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キミが笑ってくれたから


 「ハァハァハァ…」自分の目の前にはすっきりとした雲もない青い空が広がっている。息が上がってもう動けないし走れない。太陽の光がアタシの毛穴から汗を噴き出させ、べっとりとした肌にカラッとした秋風が吹き抜けていく。そういえば雨続きだったのか。夏の儚い日々を過ごしたセミが仰向けになって目の前で死んでいる。アタシももうすぐこんなふうになるのか。いや、ここまで形を留めたままでいられるはずはない。頭が潰れて脳みそがはみ出て、内臓破裂。足は逆方向に折れ曲り、赤と黒が混じった血がそこらじゅうに飛び散って無残な姿でこの世を去るのだ。それも血の付いた白いTシャツと青いスエットパンツというダサい格好で。18年間の集大成。ここ何年間のクソみたいな人生にピリオドを。ここの団地の屋上で。もうすぐ取り壊される廃墟だから誰にも迷惑はかからないだろう。必死に無我夢中で走っていたらここに着いてしまった。死んでいるセミを横目で確認しながら、建物の端までゆっくりと歩く。風をまた感じる。この心地の良い風に乗ってどこかに行ってしまいたい。目に映っている青い空の中にただ溶け込んでしまいたい。アタシは消える。もうまもなく。


少女B「飛び降りるんだ?」

少女A「…」

あれ?誰もこの屋上にはいなかったのに。

少女B「ここから飛び降りたら、途中で意識なくなるのかな?8階だから楽に

    死ねるか微妙なラインだね。」

少女A「誰?」

少女B「確かに微妙だわ。」

少女A「…ねぇ、誰なの?」

少女B「可愛い顔してるのにもったいない。スタイルもいいのにね。」

少女A「あなた…誰?」

少女B「あれ!血がついてる!いやだ!アンタ誰か殺してきたの?」

少女A「ちょ、ちょっと!なんなのよ!だ、誰なのよ!」

少女B「ふふふ…」

少女A深くため息をつき少女Bに背を向け、柵に手を掛け乗り越えようとする。

少女B「ねぇ!本当は止めて欲しいんでしょ?ウチに。」

少女A 少女Bを無視し足を柵に掛ける。

少女B「止めて欲しいんでしょ?」

少女A 中途半端な体勢で

少女A「ねぇ、あなた誰なの?さっきから!アタシの邪魔ばかりして!」

少女B「邪魔?邪魔をしてるのはアンタじゃない。」

少女A 足を元に戻し

少女A「はぁ?いつアタシがあなたの邪魔したのよ!」

少女B「さっきから。そして今も。」

少女A「意味わかんない…さっぱりわからない…あなたイカれてんの?」

少女B「ふん!イカれてんのはアンタでしょ?バーカ!さっきからウチの視界

    を遮って!」

少女A「遮って?何の話?」

少女B「ウチはここでただ空を見ていただけ。この綺麗な青く澄んだ空を見て

    いただけ。そんな貴いウチの時間をアンタが台無しにしてくれたわけ。」

少女A「あなたの都合と、アタシの都合は違うのよ!」

少女B「まぁ、そりゃそうだ。」

少女A「だったら邪魔しないで。」

少女B「だったら早く飛び降りて。ウチの視界から消えて。せっかくの景色が

    台無しだから。」

少女A また大きくため息をつく 少女Bに背を向け 改めて柵に手を掛け足を掛け跨ごうとした時に突風が吹き 一瞬怯んでまた元の場所に戻ってしまう

少女B「フフッ…やっぱ止めて欲しいんだ。フフッ…」

少女A 少女Bを睨みつけ 思い切って柵を越える 建物の端に立ち 地上に目をやる すると急に足がすくみ その場にへなへなと座り込んでしまう

少女B「ハハハッ!早くとび降りろよ。早く!」

少女Aのカラダが震えはじめる

少女B「もう終わらせちゃえば。アンタのクソみたいな人生。」

少女A 震えが増していく

少女B「早くウチの視界から消えろよ!」

少女A「…クソみたいな人生って…あなたにアタシの何がわかるのよ…」

少女B「わかるようで…わからない…わからないようで…わかる…かな。」

少女A「…いったい…何が言いたいのよ!」

少女B「別に…。」

少女A「…」

少女B「…ただ…。」

少女A「…ただ?…何よ!」

少女B「ただ…アンタの人生ってつまんなかったんだろうなって…」

急に涙がこぼれる少女A 2人の間に風が通り過ぎてゆく

どこからともなく聞こえて来るお経 誰かを偲んでいる

そのお経の声がセミの鳴き声に変わっていく

2学期が始まった学校帰り アズキ、ルナ、リンが一緒にいる

ルナ「あー、今日も野村に言われちゃったよ。“高梨は落ち着きがない”って。

   ルナ、落ち着いてるのになー。」

リン「アイツの話にいちいち反応するからだよ。」

ルナ「でもさぁ。何か言いたくなっちゃうんだなー。」

リン「まぁ、それがルナっぽいけど。」

ルナ「何それ。」

リン「アズキ、そう思わない?」

アズキ「うん…。」

リン「ルナもアズキみたいに冷静沈着でいられるように頑張ってみれば。」

ルナ「だって育ちが違うもの!ルナん家とは比べものにならないでしょ?

