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大好きな柴田聡子さんについて語りたい(19)新曲『どこへも行かないで』

こんにちは。きりやまです。


新曲『どこへも行かないで』配信開始

https://twitter.com/sbttttt/status/1648342942816546816?s=46&t=NvsiHtVltOHCz8vaenktGw

2023年4月19日に、各種配信サービスにて柴田聡子さんの新曲『どこへも行かないで』が配信されました。
Spotify
https://open.spotify.com/track/0QctNmKMvT5Hw4aWO1HJI7?si=kr6jlASNR66D4cbRyVzKCA

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『どこへも行かないで』の歌詞

本記事公開時点では公式には歌詞は発表されていないようです。ただ、歌詞の配信サービスを行うサイトに書かれたものはあります(Spotifyでも歌詞は表示されますがあちらも公式ではないため稀に誤りを含む表記の場合があります)。
公式ではありませんが、見やすかったサイトを紹介します。ざっと僕の目で見て、音として誤っている箇所はなさそうでした。

AWA『どこへも行かないで』歌詞

2022年のiPhoneアプリ内で24秒まで公開されていた曲

『どこへも行かないで』は2022年3月にiOSアプリ「Honda Road Movies+ 」内にて、12秒バージョン、24秒バージョンが公開されていました。

このアプリは写真や動画撮影機能が付いていて、旅行中などに様々な場所を撮影したものを自動で12秒か24秒のムービーに編集してくれるものです。そのBGMとして『どこへも行かないで』が選択できました。

動画の例を下記のtweetに示します。

また、この曲はライヴではすでに2022年に披露されています。僕の見た範囲での記録では最初の披露がinFIREの皆さんとのバンドのver.です。

『どこへも行かないで』の歌詞を考察するにあたってのいくつかの前置き

なぜ僕は歌詞の考察記事を書くのか

本論に入るまでが長文になり恐縮ですが、まずは久しぶりに考察記事を書くにあたって湧き上がった「言い訳」をさせてください。
僕は新曲について「歌詞」も「曲」も、どちらも大好き!です。しかし、僕の記事は歌詞に注目したものばかりになってしまっています。

その理由は、僕が曲について書こうとしても言葉が出てこないためなのです(おそらく知識が乏しすぎるからと思います)。
できるのなら、曲考察記事も書きたい!もっと言えば絵が描けるのなら漫画だって描きたい!のです。
歌詞については、自分の言葉で話せます(その内容が妥当なものなのかどうかはおいておいて)なので、歌詞考察を書いているというわけです。

歌詞考察のための前置き

このあと、歌詞の全体について、僕が感じ取った内容を紹介します。
誤解のないように、考察記事を紹介する際に何度でも入れたい前置きをここでも入れます。

僕は歌詞を読んだ人が受け取った内容について「間違いということはない」と思っています。そのうえで、僕が書く考察記事は「これが正解と思う」ではなく「僕が考えを巡らせて捉えた内容はこう」というだけのことです。僕の考察を読んで「こうは思わなかった」「あれはこういう意味ではないのかな?」というご意見があればぜひ、お聞かせください。このnote記事の目的は僕の意見を呼水にして多くの方と柴田さんの作品について語り合う場を作ることにあるのです。

『どこへも行かないで』の歌詞考察

"どこへも行かないで"の言葉の意味から考えてみた

歌詞のタイトルは"どこへも行かないで"。
そして、歌詞の中にもこの言葉が何度も繰り返されます。一体この言葉にはどんな意味が込められているのでしょう。
初めて聴いた時から、「言葉どおりの意味ではない何かがありそう」とを考えていました。あるいは、「何通りかの意味があって歌詞の文脈によって別の意味になっているのかも」と思っていました。

そう思った理由は、初めて聴いたときの媒体がアプリ「Road Movie+」の中だったためです(このアプリについては上記の項でも触れています)。
このアプリは「旅行中の写真を動画に編集してくれるもの」です。そのため
「どこかに出かけていく」ことを求めるアプリなのに
"どこへも行かないで"
とくり返されるこの曲の歌詞は、アプリの意図に反するような意味にも聞こえました。

表面的で単純なだけではない意味が込められた言葉なのではないかという考えにつながったのです。こう考えて以来、フルバージョンの歌詞を読んで、言葉の意味を考えるのをずっと楽しみにしていました。

歌詞のタイトルに「英訳がない」意味も考えてみた

配信されて、曲のタイトルの「英題(英語ver.)」を確認してこの言葉の扱い方についての考察が深まりました。
この曲のタイトルの英題は"Dokohemo Ikanaide"です。"どこへもいかないで"をローマ字にしたものでした。

これについて、僕はこう思いました。
「柴田さんは"どこへもいかないで"という言葉をその「音」も含めてそのまま表現しなければならないものとして捉えているのではないか。」
つまり、英語に訳してしまうと歌詞に込めたいと思って捉えた言葉とは違ってしまう(Lost in translationが発生してしまう)という表れなのではないだろうか。

ちなみに、柴田さんの曲の歌は英題が日本語タイトルの直訳でないものもたくさんあります。
例えば、
『後悔』→Miss you
『雑感』→Understood
『ばら』→Good Boy
などです。
これについて触れた考察はFANZINEの第1集に収録しています。お持ちの方はぜひご参照ください。
(宣伝:FANZINEはこちらで購入可能です↓↓

