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私の人生への衝撃波

高校卒業後から勤めていた会社を辞めた。
毎日、毎日同じことの繰り返しで息が詰まりそうだったこと、入社してからわかったことだったけど、小学生の時に私をいじめていた先輩が勤めていたこと(お互い気がついてはいたが、部署が違ったので入社してから1回も会話はなかった)、同僚(同性)に恋心を抱かれたこと、ストーカーに付きまとわれたこと、などが重なり、衝動的に辞めてしまった。
幸いなことに、すぐに就職先は決まった。

相変わらず、仕事の掛け持ちをしていたので、両親と顔を合わせる時間も少なく、お金の無心も減っていった。
妹さくらも、保育園に入り、両親ともに自由な時間が出来たからかもしれないし、その時間帯にえいこさんも働きに出られていたからかもしれない。

働いて、働いて、働いて。
でも、そんな中でも、彼氏を作ったり、デートしたり、飲みに出かけたり、少なからずも充実した社会人生活を送れていたと思う。
外に出ている私は自由だった。
えいこさんが、私を夜の繁華街に連れて行ったことで、私は自分の飲酒の許容量を知っていたし、夜の街のマナーもある程度知っていた。
パチンコに大金をつぎ込むこともなかった。

ある日、珍しく、えいこさんが私に病院に送ってほしいと言ってきた。
どこに行くにも自分で運転しないと気がすまない人が、送って、と。
ちょうど仕事が休みだったので、送っていった。
胃カメラ検査を受けるんだ、と言う。
受付を済ませたえいこさんに、そのまま待ってて欲しいと言われ、待合室で待っていた。

『桐山さんのご家族の方〜』
診察室から声がかかった。
何事かと思い、不覚にも緊張して診察室のドアを開けた。
『失礼します』
入室すると、医師が

『こんにちは、娘さんかな。・・・落ち着いて聞いてほしいのだけれど、お母さんね、スキルス性の胃がんだった。』

まっすぐに私を見て病名を告知した。

『これからね、早い段階で、とりあえず、手術ができるようにいろんなことを同時進行するよ。家族の助けも必要になってくるから、よろしくね』
と、早口に説明が始まった。
当の本人は泣きもせず、うなずきもせず、医師の説明を聞いていた。

がん、という言葉はなんというダークな響きなんだろうと思う。
日本人の死亡率、第1位とも言われ、CMなどでも耳にする、このワード。
冗談ではなく、漫画でもなく、現実に、がん、と言われると、本当に
『ガーン』
と、殴られたような衝撃を受ける、いや、受けた。

私は。
私は、自分のことをないがしろにされ、家の中で居場所を失い、自分を偽りながら、それを悟られないように感情を抑え、お金の無心もされ、ゆくゆくは親を盛大に裏切ろうと、そんなことを考えながら、そんな風にしか生きてこられなかった。
それなのに。
なんで病気になんてなるの?
手術費用はどうするの?
私の自由な時間はどうなるの?
妹は?まだ5歳だよ?
すべてが私に降り掛かってくることが容易に想像出来た。
私はまた、あの、大きな家に押しつぶされそうになるの?
めまいがする、足に力が入らない。視界がゆがむ。
なんの、どんな感情かは自分でもわからない。
私は診察室の中で座り込み、泣いてしまっていた。

その夜に、父親を交えて話をした。
こんなふうに親と話すなんて何年ぶりだろうか。
とりあえず、当面は私は妹の世話や病院の送迎があるために、日中の仕事を辞めることになった。

日中の仕事。
本当はずっと憧れていた仕事だった。やりがいもあったし、毎日が楽しいと思える仕事だった。辞めたくなかったが、この状況ではそうも言ってられない。

お金の件は、びっくりした。
がん、と診断されると一時金が降りてくる保険に入っていたらしい。
初めて、えいこさんから
『お金のことは心配しないで。もう、費用出してって言わない。今まで、ごめんね。今までありがとう。私が治ったら、ちゃんと返すからね。』
と、謝罪を受けた。
あんなに待ち望んでいた、謝罪。
いつか、私に感謝の言葉を言うだろう、いや、言ってもらわないと割に合わない、それが親にとって屈辱でしょう?と思っていたのに。
鼻息荒く『そうでしょう、頭が上がらないでしょう』と、勝手に、浴びせる言葉を想像していたのに。

ずるい。
今、このタイミングで言われたら、許すしかなくなるでしょう?
今まで、虚勢を張っていた私の気持ちはどこに向けたらいいの?
悔しい。
今までされたことも、言われたことも、絶対に忘れないし、許すことも出来ないはずなのに。
悲しい。
自分のやりたいことすら出来ない人生なの?
もう。
感情が混沌としている。
許さない、許すしかない。
そんなことをぐるぐると考える。考えても考えても答えには辿り着かない。そもそも、許すとか許さないとかそういう問題ではなくなっているのかもしれない。

それでも。
今は、家のため、家族のために私ができることをやるしか、選択肢はないと、腹をくくるしかなかった。

私の人生だけれど、私の人生ではなくなるような。
私の人生に確実に衝撃を受けた一日だった。


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