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麗しき者 第5話

5.新たなる一歩
 カーテンの隙間から強い日差しが差し込んでいる。8時45分。布団から出て、窓を開け狭いベランダでタバコを吸う。だるい。眩しい太陽の光が「お前しっかりしろよ。」と言わんばかりに、俺を照らしてくる。
昨日も飲み過ぎた。宅飲みもほどほどにしないとな。
 キッチンへ行き、玉子雑炊を作る。基本ズボラだが料理は嫌いじゃない。その時だけ無心になれるから。
冷凍ご飯をレンジで温めている間に、鍋にダシと水を入れて火にかける。レンジから取り出したご飯を沸騰した鍋に入れ、ネギを刻む。鍋に溶いた卵を回し入れ、ネギを入れて完成。茶碗に盛った時に海苔をちらす。「いただきます。」二日酔いの身体に染みる。
食べている途中で携帯が鳴る。尚美からだ。「もしもし…」「もしもし、今日幹太のお迎え頼める?夕方に新規のお客さん入っちゃって。19時には終わるからそれまで預かってもらえると助かる。」「わかった。」「じゃあよろしく。」尚美の言葉は淡々としていた。というより、離婚してからずっと淡々としている。しょうがないことなんだろうけど、どこか寂しさを感じる。玉子雑炊を食べおわり、インスタントコーヒーを入れ、またベランダでタバコを吸う。爽やかな風が一瞬疲れ切っている俺を癒してくれる。ブルルル。また携帯がなる。マネージャーの森下さんからだった。「おはよう、槇ちゃん。今大丈夫?」「おはようございます。はい、大丈夫です。」「7月8月のスケジュールどうかな?武蔵監督の新作映画の案件なんだけど。」「空いてますよ、もちろん。」「だよね。じゃあOKだしとく。」「ありがとうございます。」「あ、それと、監督から身体鍛えておいてって。この前よりハードなヤクザ映画になるからって。」「はぁ…」「じゃあ、よろしくね。」案件は来るたびに嬉しいが、今回は条件付きだ。「槇ちゃんさぁ、ちょっと言いづらいんだけど。最近役者としての質落ちてるよ。惰性でやってない?まあ、昔からのよしみで使ってるけどさぁ。周りのスタッフも気づいてるよ。心ここにあらずじゃ、作品にも傷がつく。確かに大人数の中の1人かもしれないけど、空気感はみんなで作っていかないと成立しないのよ。どうにかしてよ。槇ちゃん個人的に呼んでる手前、俺の顔に泥塗られても困るのよ。次回から頼んだよ。本当にね。」」あの時の撮影で武蔵監督に言われたことを思い出した。それでも声を掛けてくれる監督には頭が上がらない。居ても立っても居られなくなり外に出る。見慣れた千歳船橋の街を当てもなく歩く。昼前なのに商店街は賑わっており、少し人がいない方へ進む。環八を越え祖師ヶ谷大蔵方面に差し掛かった時、とある看板が目に入ってきた。「チトフナボクシングジム 午前中会員募集中 体力作りダイエットの方も大歓迎 無料体験あり」
 次の瞬間、そのジムの扉を開けている自分がいた。
「すいません…」返事がない。「すいません!」ジャーッ。トイレの流れる音が聞こえ40代くらいのジャージ姿の人の良さそうな男が現れる。「はい、なんでしょう?」「あの、看板見たんですけど…」「あー、体験の方?どうぞどうぞ!」「あ、いや、今日は何も用意してなくて。」「いやいや、うちは何でもありますから!ちょうどいいじゃないですか、Tシャツとスウェットで!是非体験してってください!丁度暇だったし!わたし、会長の村田といいます!あ、シューズそこにあるのどれでもサイズ合えば!」目の前にあった27cmの青のシューズを選ぶ。「じゃあまず縄跳びからやってみますか!そこにかかってるの好きなの取ってください!1ラウンド分。