   今日の晩御飯だってまたカレーだよ。3日続けてだよ。もう、飽きたよ。

   アズキの家はそんなことないでしょ?」

リン「リンの家もそんなんないけどね。」

リンとアズキ 笑う

ルナ「贅沢してられないんだって。ルナがしっかりしないと動物園みたいな家がまとまらないの。だから冷静キンチャクでいることなんて無理なの。」

リン「冷静チンチャクね。」

ルナ「そう、それ。」

アズキ「フフフ…。」

ルナ「アズキぃ、フフフって…。」

アズキ「ごめん、ごめん。」

ルナ「いいよなー、アズキは。」

アズキ「何が?」

ルナ「リッチで。」

アズキ「リッチ?」

ルナ「有名人の娘だもの。」

アズキ「そんなの関係ないよ。」

ルナ「関係大ありよー!じゃないとこんなに可愛くて頭の良い子は産まれませ

   ん!ねぇ、リン。」

リン「そりゃそうだ。」

アズキ「ちょっとー、アタシだってカレー3日続けて食べたことあるもん。」

ルナ「えー!嘘でしょ?」

アズキ「ホントだよ。」

リン「でも、ルナの3日とアズキの3日とは全然違うんだから。」

ルナ「何でよ?全く同じじゃない。」

リン「そういう問題じゃないのよ。カレーの質の問題。」

ルナ「カレーの質?」

アズキ「アタシん家は普通の…」

リン「有名ホテルとかで出てくるカレーでしょ?」

アズキ「いやっ、そんなこ…」

リン「ルナは?」

ルナ「…ポークカレー…」

リン「ほらね!もうここで決定的な差がひらいているのよ!」

アズキ「アタシもポーク…」

ルナ「じゃあ、リンの家は?」

リン「チキンカレー。」

ルナ「大差ないじゃない!」

リン「そうよ。ワタシたちは大差ないの。チキンとポークは。」

アズキ「ちょっとー。待っ…」

リン「チキンとポークはね、ビーフのところには行けないわけ。」

ルナ「何でよ?」

リン「ルナはスーパー行くでしょ?」

ルナ「うん、行くよ。」

リン「精肉コーナーで何の肉が一番高い?」

ルナ「牛…牛肉…ビーフ。」

リン「ほらね、そうなのよ!そういうことなのよ!」

ルナ「…確かに。」

アズキ「ちょっとー!2人とも…」

ルナ「あー!もうため息しか出ない…」

リン「そうでしょ?そうなのよ…」

アズキ「何も変わらないって。」

リン「アズキみたいにクラスの人気者じゃないし。」

ルナ「友達で居られることが奇跡かぁ。」

アズキ「ねぇねぇ、そういう変な空気作るのやめてよー。育った環境なんか関

    係ないじゃん!親のことも関係ないし!アタシひとりっ子で、リンと

    かルナみたいに兄弟いないし、いつも家でひとり…」

ルナ「あ!やばっ!ルナ今日晩御飯担当だった!」

リン「あ!私も急がないと!家庭教師来ちゃう!」

アズキ「えっ?」

ルナ「じゃあ、明日ね!アズキ!

リン「アズキ!また明日!愛してるぞ!」

急にせわしなくいなくなる ルナとリン

アズキは大きくため息をつき ベンチに座る

カバンからセーラムスリムライトとライターを取り出し あたりを見回す

誰もいないことを確認して タバコに火を点けようとするが ライターのガスがない タバコを箱に戻しつぶやく


アズキ「誰かわかってよ…」


雨が急に降り出す 誰もいなかった通りに足早に帰路へと急ぐ人々

ゆっくりとアズキは歩き出す コンビニに寄り ライスの普通盛りとライターを買う 店員は目を合わせようともしない

店員「220円になります。」

アズキ「PayPayで。プラスチックバックも。」

店員「料金変わりまして223円になります。」

スマホでタッチして会計をすます

目を合わせてこない店員は無愛想に言う

店員「ありがとうございました。」

マニュアル通りの挨拶に少しイラだつ

コンビニ上のマンション3階の自宅に戻るアズキ

アズキ「ただいま。」

相変わらず返答はない プラスチックバックをリビングのテーブルの上に置き

キッチンのシンクで手洗いうがいを済ます TVをつけテーブルの椅子に座る

夕方のニュース番組がやっていた

男性アナウンサー「川崎の繁華街で20代の男性が刃物のようなもので腹部を

         刺され出血多量で死亡した模様。警察は殺人事件と断定し

         防犯カメラに残された映像で犯人の行方を追っています。」

アズキはプラスチックバックからライターを取り出し セーラムスリムライトを換気扇の下で吸い始めた

女性アナウンサー「さあ、次はエンタメコーナーです。今年のカンヌ映画祭に

         て見事パルムドール賞監督賞を受賞した作品“サイレト・

         ハピネス”の監督、北村英治さんにインタビューしてきま

         した。」

アズキは換気扇に煙を吐きながら 父親のニュースを見ている

女性アナウンサー「北村さんが受賞されてから、作品の興行収入が国内はもち

         ろん、世界的に伸びていることに関してどう思われます

         か?」

北村英治「そうですね。素直に嬉しいです。この作品を受け入れてくれている

     オーディエンスが沢山いて。」

女性アナウンサー「ハリウッドで映画化の話もオファーがあると聞きましたが。」

北村英治「どっから仕入れたネタですか?いやいや、参ったな。ハハハ。ご想

     像にお任せします。」

女性アナウンサー「おー、ということはハリウッド進出?」

北村英治「今回の作品では、役者もスタッフ陣も頑張ってくれましたから、北

     村組のチームプレイと言いますか…」

アズキ「パパ…」

アズキはキッチンの棚からレトルトのビーフカレーを出し 電子レンジで温める タバコをシンクに捨て タイマーをじっと見つめる 「チン!」コンビニで買ってきたライスの普通盛りの上に温まったレトルトのビーフカレーをかける

アズキ「いただきます。」

その言葉が空しくリビングに響く

一口食べようとした時に リンとルナとの今日のやり取りを思い出し プッと吹き出す 

アズキ「確かに…ビーフカレーだわ…」


いつの間にか北村英治のインタビューが終わっていた

女性アナウンサー「次は明日のお天気です。」

TVを消し iphoneで音楽をかける

平井大のLife is Beautifulが流れ出す。リビングに響く彼の切ない声がアズキの琴線に触れ ビーフカレーを食べながら涙がこぼれた 虚しく孤独な時間にアズキの涙は止まらなかった


少女B「フフッ、で、そのビーフカレーは美味しかったわけ?」

少女A「美味しいわけないでしょ…」

少女B「フフッ…フフフフフッ…」

少女A 怪訝そうな目で少女Bを見ている

少女B「あ、ごめん。傷ついた?」

少女A「別に…」

2人の間の微妙な時間 カラスが鳴いている

少女B「アンタずっと一人だったんだ?」

少女A「…」

少女B「もし今飛び降りないで死ななかったら、今夜も一人なの?」

少女A「…毎度のことだから。」

少女B「そうか。でも今日死んじゃったら、有名人のパパママはパニクるね。」

少女A「…」

少女B「ニュースとかになっちゃうね。大騒ぎになっちゃうね。うわっ、凄い!