※4月末現在、在庫切れになっているものもありますが5月上旬に在庫追加の予定です)

ご本人が明かされた歌詞の背景について

歌詞の考察をする前に、柴田さんご本人からこの曲の歌詞の背景にあることを明かされました。
その内容は4月15日にInstagramの柴田聡子さんご本人のアカウントの投稿の中に書かれています。

"大好きだった実家の犬との別れ"

これが背景にあることをさらりと明かされました。

正直なところ、僕はこれを読むまでは気づくことができませんでした。
でも、その背景を踏まえると歌詞で歌われていることがわかるような気がしました。

……。

ここで、実は記事をアップする前にはこの歌詞が表していると推察したストーリーを細かく書く予定でいました。これまでの歌詞考察の形式でもそうしていたように。
しかし、今回そのストーリーについては柴田さんから明かされた背景が全て言い表していると思います。そう考えて省略し、歌詞の部分部分で感じたことを記します。

"絶対ちがうけど○○"という表現のリフレイン
歌詞の中に、何度も登場する表現。これはその場面場面で愛犬との思い出を「そのままのかたち」で表した言葉ではないかと思います。

"絶対ちがうけどよく似てる布で くるんで抱きしめて"
→この場面、僕の母がかつて実家で飼っていた犬を思い出すときにする行動を思い出しました。
飼っていた犬は「チョコレート色」の毛をしていて、その毛の色によく似た色の毛布を母が手にして「これ○○ちゃん(飼っていた犬)みたい」って言うことがあるんです。
愛犬の毛色とよく似た色の布を抱きしめて愛犬を思い出している情景と思いました。

"絶対ちがうけどよく似た風景だって 隙間にはまる"
→ここは、2つの読み取りの可能性を感じています。
この少し前の場面で愛犬が、深い雪の中を散歩する時にこちらを気遣うように振り返ってくれた可愛い仕草を思い出すような場面があります。
雪道を歩いていると、あの時の風景とよく似た場所があったのだと想像しました。

そこで、この歌詞の意味は次の1.、2.のどちらかかな?と思っています。
1.いないはずの愛犬が「風景の中にいる(風景の隙間にはまる)」ような気がする
2.今は愛犬がいなくて、振り返って足元の悪さを教えてくれなくて、「足が雪の溝にはまる(雪の隙間にはまる)」
みなさんは、どちらだと思います?それとも別の意味を捉えられました?

"絶対ちがうけどよく似てる"
→シンプルに「散歩していると、愛犬によく似た犬が通りかかった」という意味の言葉でもあると感じました。僕も、実家の犬によく似た犬をみつけることがあります。見た目だけでなく、吠え方や動き方も含めて。

"どこへも行かないで 
絶対ちがうけどよく似てる言葉
どこへも行かないで
どこへも行かないで
どこへも行かないで"
→最後に登場するこの部分が、タイトルの"どこへも行かないで"を解釈するた際に大切な部分と思いました。

亡くなった愛犬の可愛さ、かつて自分にくれた幸せな感を思い出して感謝にも似たような感情を主人公は捉えたのではと思います。
その感情を誰かの言葉を借りずに自分のことばで表そうとすると
"どこへもいかないで"
ということばとなって発せられたのではないかと思いました。
でも、その言葉を客観的に捉えると「このことばはとても近いけど、感情を完全に言い表しているとは言えないかもしれない」と思い直されたのかもしれません。

"絶対違うけどよく似てる言葉"とは、は主観から客観に翻って思ったことばなのかな
と思いました。

あとがき/スペースで話した主観と客観のナイスバランス(鈴木さんパートと佐伯さんパート)について

以上、前項までが歌詞の考察をするにあたり僕が要点と思った点です。
特に最後の"絶対違うけどよく似てる言葉"については、僕なりの解釈として「歌詞の客観性(佐伯さんモードの表現)」を感じました。
これは、『24秒』の歌詞の"点と点の間に金の糸"の解釈にもつながると感じます(注:『24秒』のこの部分の考察はFANZINE第2集をご参照ください)。

急に「鈴木さん」「佐伯さん」という言葉を説明せずに登場させてしまいすみません。
この内容の補足として今回、note記事を書く前に口頭で話したTwitterの「スペース録音版」のリンクを貼りたいと思います(note記事にスペース録音版貼るのもやってみたかったんです実は)↓↓

簡単にだけこちらにも補足をすると、
「鈴木さん状態」とは主観的に自分の言葉を発する状態、「佐伯さん状態」とはその言葉を客観的に吟味、推敲する状態という意味として表現しています。

『どこへも行かないで』の歌詞はこの2つの状態がヤジロベーのように、どちらかに偏りすぎたりせずにバランスを取っているように感じています。

以上が、僕の考察内容です。いかがでしたでしょうか。
「ぜんぜんちがって捉えていた」という、ご意見などありましたらコメント欄等で教えていただけたらうれしいです。

僕自身、明日にはきっとまた違う解釈を思いついていそう……。次のFANZINEがあったら、「この記事からどれだけ変化しているか」もどうぞ楽しみにしていただけたら思います(←熟考が遅いことをていの良い表現に変えているだけともいえます……)。

それでは、またの記事をお楽しみに!


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