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不快感を自ら処理する

 僕達が生きていると、心地よいものに触れる機会がある一方で、不快になるものに出会うこともある。
 その不快さを他者に解決してもらおうとするのが、いわゆるクレーマーだと僕は思っている。ここで大事なのは、不快さを感じること自体は珍しいことではない。自分の不快感を表明したり、向き合ったりすることはなにも悪くない。
 その中で、自分の「嫌な感じ」を他者に解決してもらう手段は取らない方が良いと思う。

 物語の展開が気に入らないから、変えろと作者に求める。
 自分のルールに従わない人を糾弾する。

 そういう他者を操作しようとする行為が、とりわけネットでは頻繁に行われている。
 自分を不快にするものは、存在してはいけないかのような排他的なものを感じてしまう。

 けれど、そうやってなににでもクレームをつければ勝ちの世の中になっていったら、なにも新しいものは生まれなくなってくる。

 不快感は、内で起こっている。自分自身を変えていかなければ、不快感が一時的に解消されても、折に触れて再発して、根本的な解決には繋がらないのだ。
 最近よく聞く「多様性」が普及すればするほど、自らの価値観と照らし合わせてモヤモヤする機会は増えるだろう。そういう時に、自分の不快感と折り合いがつけられないと、だれよりも苦しむのは自分だ。

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