    未成年へのニグレクトだって確実にマスコミに叩かれるな。」

少女A「はぁ?」

少女B「だってそうじゃん!未成年者を育児放棄して!」

少女A「育児って…アタシ18だし。」

少女B「でもまだ高校生じゃん。卒業してないんだし。」

少女A「親いなくても、アタシ1人でちゃんと生きられるし…」

少女B「生きられるって…アンタ今日死ぬんでしょ?」

少女A「え?」

少女B「え?って。ハハッ!面白い奴だなアンタ!」

少女A「アナタ誰なの?」

少女B「あれ?ヤメたの死ぬの?」

少女A「誰なのよ?」

少女B「ヤメたんだ。やっぱり。」

少女A「どこの学生?制服着てるけど。」

少女B「どこでもないよ。」

少女A「はぁ?どこでもないのに制服着てるの?」

少女B「コスプレよ、コ・ス・プ・レ。」

少女A「同い年?」

少女B「どうだろう?何歳に見える?」

少女A「18?」

少女B「まぁ、そんなとこかな。」

少女A「ちょっと。人の話は聞いておいて、自分のことは話してくれないのね。」

少女B「アンタが勝手に話し出したのを、ただ聞いていただけよ。」

少女A「ムカつく…」

少女B「おっと!怒りの対象がウチになってきたか!いいね!アンタ死なない

    わ!いいことだ!」

少女A「アタシの気持ちは変わってない!」

少女B「うん。そういうことにしておく。」

少女A ため息をつき柵に手をかけ立ち上がる 少女Bに背を向ける

少女A「アナタ死のうと思ったことないの?」

少女B「ウチ?」

少女A「そう、アナタ。」

少女B「どうかなぁ…」

少女A「…そう。」

少女A 先端に立ち地面を見下ろす 足がまたわなわなと震えだす

目を閉じて 手を広げ 大きく息を吸った瞬間

少女B「ウチ…死んでるから…死のうと思う前に死んでるから。」

笑いだす少女A 少女Bの方へ振り返り

少女A「アナタさぁ、いい加減にしてよ!」

少女B「え?」

少女A「ムカつく!」

少女B「どうぞ!どうぞ!何とでも言って。」

少女A「…」

少女A 少女Bに背を向け また先端に立ち地面を見下ろす

目を閉じて 大きく手を広げ 大きく息を吸おうとした時にまた足が震えだし座り込んでしまう 太陽の光はジリジリとして アズキの肌を刺した


母「ただいまー。アズー!アズちゃん!いないのかしら?ただいまー!…まだ

  帰ってないみたい。あなたLINEしてみてよ。」

父「大丈夫だよ。子供じゃあるまいし。」

母「私たちの子供でしょ?心配じゃないの?」

父「大丈夫だよ。アズは。」

母「ちょっと!大丈夫なわけないでしょう。病人なんだから。」

北村英治はジャケットをテーブルの椅子に掛け ネクタイを緩め キッチンで手を洗い うがいをする

母「ねぇ、洗面所でやってよ!」

北村英治はその言葉を無視して TVをつける ニュース番組がやっている

アナウンサー「ニューヨークのブロードウェイでは劇場が再開し、少しずつ街

       に活気が戻ってきている模様です。」

父「ブロードウェイ再開したのか。」

風吹レイは北村英治の脱いだジャケットを椅子から取り寝室へ

北村英治は冷蔵庫から缶ビールを取り出し ソファーに座り ニュース番組を見ながら飲み始める ソファーの後ろに立っているアズキ

父「お。アズキいたのか?ただいま。お前の好きな博多通りもんと明太子買っ

  てきたぞ。」

アズキ「ありがとう。おかえりパパ。」

父「ブロードウェイ再開したんだってさ。」

アズキ「そうなんだ…」

父「いいぞニューヨークは。いつかお前も行って来い。」

アズキ「うん…」

沈黙 TVの音だけが空しく流れている

母「アズ!いたの?元気だった?」

アズキにハグする風吹レイ

アズキ「うん…まぁ…」

母「ちゃんとご飯食べてた?」

アズキ「うん…」

母「最近寝れてるの?」

アズキ「まぁまぁ…」

母「お薬はちゃんと飲んでる?」

アズキ「うん…」

父「レイ、風呂入れてくれ。」

風吹レイため息をつき 返事もせず風呂場へ

アズキ「パパ。」

父「ん?」

アズキ「今回はどれくらい家にいるの?」

父「今週末まではいるよ。来週から北海道。夕張で映画祭があるんだ。その後

  に山形。」

アズキ「またしばらくいないんだね?」

父「新作が好評でね。興行収入もぐんぐん伸びている。今ハリウッドからも映

  画化のオファー来ててさ、もしかしたら近々ロスに行くかもしれない。」

アズキ「…そう。」

父「凄いだろ?アズキ、冷蔵庫からビール取ってきて。」

冷蔵庫からビールを取り出し 北村英治に渡す

父「ママ心配してたけど大丈夫なんだろ?」

アズキ「うん…」

父「元気そうだもんな。」

アズキ「うん…あのね…パパ…」

父「…」

アズキ「パパ?」

ソファーで寝ている北村英治 父親の顔をただ見つめているアズキ

風吹レイが戻ってくる

母「いやだ…寝ちゃってんじゃない!もうお風呂入れてるのに。あなた!あな

  た!」

アズキ「ちょっと寝かせておいてあげなよ。」

母「このままここで寝るわよ、この人。」

アズキ「疲れてるみたいだから…お風呂沸くまで、いいんじゃない?」

北村英治の顔を見て 呆れている風吹レイ 冷蔵庫から缶ビールを取り出し

豪快に飲み始める

アズキ「現場が一緒だったの?」

母「違うわよ。たまたま帰りの空港で会ったの。だからそのまま一緒にタクシ

  ー乗って。」

アズキ「そうなんだ。一緒だったのかなって。」

母「まさか!一緒なんてことはもうないわよ。そんなの大昔の話よ。」

アズキ「ママはいるんでしょ?今回は。」

母「来週からまたいないのよ。京都で撮影。」

アズキ「…そうなんだ。」

風吹レイ 赤ワインをクーラーボックスから取り出し ワイングラスになみなみと注いで 飲み始める

母「パパはいるだろうから…」

アズキ「パパも来週からいないって…」

母「え!そうなの?」

アズキ「聞いてないの?」

母「聞いてない…いるって言ったからスケジュール入れたのに…」

赤ワインを飲み干す風吹レイ またなみなみとグラスに注ぐ

アズキ「一緒に帰ってきたのに?」

母「だってあの人ずっと誰かと電話してるし、私はメールで連絡取ってたりで

  全く話すような暇はなかったのよ。」

アズキ「そういうものなの?」

母「そういうものって?」

アズキ「夫婦って。」

母「…夫婦ね…なんか懐かしい響きね。」

赤ワインをまたグラスに注ぐ 風吹レイ

母「20年も経つと、こんなもんなんじゃない?」

アズキ「…」

母「あーあ、昔はもっと優しかったのにね、この人も。助監督やってた時は本

  当に優しかったのよ。監督になって賞とか取るようになって。人間って売

  れ出して周りから持て囃されるとわけわかんなくなっちゃうのかな…」

アズキ「…」

母「アズだけよ。ママの生き甲斐は。」

アズキに暑苦しく抱きつく風吹レイ 

母「ママのこと嫌いにならないでよー。」

酒臭いが久しぶりに母親の温もりに触れることができ 安心するアズキ

風吹レイの携帯が鳴る そそくさとアズキから離れて テーブルに置いた携帯を取る

母「もしもし…あー!水嶋監督!お久しぶりです!お元気ですか?ご無沙汰し

  ておりまして。えー…えー…来年の!…本当ですか?あらっ!嬉しい!え

  ー…えー…」

寝室に消えていく風吹レイ

アズキは風吹レイの飲みかけのワイングラスを見つめ 一口飲む

アズキ「…まずっ。」

北村英治はぐっすりとソファーで寝ている テーブルの上の博多通りもんの外袋を破き 箱を開け 一つ取り出す 一口食べると吐き気をもよおし キッチ

ンのシンクにそれを吐き出す シンク横に置いてあった抗うつ薬を口に入れ 水道水で流し込む キッチンの床に座り込むアズキ 家族が揃っているのに殺伐としているリビングルーム 

