小説『Feel Flows』⑤

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(五)
日常のなかで、僕は生活をしなければならない。なんて当たり前で、なんて簡単なことで、そして残酷なことなのだろう。

生活をするために、僕は仕事をする。
朝、決まった時間までに起き、身だしなみを整え、これをやらないと生きていけないからと自分を律し、組織に順応し、得た対価の一部を国や自治体に納税する。

「趣味」とは仕事で感じる大変さから逃れる時間を作ることではないかと思う。
仕事は対価をもらうために、腑に落ちないことやつらいことを我慢することも出てくる。それを一日中考えてしまうと気力が消沈してしまう。そうならないよう、趣味を通じて好きなことに没頭する時間を作る。

「好きなことを仕事にできたら幸せ」と考えていた時分もあったが、今なら「好きなことを仕事にしたら、そのことが好きかどうかわからなってしまうのではないか」と思う。

例えば、「桃鉄」は勉強ではなく遊びや趣味でやると面白い。でも、「社会科の宿題として桃鉄を10年分必ずやってくるように」と先生からいわれたら、僕なら途端に面白くなくなってしまうと思う。そうじゃない?やらなければならないと外から強制されるものはできればやりたくないし、面白くない。面白くないものは、好きにはなれない。


4月になり、僕が携わる仕事に少し変化があった。
業務を提携する得意先が一部変わったのだ。

新しい得意先の方と初回の挨拶のときの話。
名刺交換をして、自己紹介を済ませるとどうやら同い年であることがわかった。
「同級生ですね」という話もしていた。

帰宅後にそのひとの名刺をもう一度見た。
どこかで見覚えのある名前、と気になった。
ネットで検索をすると、そのひとのプロフィール写真がヒットした。それをみてやっとわかった。そのひとは、大学時代のサークルの先輩だった。写真の顔の方が、大学時代の面影があってピンときたのだ。

ちなみに、僕は大学へは浪人して合格した。そのため、高校までは同級生のひとが大学では先発になることが多かった。

「それにしても、」独り言をいう。「顔を見せ合いながら挨拶をして、同い年ですね、とまで確認して、なぜその場でこのことに気づかなかったのだろう」。
なんとも言えないおかしみが込み上げてきた。
もしや、相手も今頃気づいて笑っているのではなかろうかと思うと、よりおかしさが増した。

ふと気づくと、声を出して笑っていた。
なんだ、僕は笑うことができているじゃないか。ずっと、笑えないかと思っていた。

次に仕事でその先輩に会うのは、1ヶ月先。
仕事なのに、1ヶ月後が俄然楽しみになった。

そして、つい数日前に考えていた「過去の自分も自分」ということばを思い出していた。

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