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麗しき者 第9話

9.苦味
 サンドバッグにパンチを撃ち込む。ワン、トゥー。ワン、トゥー。ワン、トゥー、フック、ストレート。
武蔵監督の新作映画の撮影はもうすぐ、俺はボクシングを続けていた。タバコもやめて、酒も節制するようになった。「槇さん、なかなかいいすよ!もっと脇しめて。そうそう!一年でかなりの成長ですねー。」とジムのオーナーの村田に褒められた。「ありがとうございます。来月、撮影あるから、頑張んないと。」3分のゴングが鳴る。「へぇー、それは楽しみだ。」40秒のインターバルはすぐ終わる。ワン、トゥー。
「次、ミットやりましょう。それ終わったら。」「はい。」ワン、トゥー、フック。自分のパンチをサンドバッグに打ち込みながらあの日のことを思い出していた。尚美が幹太を連れて実家へ帰ってしまった日のこと。携帯には尚美からの着信が20回も入っていた。尚美には付き合ってから散々言われ続けていた。「一回でも浮気したら別れるからね。」尚美の母親が父親の浮気で苦労していたのを目の当たりに見ていたのがトラウマになっていたのに…俺は…ゴングがなる。「さぁー、ミットいきましょう!」
 家へ帰ると事務所から武蔵作品の台本が届いていた。シャワーを浴び、カップヌードルを食べながら読み始める。え?上田俊平?前回の武蔵作品の乱闘シーンをして、俺のことをバカにしていたあいつが準主役?それも役的に格上の直参の俺がボコボコにされるシーンがある。なんだよ…ボクシングして良い気分で帰ってきたのに、気持ちが冷め出した。冷蔵庫を開けビールを取り出す。なんだよ…なんの努力だよ。一気に飲み干したビールの苦さが身体中を駆け巡った。

#創作大賞2024
#お仕事小説部門

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