「オフロガワキマシタ」その音をきっかけに虚しさが増していくアズキ


アズキを待っているリンとルナ スマホでTik Tokを見ながらダンスの振付を真似ている

ルナ「これちょームズイんですけど。」

リン「最近この子達、ダンスのレベル上げてきてるよね。」

ルナ「ねー。これどうやってんの?こんなに腕回らないよ!」

リン「ホント理解不能。」

難しいと言いながら 楽しそうに踊っている2人

2人の前を通り過ぎるB組の小野寺綾夏 どこか影があり 背はすらりと高く痩せていて病的に肌が白い 2人の事を横目で見ながら不敵な笑みを浮かべる

ルナ「ねぇ。アイツ今こっち見て笑ってなかった?」

リン「ダメダメ!ルナ!目を合わせちゃ!」

ルナ「目なんか合わないよ。髪で隠れてて。」

立ち止まる小野寺綾夏 

ルナ「え?」

リン「無視してな!いなくなるまで。」

綾夏の髪の間から大きな目が見開いていて2人を凝視している

ルナ・リン「!」

2人の近くに座ろうとする小野寺綾夏

リン「あー!用事思い出したー!行こう、ルナ!」

ルナ「でも、アズキのこと待って…」

リン「ほら!あれよ!あれ!早く行かないと!…ね!」

小野寺綾夏とは目を合わせず 伏し目がちにその場から離れようとするリン

ルナを無理矢理引っ張っていく

ルナ「ねぇ、アズキそろそろ…」

リン「大きな声出さないで!後でLINEしとけばいいよ。」

小野寺綾夏から離れていく2人 カバンからワイヤレスイヤホンを出し 音楽

を聴き始める小野寺綾夏 アズキが急いでやってくる

アズキ「あれ…」

綾夏「あなたの友達なら、もういないわよ。」

アズキ「え?」

綾夏「私、小野寺綾夏。B組の。あなた北村アズキさんでしょ?」

アズキ「そうだけど…」

綾夏「はじめまして。私のこと知らないでしょう?私はあなたのこと知ってた

   けど。」

アズキ「…」

綾夏「ふふっ、そうよね。私存在感ないから。」


リン「焦ったあー。」

ルナ「はぁはぁ、疲れたよ。あんなに走らせて。」

リン「ごめん!ごめん!でもヤバかったなー!ホント焦ったよ。」

ルナ「何なのよ、あの子?」

リン「知らないの?」

ルナ「何が?」

リン「あの子と目が合うと不幸になるって噂。」

ルナ「そんなん聞いたことないよ。」

リン「あの子と目が合うと、その後階段から転げ落ちたりとか、チャリで転ん

   だりとか、バイクとぶつかったりだとか、車にはねられて重体になった

   子もいるんだから。」

ルナ「嘘だぁ。たまたまでしょ?」

リン「本当なのよ!階段転げ落ちたのはD組のトモミで、チャリで転んだのは

   B組の木村。」

ルナ「サッカー部の?」

リン「そう!バイクとぶつかったのはうちらのクラスのハルキ。重体になった

   のはC組の岩倉モエ。」

ルナ「ずいぶん詳しいのね。」

リン「だってみんな小6の時同じクラスだったから。」

ルナ「そうなんだ。でもなんで?あの子のせい?」

リン「お化け屋敷の住人だからよ。狐火坂の。」

ルナ「え!あの坂のうえのお化け屋敷?」

リン「そうそう!」

ルナ「うわっ!今鳥肌立った!えー!そうなんだ!」

リン「あの子の両親はもう亡くなってて、今はどっちかのおばあちゃんと一緒

   に住んでるらしいんだけど、その両親はあの屋敷で首吊りして亡くなっ

   たってもっぱらの噂よ。」

ルナ「え!」

リン「第一発見者があの子だって。」

ルナ「ホラーじゃん!」

リン「でしょ?普通そんなの見たら立ち直れないじゃん。でもあの子泣くこと

   もなく110番したらしいよ。」

ルナ「マジか!」

リン「あの子が殺した説もあるらしい。」

ルナ「え!でも、それ、いくらなんでも小6の子に無理でしょ。」

リン「自殺の原因が謎らしいのよ。」

ルナ「怖っ!」

リン「あの子きっと呪われてんのよ。あの子から漂ってくる冷気は尋常じゃな

   いもの。」

ルナ「ちょっとやめてよ。今日寝れなくなるじゃない!」

アズキの連絡するのも忘れ 盛り上がりながら帰っていく2人


綾夏「あなた具合でも悪いの?」

アズキ「え…別に…何で?」

綾夏「顔色悪いから。」

アズキ「…あなたの方こそ…」

綾夏「ねぇ、あなたあの薬飲んでるでしょ?」

アズキ「…あの薬?」

綾夏「フフッ…」

アズキ「!」

