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生々しく生きる

 生々しく生きたい。

 走っている最中にふとそう思った。喉に張り付くようなベタついた空気のせいで、呼吸が苦しい。なんで僕は暑い中を走っているのか、自分でもわからない。

 綺麗に整えられて、無駄がなく、美しい。そういうものが求められている。だけど、いざ目の前にすると一歩後ずさってしまう。モデルルームのような生活感のない空間にいるとソワソワしてしまう。

 生々しい。どちらかといえば、あまり良い意味では使われない言葉だ。だけど、そこには隠しきれない実体を表現している部分がある。

 親切にしたいと思っていても、時に感情的な言葉をぶつけてしまう。大きなことに挑戦したいけれど、失敗するのが怖くて立ち竦んでしまう。好きなのに、今の関係を崩したくなくて言葉を飲み込む。

 人は大なり小なり矛盾を抱えていて、それを隠したり見ないふりをしたり、そもそも気づかなかったりする。そういうものをちゃんと抱え込んで、全部ひっくるめて生きていきたい。

 だからといって、人生を悲観したように、恨み辛みを発散したいわけではない。自己否定と他者否定を繰り返すよりも、くじけそうになりながらもどうにか希望と可能性を見出していきたいのだ。

 そして、光が射したら、影はできる。いや、全方位から光を当てれば消すこともできるかもしれない。ただ、そんな場所にいたいだろうか? 少なくとも僕はいやだ。

「正直に生きる」もダメだ。なるべく正直であろうとしているけれど、時折面倒になって僕はその場を切り抜けるための嘘をつく。

 やはり生々しく生きるという表現が、自分にとって1番しっくりくる。

 汗臭く、泥にまみれて、それでも最後には笑ってやる。

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