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海外生活の記憶 米州2010’s 28 アラスカ州アンカレッジ

アンカレッジには1778年にキャプテン・クックが訪れたという記録が残っていますが、その時はまだアラスカ州全体がロシア領、というよりはロシア人がイヌイットと共存しながら暮らしていました。アンカレッジという街はアメリカがロシアからアラスカを購入して50年近く経った1914年にアラスカ鉄道の建設拠点として新たに作られた都市なのです。

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アラスカには17世紀なかばにロシア人が来たのが、最初のヨーロッパ人と言われていますが、実は余りはっきりしていないようです。ロシア海軍の船に乗っていたデンマーク人の航海士ベーリングが1741年にアラスカを発見したのが記録としては最初とも言われています。ロシアはアザラシやラッコなどの毛皮が豊富に採れることから植民を開始し、ロシア領アメリカの首都は始めはアラスカの南にあるコジャック島に置かれました。その後、原住民のトリンギット族との戦いを経て、南東部のシトカを首都にしています。アラスカ州の地図を見ると南東部の海岸線にそってカナダに入り込んでいるように見えます。この辺りにシトカがあります。

アンカレッジからはアラスカ鉄道でウイッテァ港まで行きます。そこからクルーザーに乗って氷河を見るツアーが始まります。

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1867年にアメリカがロシアから720万ドルでアラスカを購入したことからアメリカとしてのアラスカの歴史が始まります。何故ロシアがアラスカを売却したかというとクリミア戦争後の財政難が直接の理由なのですが、毛皮動物が乱獲の結果、激減したことやロシアまでの運賃が高くて採算が悪くなっていたことなども背景にあるようです。ロシアは19世紀前半には現在のワシントン州、オレゴン州及びカリフォルニア州北部の沿岸地域まで砦を築き、現住民との婚姻が進んだということなので、オレゴン州の毛皮漁師とはきっとロシア人のことだったのですね。でもイギリス領アメリカとは敵対関係にあり、毛皮を売ることも食料を得ることも出来なかったので確かに採算は悪そうです。面白い話としてこの時期にロシアは日本との交易に活路を求めて長崎までやって来ましたが、半年間待たされた挙げ句、何も得られずにアラスカに戻ったという話です。この時、江戸幕府がロシアと交易を開始していたらアラスカは未だにロシア領だったかも知れませんが、そうなれば北海道はもっと早くに狙われていたでしょうね。

ウイッテァ港からクルーザーに乗ってしばらく走ると氷河が見えて来ます。

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現在アラスカ州の人口は70万人ですが、アンカレッジの都市圏人口は40万人で半分以上がここに住んでいることになります。これは1970年代の北海油田の発見が大いに貢献しています。それでも州の面積は合衆国1位でありながら人口では47位と一番人口密度の低い州です。そして州の土地所有者は連邦政府、州政府、先住民共同体がほとんどで民間保有はたったの1%ということです。

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遠くに氷河が見えて来ました。

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これを見るとまさに氷の河が海に流れこんでいることがわかりますね。

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近くに寄ると氷の河はかなり大きいのです。いやいや、そんな言い方では表現出来ないくらい大きいのです。

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この辺りは氷河クルーズのメッカで他のクルーザーともすれ違いました。アンカレッジは今では観光の拠点にもなっていますが、発展の契機は北海油田の開発でした。実は北海油田はアラスカ州の北部というか北極海のプルドーベイにあり、アンカレッジからは1000キロ以上も離れているのです。ただアラスカ州の北部はほとんど海が凍っていてタンカーで運ぶことが出来ないので内陸部を南に向けてパイプラインが設置され南部のバルディースという港までパイプラインで運ばれて来ます。下の地図の右の方にバルディース(VALDEZ)はあります。つまり今いるプリンスウィリアムサウンドをもう少し東へ行ったところです。

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上の写真を見ると普通イメージする山岳氷河の姿がわかります。途中の低い部分で氷の流れが止まったのかも知れません。

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海に流れ出す氷河に近づいています。

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ここに来るまでは、テレビで見た氷の壁をイメージしていたのですが、実は単なる氷河の河口だったのです。ただ河口がやたら大きいということです。

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氷河の上の方から割れ目が出来て、時間とともに剥がれるように崩れ落ちます。

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海の上には崩れ落ちた氷河が小さな氷となって徐々に海に戻って行きます。実はこれも本当は小さくはないのです。

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ここは岩の崖の上で氷河が止まっていますが、上から押されて少しずつ落ちているのかも知れません。遠くから見る氷河の景色と近づいた時の氷河は全くと言っていいほどイメージが変わるのです。

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海に接している氷が徐々に溶けるのか下の部分が削られ、やがて上の部分は自分の重さに耐えきれず崩壊しているようにも見えます。

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大きな塊が落ちる時には異様なうなり音で徐々に傾き始め、水に落ちた瞬間にはドーンという音が乗っている船までその振動とともに伝わって来ます。

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海に接している氷河はカービング氷河と呼ばれ、山岳氷河や氷原と比べて数が少ないことからアラスカのこの辺りは氷河ツアーのメッカになっているのです。

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遠くから見る氷河は白い大河のように美しい姿を見せてくれます。

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そろそろクルーズツアーも終わりです。ところでアラスカ石油ですが、70年代に始まりピークには日量150万バーレルも出ていて今でも日量50万バーレルは生産されています。つまりたった1日でバレル50ドル換算で2500万ドルの収入になるのです。720万ドルで買ったアラスカの土地から出る原油が1日で2500万ドルを生むのです。ロシアの悔しさがよくわかります。

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なんてことは全然考えていませんでしたが、名残惜しくアラスカの地を後にしました。

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