綾夏「やっぱり。わかるんだ私。」

アズキ「…」

綾夏「私も飲んでるから。」

小野寺綾夏をまじまじと見るアズキ

綾夏「あなたさえ良ければ、今度ゆっくり話でもしない?あなたと私、似たと

   ころがありそうだし。」

アズキ、小野寺綾夏から目をそらす

綾夏「まぁ、いいわ。あなたからしたら、今日ははじめましてだしね。はい、

   これ…私の住所と電話番号。気が向いたら連絡して。待ってる。」

アズキに紙を渡す小野寺綾夏

綾夏「じゃあね、北村アズキさん。また会う日まで。」

去って行く小野寺綾夏 なんともいえない不思議な時間に困惑するアズキ

渡された紙を見るアズキ

アズキ「狐火坂…」


少女A「え?アナタもしかして小野寺さん?」

少女B「え?」

少女A「小野寺さんのオバケ?オバケの小野寺さん?」

少女B「そう、やっとわかった?」

少女A柵を越え少女Bに近づき凝視する

少女A「ん?でも足あるしなぁ。顔も全然似てないし。」

少女B「整形したから。っていうかアンタ死ぬのやめたの?シラーっと柵越え

    てきてさぁ…」

少女A「整形?…やっぱり違うじゃない!なんでわかった?とか言ったのよ!

    …彼女にはそんな時間なかったんだから…」

少女B「冗談よ!冗談!アンタ、例の薬の飲み過ぎで頭固くなりすぎちゃって

    んじゃない?リラックスなさいよ、少しは。」

少女A「リラックスできてたらこんなとこ来てないわよ!」

少女B「イライラしないの!そんなんで死んだってろくなことないよ。ねぇ、

    でもなんでウチがその子だと思ったわけ?」

少女A「だって…さっき言ってたでしょ?死んでるって。死のうと思う前に死

    んでるって。」

少女B「…」

少女A深く深呼吸をして コンクリートの上に寝転がり 空を見つめる

少女B「気持ちよさそうね。ウチも。」

空を見つめる2人

少女A「何で死んじゃったのかな?」

少女B「…」

少女A「何で死んじゃったんだろう?」

少女B「…」

少女A「小野寺さんは…何で?」

少女B「…」

少女A「痛くなかったのかなぁ…」

少女B「…」

少女A「話をしようと思って、家に行ったのに…」

少女B「…」

夏の終わりの大きな入道雲がゆっくりと2人の視界を通りすぎてゆく


その日、アズキはいつものようにまた1人でいた ルナもリンも先に帰ってしまったし 家に帰っても誰もいない あの日以来、顔を見なくなった小野寺綾夏に急に会おうと思った 小野寺綾夏がくれた紙を見ながら 彼女の家に向かう

アズキ「ここだ…」

狐火坂にあるお屋敷 大きな門の横にあるインターフォンを押してみるが応答がない その門の隣の戸を押してみると鍵はかかっておらず 中に入ってみる

広い庭の先に大きな玄関があり ノックを何度かしてみるが応答がない

アズキ「小野寺さん!…北村だけど…いますか?小野寺さん!北村アズキだけ

    ど!」

応答はない ドアノブに手をかけ回してみるとまた鍵がかかっておらず 中に入ってみる 

アズキ「小野寺さん!北村アズキだけど…いますか?」

応答はない アズキはそのまま中に入る

アズキ「おじゃま…しまーす。」

廊下を進む まだ靴を脱がなくても良いみたいだ 廊下の先に応接間がある

薄暗くシンとしていて冷たい空気 鼻に付くような酸っぱい匂いが充満している 左手に階段があり2階に続いていた その階段のエッジに何かがゆらゆらと揺れていた スマホで照らしてみる

アズキ「!」

小野寺綾夏だ 小野寺綾夏が首を吊っている 身体が固まって脂汗が出てきた

早く110番しないと、と思うが身体が思うように動かない 首を吊って死んでいる小野寺綾夏は スマホの光で青白く光っていた 床に目をやると白い粒がたくさん落ちていた アズキが飲んでいるのと同じ薬が めまいがするアズキ

アズキ「しっかりしなくちゃ…しっかりしないと…」

と心の中で自分自身に何度も話し続けた ようやく息ができるようになったアズキは110番する

アズキ「人が…友達が…死んでるんです…首を吊って。はい…はい…住所は…狐火坂の…」


アズキは警察が来るまでの間 腰を抜かしていて床から立つことができないでいた 首を吊って揺れている小野寺綾夏 その下に無数にある散乱していた自分と同じ薬 アズキの心の傷はさらに深く深く広がっていった