3分間を2セットしましょう!」ゴングの音がなる。縄跳び。いつ振りだ?小学生の時以来では。簡単のように見えてなかなか続かない。手首は辛いし、それプラス体力がない。「片足ずつもやってみましょう!」片足ずつ?え?ロープが足につかえる。「最初はそんなもんですよ!慣れてきますから!」村田はニコニコしながらこちらを見ている。汗が全身から吹き出し着ていたTシャツが早くもビシャビシャになった。ゴングの音。「じゃあ40秒休憩で。」はぁはぁ。息がキツい。タバコ吸ってる場合じゃない。カーン。2ラウンド目の縄跳び。片足ずつが少し慣れてくる。が、足が思い。うー、3分ってこんなに長いのか。ゴングの音。「あ、タオル良かったら使ってください。じゃあ、40秒後にシャドーやりましょう。」カーン。「まず、右足後ろで肩幅くらい開いて左足前。左足のつま先と右足の踵が一直線で。そのテープに合わせてみて。そうそう。それで足踏み。フットワーク軽く。そうそう。そしたら左足に乗って、ジャブ!そうそう。左足踏んだ時に左手が出る。ジャブ!そうそう。何回かやってみましょう。」
「そしたら今度、ジャブ出して、その時右手を引いて腰をひねって右ストレート!左手出したら右手弓矢引くみたいに出す!そうそう。ワン、ツー!いいですよー。ワン、ツー!」ゴングの音。それから俺はもう1ラウンドシャドーをして。リングで村田会長とミット打ちを2ラウンドやった。それからミットでやったことを復習するためにサンドバッグを2ラウンドして、全然出来なかったがパンチングボールを2ラウンドやった。身体の疲れは限界だったが何故か心は晴れやかだった。こんな気分は何年振りに味わっただろうか。
「いやー、頑張りましたねー!良かったらまた来てください!これね申し込み書。次来る時あったら、シューズとタオルと軍手ね、持ってきてくださいね。今日はお疲れ様でした!」俺は村田会長に一礼し、ジムを出た。家へ帰りシャワーを浴びる。気分はシルベスタ・スタローンだった。
 幹太を小学校に迎えに行く。「パパ!」抱きついてくる幹太。何度もこのシーンを体験してるが、何回も嬉しくて泣きそうになる。「学校どうだった?」「うん、今日はね絵を描いてほめられたんだ。」「何の絵を描いたの?」「空の絵。その中にね鳥が2羽遊びながら飛んでるの。」「へー、今度見せてよ。」「うん、今度見せるね。」幹太と手を繋いで祖師ヶ谷大蔵の商店街へ向かう。「幹太、ママ待っている間なんか食べたい?」「うん、ホットケーキ。」「了解。」
駅の近くにある珈琲館に入り、ホットケーキとオレンジジュース、アイスコーヒーを注文する。「パパ、最近何やってるの?」と幹太が聞いてくる。「うん、パパねまた映画が決まってさ。7月8月で撮影なんだ。」「えー、すごい!すごいけど夏休み遊べないじゃん…」「毎日じゃないし遊べる日もあるよ。」「ほんとかなぁ…」「本当だよ。どっか行きたいところあるの?」「ユニバーサルスタジオ!」「おー、大阪か。ママと相談してみるよ。」「やったー!」運ばれてきたホットケーキに蜜をたっぷりとかけて、器用に三角に切りながらそれを頬張る幹太。「美味しいか?」「おいしい!パパも食べる?」「パパは大丈夫。」この時間が愛おしい。毎回ずっと続けばと思う。「幹太、パパボクシング始めたんだ。」「ボクシング?」「うん。かっこよくなろうと思ってさ。」「パパはいつでもかっこいいよ。」涙をこらえた。「いや、もっとさ。」その瞬間新しい一歩を踏み出せた気がした。

#創作大賞2024
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