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私の存在意義とは・・・心が追いつかない。

高校生になり、自分の自由を自覚して、いろんなことに挑戦をするようになった。
幸い成績は良かったので、先生たちのウケもいいし、生徒会に入って、自分を忙しい中に、自分で連れて行った。忙しくしていると、何も考えなくてもいいし、先生に褒められることも、同級生からも頼られることも増えて、自分の居場所を感じることが出来た。
時々、友人関係で失敗してしまうこともあったけど、継母と義理姉にされたことを思えば、なんてことなかった。
自分に素直でいられた高校生活。

そんな中、えいこさんが出産した。
私が高校3年生の時だった。
妊娠を告げられたのは、8ヶ月の時だった。
えいこさんはぽっちゃり系だったし、その頃は家に帰ってもあまり顔を合わせてなかったから、正直、全然気が付かなかった。
父とえいこさんは随分と話し合いをしたらしい。
みこちゃんは
『信じられない。汚らわしい』
と、取り付く島もなかったらしい。
ひとりでも味方が欲しかったんだろうな、と思う。

自分が妊娠してからわかったことだけど、妊娠中って本当に眠い。
その頃のえいこさんもソファーで寝てばかりいた。
私はここぞとばかりに、えいこさんの手となり、足となった。
家事は率先してやり、食事も教わりながら作った。
みこちゃんは都会の大学に進学していたが、親戚の家に居候をしていて、肩身が狭そうだった。えいこさんの妊娠騒動で一人暮らしはなかなか叶わずにいた。

ちょうど夏休みに入ったところで、待望の妹が生まれた。
生まれてしまうと不思議なもので、父はメロメロだし、私ですらこんな可愛い存在がいることに感動した。
みこちゃんは入院していた産院に直接電話をかけて寄越し
『産まれたなら、私を優先してよ!』
と、電話口で叫んでいたらしい。
自宅に退院してからも、私はせっせとえいこさんと妹のさくら(仮)の世話をした。
仕事帰りにパチンコを打ち、23時まで帰ってこなかった父が、毎日夕方に帰って来てはさくらの入浴を担当していた。
本当に、本当にかわいいさくらの存在が、私の気持ちに変化をもたらしていったのは間違いないだろうと思う。
床上げをするまでの2ヶ月間、勝手に私は「お世話をしている」という優越感に浸っていた。だから、床上げの日に、布団を畳むえいこさんの姿になぜか«恐怖»を覚えてしまった。

私が必要とされていた期間は終わったんだ・・・。
家に居場所があると錯覚してしまっていたんだ・・・・

夏休みも終わっていたし、自分の居場所も、学校にちゃんとある。
家に居場所がないのは前から、大丈夫、と自分に言い聞かせて。

床上げはしたものの、えいこさんはあまり体調が良くないようだった。
時間があるときはなるべく家事を手伝い、さくらのお世話もした。
私の誕生日は忘れられていたけれど、自分で食べたいものを作った。
自分でケーキを買い、ひとりで食べた。

程無くしてえいこさんは仕事復帰をした。
私は就職の内定がなかなか出ずに悶々とした日々を過ごしていた。
時々、学校を休んで、えいこさんの代わりに育児もした。高校卒業後に自立することを考え、家事も大体手伝ったし、休みの日には自らえいこさんの隣に立ち、料理も教わった。
時々遊びに来る友人たちにえいこさんは
『キラは変わった。高校生になって大人になった』
と、自慢げに話していた。

さくらを出産してから、みこちゃんが実家を出てから、家での私の立ち位置は変わってきた。えいこさんも私に対しての態度も変わってきた。
卒業間近になり、就職先も決まり、禁止されていたアルバイトを始めて、少しずつ自分の未来に向けて準備をすすめることにした。

卒業式。
私の卒業証書を受け取る姿だけ見た父とえいこさんは、みこちゃんの新居探しに旅立った。さくらとみこちゃんを会わせたいそうで、日程がそこしかなかったらしい。
私は一人で帰った。
その日、私は、一人だった。

私はひとりだったけど、さくらが私の家族になった。
就職して毎日定時に帰宅して御飯作って、家事をして。
私って何も無いな、とポッカリとココロに穴が空きそうになると、さくらがニッコリと微笑んでくれる。
さくらのために、頑張ろう、とさえも思えてくる。
さくらがいてくれることで、こんなにも気持ちの変化があるなんて思いもしなかった。
さくらだけが私の家族に思えた。
と、同時に、こんなにかわいい味方を、産んでくれたえいこさんに感謝の気持ちさえ芽生えてきた。
早く家を出て一人暮らしをするはずが、さくらのお世話をしたいがために、なあなあになっていっていることも自覚していた。

そんな中、みこちゃんの大学の費用が払えない、と話している声が聞こえてきた。父とえいこさんは借りれるところからは限界額を借りていて、これ以上は借り入れが出来ないような話をしていた。
みこちゃんは大学の掲示板に張り出されている、授業料滞納者に名前が上がっていると憤慨して電話をかけてきていた。
とうとう、首が回らなくなったのか、父が
『頼む、いくらか貸してくれ』
と、頭を下げてきた。
えいこさんではなく、父が。
ショックだった。ショックだった、という言葉では表せられないほどの衝撃だった。

私の存在意義って、何なのだろう。

にっこり笑って
『いいよ』
と言った。
銀行に行ってくる、と言って私は家を飛び出した。
車に乗り、まっすぐ前を向き、エンジンをかける。
あてもなく、車を走らせた。
2度目の家出だ。

心が追いつかない。

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