北村家 北村英治、風吹レイがリビングで顔を合わせている

レイ「無理を言ってスケジュール変更してもらったのよ。」

赤ワインを飲んでいる風吹レイ

英治「俺だって、無理矢理帰って来たよ。後はキャストに任せて。」

ビールを飲んでいる北村英治

レイ「ねぇ、あなたもアズのことちゃんと見てあげてよ。」

英治「お前こそ、ちゃんと見てろよ。母親なんだから。」

レイ「母親なんだから?何?え?あなたは父親でしょ!あたしばかりに…」

英治「警察沙汰にまでなって、明日マスコミが家の前に押しかけるぞ!」

レイ「慣れたもんでしょ!」

だまりこむ北村英治 ピーナッツを頬張り ビールで流し込む

赤ワインを飲み干す風吹レイ 新しいワインボトルをワインセラーから取り出しコルクを開け ワイングラスになみなみと注ぐ

レイ「あなたはいつもそう。都合が悪くなるとだんまりを決め込んで。父親と

   しての自覚はあるの?まさか自分は良いパパだとでも思ってるわけ?」

北村英治、冷蔵庫から缶ビールを取り飲み始める

レイ「良い作品は創れても、良い家庭は築けないってわけね?」

英治「どの口が言うよ。」

北村英治、冷蔵庫からチーズを取り出し ナイフで切り それを皿に盛り テーブルの上に置く 一切れ取り口に運ぶ風吹レイ すかさず赤ワインを流し込む

レイ「とにかく、アズが退院するまで、2人でそばにいてあげない?」

英治「明後日からロスだから。」

レイ「はぁ?あたしだって水嶋作品の撮影中よ!自分の娘が大変な時に、日本

   にもいないの?目の前で首吊りの死体見たのよ!やばいのよ精神的に!」

英治「しょうがないだろ…お前がしっかり支えてやれよ。」

レイ「今回は2人で支えなくちゃやばいって言ってるの!ただでさえ不安定な

   のに!」

英治「ハリウッドで作品作れるんだよ!またとない機会なんだよ!」

レイ「そんなに自分のキャリアが大事なの?」

英治「お前に言われたくないね。」

レイ「あたしは…」

英治「とにかく!もう決まっているんだ!予定は変更できない!」

レイ「…呆れた。」

2人とも手元にある酒を一気に飲み干し またそれぞれの酒を飲みだす

沈黙に包まれる北村家のリビングルーム

英治「とにかく、マスコミの対応は俺のマネージャーに一任しておくから。」

レイ「何?またその俺はちゃんとやってる感。はぁ、本当にイライラす…」

北村英治と風吹レイの携帯が同時に鳴り出す

英治「Hey! Steven! How are you doin’?...」

レイ「あーっ!水嶋監督!ご心配かけまして申し訳ございません。娘はだいぶ

   落ち着いておりまして…」

少女B「アンタの両親最低ね。」

少女A「最低なんだけどね…」

少女B「けど?」

少女A「嫌いになれないんだよね…」

少女B「ウチだったら家出するな。」

少女A「親なんだよ、結局。血の繋がってる。」

少女B「…」

少女A「小さい時はね、本当に楽しかった。家族3人で色んなところへ行った。

    北海道から沖縄まで。小学生の頃までは楽しい思い出しかなかったの。」

少女B「ウチなんて京都すら行ったことないよ。」

少女A「京都はよく行ったよ。ママが撮影してたし。撮影所にも行った。」

少女B「アンタ恵まれてるじゃん。」

少女A「その頃だけよ。」

少女B「京都かぁ…行ってみたかったなぁ…」

少女A「でも小学…6年生の時が最後かな。急にパパとママが仲悪くなって…」

少女B「パパが浮気でもしたの?」

少女A「ママが最初だった。それからパパ。」

少女B「やるね、アンタのママ。」


少女A「本当はもっと前からそうだったのかもしれない。アタシが気づいてい

    なかっただけで。」

少女B「知らなくていいことも…あるよ。」

少女A「…そうだね。」

少女B「あれ!どうした急に素直になって。」

少女A「…」

少女B「で、アンタそれから学校行ったの?」

少女A「…」

少女B「行かなくなったんだ?」

少女A「…一度だけ行った。」

小野寺綾夏の首吊り自殺の件はマスコミでも大きく取り上げられ 北村英治も風吹レイも世間の冷たい風当たりを受けることとなった 北村英治のハリウッドでの野望は頓挫し 風吹レイは水嶋作品を降板することとなった

アズキは精神的にも体力的にも衰弱が激しく およそ1ヶ月ほど病院に入院した 世間から毒親といわれるようになった両親はマスコミの格好の餌食になり見舞いにも行けない状態が続いた 実際見舞いに来たのは担任の野村徹だけで

リンもルナも一度もアズキを訪ねてこなかった


リン「あーっ、今日も家庭教師の日じゃん。」

ルナ「勉強頑張ってるよね、リン。」

リン「受験なんてなんであるんだろう。もう勉強ウザい。」

ルナ「しょうがないでしょ、進学組なんだから。」

リン「向いてないよの…」

ルナ「その割には点数いいじゃん。」

リン「たまたまよ、たまたま。」

ルナ「たまたまって…あ!今日夕食当番だった!何作ろう。材料買って帰んな

   くちゃ。」

リン「いいじゃん、またカレーで。ポークカレー。」

ルナ「ちょっと。いつもいつもカレー作ってるわけじゃないんだから!こう見

   えて肉じゃかとパスタとか結構作るし。」

リン「いがーい!」

ルナ「ポークカレーだけ作ってると思わないで。あ…」

リン「ん?」

ルナ「…アズキ…元気かな?」

リン「…」

ルナ「ワタシたち、お見舞いも行ってなくて…いいのかな?」

リン「何が?」

ルナ「友達として…」

リン「…しょうがないよ。」

ルナ「だってもう1ヶ月くらいになるよ、アズキ入院して。」

リン「だね…」

ルナ「心配じゃない?」

リン「ワタシたちが心配したところで、アズキがすぐ元気になるわけじゃない

   んだし。」

ルナ「なんであのお化け屋敷に行ったのかな?」

リン「あの子と目を合わせちゃったんじゃない。」

ルナ「え!小野寺綾夏と!」

リン「それで呪いにかけられて…」

ルナ「そんなわけ…」

リン「だって普通だったらあの冷静沈着なアズキが、わざわざあのお化け屋敷

   に行かないと思わない?」

ルナ「まぁ。」

リン「あの子から出ている冷気みたいなものは、この世のものじゃないからよ。」

ルナ「うぉっ!今寒気した!」

リン「ワタシたちも危なかったかもね…」

ルナ「怖いこと言わないでよ。」

リン「もしかして…」

ルナ「もしかして?」

リン「アズキがあの子を殺したのかもしれない…」

ルナ「なわけないでしょ!」

リン「呪いかけられてさぁ、アズキがあの子の首絞めて…」

ルナ「やめなさいよ!」

リン「ロープを首にかけて、2階から…」

ルナ「リン、ホラー映画観すぎ!」

リン「とにかく!心苦しいけど、アズキとは距離を置こう。」

ルナ「どうして?」

リン「冷静になって考えてみて。ワタシは受験もある。ルナは就職もある。今、

   アズキと関わったら内申に響くわよ。」

ルナ「それは…」

リン「噂によると、殺人容疑をかけられてて、24時間警察が病室を監視して

   るって…」

ルナ「殺人容疑?」

リン「そう。殺人容疑。」

ルナ「だって小野寺綾夏は自殺なんでしょ?」

リン「表向きはね。あの子が自殺した時間とアズキがあのお化け屋敷に行った

   時間がほぼ同じなんだって。」

ルナ「えーっ!」

リン「あまり大きく報道されてないけどね。ワイドショーでは、アズキの親が

   毒親だってっていう方がメインになってるし。」

ルナ「リンはなんでそんなに詳しいの?」

リン「ママから聞いたから。とにかく、アズキとは距離置いておこう。変に巻

   き込まれると色々困るし。」

ルナ「…うん。」

リン「やばっ!もうこんな時間!遅刻するよ!」

ルナ「5限始まる1分前!」

足早に歩く2人 その前に生気を失って ゆっくり歩いているアズキがいる

ルナ「アズキ!」

リン「!」

アズキ「あ。ルナ。リン。」

リン「ルナ、行くよ!」

2人はアズキと目を合わせることなく足早に教室に向かう

アズキ「ルナ。リン。ねぇ…」


教室に入ると クラスメートの冷たい目線を一気に浴び ルナとリンからも無視された 「人殺し!人殺し!」と、クラスの皆の心の声が 教室全体に響いている気がした 耐えきれず アズキは教室を飛び出し 廊下を思いっきり走った 階段で足を踏み外し 転げ落ち 左の肘と膝を擦りむき 背中に鈍痛を覚えた

