではお金は買うことのできないものを扱うので、ぴったり等価になることがありません。
つまり、必ずどちらかが与えすぎるか、余分に受け取ります(あるいはその対象が異なる場合もあります)。そこに負い目が生まれる構造があります。資本主義経済を生きる僕達は、この負い目を負債のように捉えます。
けれど、負い目が相手への返礼を促す要素になりえるという話がありました。
そう考えると、随分認識が変わったように感じました。
対話をしていくうちに、自然と第2章以降の話にもなりました。そして、参加者の方々も興味を持ってくださったようです。また、第2回についても開催したいと思います。
読んでいただきありがとうございます。 励みになります。いただいたお金は本を読もうと思います。