小説『Feel Flows』⑥
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(六)
これは、他の人にもあることだろうか。たまに僕は、自分が誰なのかわからなくなることがある。
そうなることが多いシチュエーションは昼寝から目覚めたばかりのとき、まどろみのなか。
「あれ、この世界はなんだ。
僕は起きてるのか、寝ているのか。
生きているのか、死んでいるのか……。
感覚があるということは生きているということか。
そもそも僕は、誰だっけ」
このような思考が巡り、自分が誰なのか、そもそも生きているのかどうかすらわからなくなることがある。
荘子が「胡蝶の夢」を思いついたときの感覚とはこの状態に近いものなのではないか、とよく思う。
この状態の後、多くの場合はすぐに自分のことを思い出すが、ときおりなかなか思い出せない状態が続くことがある。
例えばそれは旅行中のホテルの部屋で目覚めたとき。このシチュエーションではなかなか自分を思い出せなくなる。
自分を思い出すきっかけになるのは「過去の自分の証拠」だ。
見覚えのある部屋、昨日読んでいた本、スマホの壁紙の写真。それらによって自分は「過去の自分」を思い出し、「ああそうか、自分は自分だ」とわかる。ホテルの部屋には、それらの手がかりが少ない。
「過去の自分とつながることで、今の自分がある。すると、今の自分はどこにつながるか」と自身に問いかけてみた。
「未来だ。今の自分は、未来の自分につながる」
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