野村「北村!大丈夫か?」

アズキ「…」

アズキは今にも溢れそうな涙を我慢して 立ち上がりまた走り出した

野村「おい!北村!」

アズキは思いっきり走った 校門を出てからも「人殺し!」という声がアズキを苦しめ その声はアズキの頭の中で増大していった

アズキ「やめて!」

人気のない通りで へなへなと座り込むアズキ 涙がどっと溢れ出した

地面に前屈みになり コンクリートに涙がこぼれ落ちていく 声にもならずひくひくと体を震わせながら 耳を塞いだ 

アズキ「やめて!…やめ…て…」

擦りむいた肘と膝から血が滲み 制服のシャツを赤く染めた

主婦「大丈夫?」

買い物帰りの主婦がアズキに声をかける

主婦「大丈夫?どうしたの?怪我でもしたの?救急車呼ぼうか?」

アズキ「大丈夫です…なんでもありません…すいません…」

立ち上がり 足早に駆け出すアズキ

主婦「ねぇ!ちょっと!」

アズキはただ走った

マンションに着き セキュリティを開け エレベーターで3階へ

玄関の前にしばし立ちすくみ 我に帰り カバンの中から鍵を取り出し中に入る 内鍵を閉めるとそのまま冷たい大理石の床に突っ伏し 思考を止めた


どれくらいの時間が過ぎたのだろう 

アズキ「た…だ…い…ま…」

やっとのことで仰向けになり 声が出た

膝を曲げ靴を脱ぐ そのまま靴下を脱ぎ 床を手で押して上半身を起こし 壁に手をつき やっとのことで立ち上がる 

身体のベトつきが気になり 浴室に向かう 制服と下着を洗濯機の中に入れ 浴室に入り シャワーを浴びる 学校の階段で転げ落ちた時に擦りむいた左の肘と膝に冷水がしみる タオルで全身を包み 適当に拭いた後 部屋に行きTシャツと青いスウェットパンツに着替え キッチンへ行き 換気扇の下でセーラムスリムライトを吸う 久しぶりに吸ったせいか咳き込むアズキ

キッチンの棚から薬を取り出し 水道水でそれを流し込む

キッチンの床にへなへなと座り込み また時間だけが淡々と過ぎていく

タバコの火はとっくに消えている 

玄関のチャイムが鳴る 無視するアズキ また鳴るチャイム リビングにあるモニターを遠目から見ると 玄関の前に スーツを着た男が立っている

モニターに近づき その映像を見ると 担任の野村徹だった

またチャイムが鳴る

アズキ「…はい」

野村「北村か?」

アズキ「あ…はい…」

野村「大丈夫か?」

アズキ「はい…」

野村「学校に連絡があったんだ。主婦の人から。道路にうずくまって泣いてた

子がいるって。うちの生徒だって。」

アズキ「…」

野村「少し話せないか?」

アズキ「えっ…」

野村「2、3分でいいから。」

アズキ「ちょっと待っててください。」


アズキはセーラムライトと薬を棚の中に入れ 吸い殻をシンクに捨て 水道水で口をすすぎ ゴムで髪を結んだ そして急いで浴室へ行き バスタオルをは

おり 玄関のドアを開けた

アズキ「どうぞ。」

野村「いいよ、ここで。」

アズキ「先生を立たせているわけにもいかないので。」

野村「じゃあ…」

野村徹をリビングルームに通し ソファに座らせ 冷蔵庫からペットボトルのお茶を出す

アズキ「こんなのしかないですが。」

野村「ありがとう。」

アズキは目を合わせたくなかったので 野村徹の隣に間隔を置いて座った

野村「ずいぶんと広いリビングルームだね。」

アズキ「まぁ…」

野村「うちはここの3分の1くらいだよ。」

作り笑いをするアズキ

野村「ご両親は?」

アズキ「いろいろと忙しいみたいで…」

野村「あんなことがあったのに一緒にいてあげないなんて…」

アズキ「もう、慣れっこですから。」

野村「慣れっこって。そんなことに慣れちゃダメだよ。」

アズキ「…」

野村「今日は大変だったな…皆にとっても、小野寺の自殺は衝撃的だったんだ。

今、皆んな受験や就職もあってとても過敏になってる。」

アズキの耳には 遠くから「人殺し!」という声が聞こえてくる

野村「落ち着いたらまた来ればいい。」

「人殺し!」「人殺し!」声が大きくなってくる 「人殺し!」

野村「いつでも待って…」

アズキ「あー!やめて!違う!アタシは人殺しじゃない!」

野村「どうした、北村?」

アズキ「違う!殺してなんかいない!違う!違う!アタシは何もしてない!」

野村「おい!北村!どうした!しっかりしろ!」

アズキ「アタシが行ったらもう死んでたの!アタシが行ったら死んでたのよ!」

野村徹 アズキの肩に手を置いて

野村「北村!深呼吸!深呼吸しろ!ゆっくり息を吸って!そうそう。」

野村徹の胸に顔を埋めるアズキ アズキの背中に手を回し 背中を優しく叩く野村徹

野村「そうだ。ゆっくりはいて。」

アズキがゆっくりと呼吸をしだす

野村「そうだ。その調子だ。ゆっくり吸って、そう、ゆっくりはいて。」

徐々に落ち着きを取り戻すアズキ 「人殺し!」の声が遠のいていく

アズキ「ありがとう…先生。」

野村「大丈夫か?」

アズキ「もう少し…このままにしてていい?」

野村「…いいよ。」

アズキ「ありがとう…」

人肌に触れたのはいつぶりだろう?もう何年も人とハグをしたこともない

野村徹の筋肉質の硬い身体が 今 自分だけを包み込んでくれているみたいで

束の間の平穏に安堵するアズキ 

野村「北村..」

野村徹はアズキを強く抱きしめ始め アズキの唇に自分の唇を重ねた 

アズキ「なんで?」

野村「あ…ごめん…」

アズキ「先生…どうして?」

野村「いや…つい…」

アズキ「やめてよ!」

野村「え!」

野村徹の左頬を平手打ちするアズキ 

野村「いや、誤解なんだ北村。これは…」

アズキ「触らないで!」

野村徹の腕を払い除け 咄嗟にキッチンに向かうアズキ 

野村「だから誤解なんだって…」

アズキ「近寄らないで!」

アズキはキッチンから咄嗟に取った果物ナイフを野村徹の左胸に突き刺した

野村「!」

床に倒れ込み やってきた痛みにのたうちまわる野村徹

野村「北村…」

アズキ「!」

野村「救急車…」

アズキの耳に戻ってくるクラスメートたちの「人殺し!」の声 野村徹の声とそれが合わさり ワナワナと震えるアズキ 気が動転して 自分のマンションを飛び出す そしてただただ走る わけもわからずただ走る 目の前に見えてきたこれから廃墟になる団地に吸い寄せられ 階段を思い切り駆け上り屋上にたどり着いた

