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麗しき者 第12話

11.Choose a side
 リビングで映画を観ている尚美。幹太は学校に行っている。「Paper?」「Yeah」ブラックレインのラストシーン。マイケル・ダグラス扮するニック刑事と高倉健扮する松本刑事が空港でうどんを食べ、別れを惜しんでいる。槇と尚美はこのシーンが大好きだった。付き合っていた当初、うどんを食べる時、七味唐辛子をどちらかが持ち、「Paper?」「Yeah」のくだりをいつもやっていた。一粒の涙が尚美の目からツーっと流れ落ちる。槇が撮影中の事故で亡くなって一カ月が経つ。アクションシーンで相手役に本当に殴られて気を失い、コンクリートの地面に思い切り頭を打ちつけ、救急病院に運ばれた時にはもう息がなかった。あまりにも早すぎる別れだった。離婚してるのに…悲しみがずっと止まらない。結局、幹太をユニバーサルスタジオにも連れてかないで…あんた何やってんだよ。こんなことなら、あの時許しておけば良かった。たった一度の過ちを。ニック刑事だって最後の最後には改心したじゃない…涙がまた溢れ出す。死ぬのが早いんだよ!ビデオを巻き戻す。「Sometimes you have to choose a side.」時にはどっちに着くか決めないといけない。ニック刑事が謹慎中の松本を説得しにいくシーンでの台詞。その後松本は規則よりも自分の良心を選択する。ピンポーン。誰だろ?宅急便が来る予定もない。モニターには髭面で眼鏡をかけた小さなおじさんが写っていた。「はい。」「武蔵です…映画監督の。」「あー、どうも。ご用件はなんですか?」「尚美さんに見て頂きたいものがありまして…少しだけ時間頂けませんか?」「…どうぞ」テーブルの上を簡単に片し、お湯を沸かす。ピンポーン。「はーい。」「すいません、急に。」「いえいえ、どうぞ。おもちゃ散らかってますけど…今お茶淹れますね。」
「あー、おかまいなく。あれ?何か観てらした?」
「あ、はい…ブラックレイン。」「確か槇も好きでしたよね?」「えー…そうなんです。わたしも好きで。」「そうでしたか。」「はい。どうぞ。」「いただきます…あの、DVD見れたりしますかね。」「はい。」「じゃあこれ。」武蔵は「麗しき者」と書かれたDVDを渡してきた。「これは…」「尚美さん、槇ちゃんの最高な演技見てもらえませんか?無理にとは言いませんが…いや、無理にでも見て欲しい。本当にいい芝居してるんで。」少し躊躇したが、DVDをデッキにセットする。「槇ちゃんのあのシーンだけなんですが…」「石渡、お前最近かなり調子乗ってるみたいだな。会長のことも無視して。どういうつもりだ!」「じじいはすっこんでろ!」石渡の右ストレートが頬を掠める。アクションの段取り通り襟を持ち膝蹴りをする。神代から離れる石渡。頭から突っ込んでくる石渡に倒される神代。二発顔面にパンチをくらう。石渡の三発目のパンチをかわす。そのパンチはコンクリートに直撃した。石渡が痛みを堪えている隙に、腹に蹴りを入れる。悶える石渡。「大したことねぇじゃねぇか、若造が。」「うるせい…じじい!」槇が生き生きとしている。また涙が溢れる。そして問題のシーン、槇の顎に上田の左フックが入る。顔面を揺らしながら地面に落ちてゆく。上田が勝ち誇ったようにその場を去ってゆく。地面に倒れた槇は闘いに負けたのに笑っているように見える。「佐藤だ!」「さ、佐藤?」「いや…優作…松田優作!佐藤だよこれ!」「あ、あー、ブラックレインの?」「ニックがトドメを刺すか刺さないかのところ!」「あー、バイクのシーンの後の決闘の。」「うわー、あいつやりやがった!うわー!監督、これ是非世に出してください!わたし何でもしますから!」「それを頼みに来たんだけど…そうですか!ありがとうございます!」武蔵監督も泣いていた。わたしも泣いていた。わたしは世間の常識よりわたしに今芽生えた良心をチョイスした。そう、あの松本刑事のように。そして、涙が渇いていた心を潤した。潤った心が愛する者を讃えた。そして槇浩史は麗しき者となった。
  
 雅歌2:10〜13
「わが愛する者はわたしに語って言う、 「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、 立って、出てきなさい。 見よ、冬は過ぎ、 雨もやんで、すでに去り、 もろもろの花は地にあらわれ、 鳥のさえずる時がきた。 山ばとの声がわれわれの地に聞える。 いちじくの木はその実を結び、 ぶどうの木は花咲いて、かんばしいにおいを放つ。 わが愛する者よ、わが麗しき者よ、 立って、出てきなさい。」

#創作大賞2024
#お仕事小説部門


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