少女B「それでここにきたんだ。」

少女A「うん。」

少女B「ウチはジェットコースターに乗った気分だよ。アンタの話聞いてたら。」

少女A「先生大丈夫かな…」

少女B「帰って見てくる?」

首を横に振る少女A

少女B「そう。」


過ぎいく時間 もうすぐ日が暮れようとしている 夕日が2人を照らす


少女A「そういえばお互い自己紹介してなかったね。」

少女B「そうだね。」

少女A「アタシは北村アズキ。18歳。アナタは?」

少女B「ベニ。村上紅。10…18歳。」

少女A「同い年だったんだ?どこの高校?

少女B「…行ってない。」

少女A「でも、制服きてるじゃない。」

少女B「うん…なんとなく…年相応にしようと思って…」

少女A「変なの。」

少女B「ねぇ。」

少女A「うん?」

少女B「ウチのこと覚えてる?」

少女A「アナタのこと?え?会ったことあったっけ?」

少女B「うん。だいぶ昔だけど。」

少女A「昔っていつ?」

少女B「7年くらい前かな?」

少女A「7年前?ん?小学6年?」

少女B「同じ小学校だったんだよ。」

少女A「え!嘘!桜ヶ丘小?」

少女B「そう。」

少女A「え!何組?アタシは6年4組。」

少女B「ウチは2組。」

少女A「え?同じクラスになったことある?」

少女B「4年生の時に。ウチ転校してきたから。」

少女A「福山先生の時?」

少女B「そう。」

少女A「転校生?」

少女Bうん。」

少女A「村上さん…村上紅…村上!?」

アズキは紅の顔を思い出した 濃い眉毛 黒くてショートの髪型 背は普通で割とガタイが良くて 運動会の対抗リレーでいつも1位になってた子だ

少女A「村上さん!…え…でも…アナタ…」

アズキは小学6年生の時に 初めてお葬式に出たことを思い出した

村上紅 確か彼女は白血病で亡くなった え?なんで今ここに

少女B「ウチはもう死んでるの。」

少女A「…」

少女B「さっき死んでるって言ったんだけど、アンタ興奮してたからさ。」

少女A「なんで?」

少女B「え?」

少女A「なんでここにいるの?」

少女B「アンタにお礼が言いたくてさ。」

少女A「お礼?」

少女B「そう、お礼。」

少女A「アタシ、何もしてないし、アナタと話したことも覚えてない。」

少女B「そうね。確かに。話したことは一度もなかったね。」

少女A「じゃあ何で?」

少女B「アンタ笑ってくれたから。ウチの遺影の写真見て。クスって。」

村上紅のお葬式を思い出すアズキ 6年生全員が村上家に集まって 2人ずつ遺影と棺桶に向かって焼香した その時遺影の写真を見て アズキはクスッと笑ったのだ

少女B「ウチ嬉しかったんだ、あの時。まぁ、もちろん死んでるんだから、直

接見えてたわけではないんだけどね。なんていうか、ウチの魂ってい

うのかな…あの写真の上の方からね、皆んなのことが見えてたんだよ。

なんだか説明難しいんだけど。」

少女A「…」

少女B「皆んながさぁ、あの時暗い雰囲気で、泣き声が外まで響いているよう

な感じで、ウチ死んでるのに、すごく嫌だったわけ。あの重苦しい空

気が。確かにね、白血病って診断されてからウチも笑ってなかった。

3ヶ月くらい。もう絶望の毎日だった。治療も本当に嫌だったし…

12歳の子には地獄だよ。あーあー、走るのも大好きだったから中学

行ったら陸上部に入って、大会とか出たかった。高校になったらまた

陸上続けて、年上の先輩なんかと付き合ったりして、恋愛もしたかっ

たなー。そんなことを毎日病院のベッドで考えてたら、いつの間にか

死んでた。」

少女A「…」

少女B「あれやっておけば良かったとか、ここ行っておけば良かったとか、美

味しいものもっと食べておけば良かったとか、後悔する間もなく死ん

じゃってた。だから、あのお葬式の光景を見ていたら、死んでいるの

にまた絶望を感じちゃって…そんな時、アズキがクスッて笑ってくれ

たのよ。クスって。」

少女A「ごめんなさい。」

少女B「あやまらないでよ!ウチは本当に嬉しかったんだから!一瞬だけだけ

ど、あの場が明るくなったのよ!ねぇ、なんであの時笑ったの?クス

って?」

少女A「え?」

少女B「笑った理由。」

少女A「え…」

少女B「なんかあるでしょ?普通お葬式では笑わないんだから。」

少女A「怒らない?」

少女B「たぶん。」

少女A「たぶん?」

少女B「たぶん…嘘!怒らない。」

少女A「遺影の写真…」

少女B「写真?」

少女A「遺影の写真のアナタの顔が…」

少女B「顔が?」

少女A「…デカかったから。」

少女B「デカか…って。それが理由?」

少女A「…そう。」

少女B「フッ、フフフッ…フフ…ハッハァー!」

少女A「怒った…よね?」

少女B「アズキ、アンタやっぱり最高だな!」

少女A「え?」

少女B「ありがとう。」

少女A「えっ?」

少女B「本当にありがとう。」

少女A「…」

少女B「キミが笑ってくれたから、ウチは幸せだ。」

少女A「…」

少女B「キミの笑顔は素敵だよ。そして、その笑い声も。」

少女A「…」

少女B「大切にね。自分のこと。キミが笑って、たくさんの人を幸せにして。」

少女A「紅…」

少女B「話せて楽しかった。ありがとう。本当にありがとう。アズキ。」


夕日が消えていくと同時に 紅の姿も消えてなくなった


アズキ「紅!紅!」


アズキは泣きそうになったが もう出る涙も残っていなかった

泣けない自分が何故か可笑しくて クスッと笑うと 街の灯りがついていった

月明かりに照らされて アズキは1人屋上で佇んでいた


#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門

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