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「探偵屋の恋女房」著桐乃乱

あらすじ

お日さま商店街の定食屋「屋代亭」のひとり娘、小春は探偵屋のテツが大好き。龍青会のお抱え探偵屋は、いつも小春を子供扱いする。
「よし、こうなったら奇襲攻撃でマッチョ探偵を押し倒してやる~!」
意気込んでいた矢先に両親がとんでもない事実を彼女に突きつける。
「屋代亭は今夜で閉店する」「私たち離婚していたの」
しかも、父親は商店街の店主にお金を借りまくって消えた、借金トンズラ王だった――!!
次々と明かされる秘密にショックを受けた小春は友人へSOSスタンプを送る。だが、送った先は探偵屋のテツだった。
『小春……そこへ助けにいけない。俺の家に来い!』
 
みんなみんな、勝手すぎるよー!

下町のロマンチックサスペンス!!


第一話小春(こはる)―お日さま商店街の屋代亭(やしろてい)
 

『ねえ、その怪我どうしたの。敵に襲われたの?』
 初恋の相手は、ほっぺたに大きな絆創膏を貼っていた。仕事のことは聞いちゃいけないって母さんに口酸っぱく言われてるけど、やっぱり心配なんだもん。そっと左手を伸ばしたら、テッちゃんは身を屈めて触れさせてくれた。返事は素っ気なくても、大きな手や表情はいつも優しい。
『転んだ。かすり傷だ』
『痛い?』
『大したことないさ』
 隙あり! チュ。
『えへへ。回復のおまじないだよ~』
『ロリコンだって、逮捕されちまうよ』
『じゃあ、テッちゃん。私と付き合って!』
『小春は中学生だろう。色気は高校を出てからにしろ』
『え~。じゃあ連絡先教えて!』
 私が誕生日に手に入れたスマホをかざして詰め寄ると、テッちゃんはため息をつきながらも番号とLI○(N)EのIDを教えてくれた。
 ピロリン。
 嬉しくて早速、使ってみた。
『なんだこれは……』
『壁紙にしてね!』
 セーラー服の私が微笑んでいるベストショット(猫耳加工あり)だ。
 確かに二十三歳と十五歳じゃ、周りがビックリしちゃうかも……。
 仕方ない、卒業後に再チャレンジだ!
 
 ※ ※ ※

 ピピピピピ。
 スマホのアラームが私を失恋の夢から引き戻した。ジーンズとTシャツに着替えて茶の間へ行くと、母さんがお茶を飲んでいた。
「おはよう」
「おはよう、母さん。ねえ、改装費用のことだけど……」
「父さんに聞きなさい。ほら、顔を洗っておいで」
 低血圧の母さんは、相も変わらずの仏頂面。ここは大人しく従うのがベストだ。
「はぁい」
 タオルで水滴を拭いながら洗面所の鏡を覗いた。
 卵形の顔に細い顎、大きな二重は母親譲り。細い髪はもうすぐ背中に届きそうだ。ブラッシングをしてからクルクルとお団子にまとめた。飲食業は清潔感が第一。よし、これでオッケー。
 かれこれ三年前、私はセーラー服でテッちゃんの実家へ乗り込んだ。
 一度目の告白は速攻で玉砕。そうだよね。やっぱチュー坊じゃあ色気もなんもないしねー、と納得した。
 でも今は違う。胸だって成長した。テッちゃんの好みは何カップか分からないけれど、とにかく膨らんだ。
 気掛かりな案件が片付いたら、テッちゃんに会わなきゃ。
 そして大人になった私の魅力を、わからせてやる~!
 
 朝食を終えた頃、父さんが欠伸(あくび)をしながら起きてきた。昨夜のアルコールが残っているらしく、酷いしかめ面だ。
「おはよう」
「おはよう。父さん、融資の件はどうなったの?」
「そのうち銀行から電話がくるはずだ」
「そうなんだ……」
 母さんに洗濯や掃除を任せて、私と父さんは店名入りの白衣を着ると開店準備に入った。
『屋代亭(やしろてい)』はカウンター席が五席、二人がけのテーブルが三つ、四人がけのテーブルが二つに小上がりの座卓が二つの、こぢんまりとした定食屋だ。中学に上がる頃から指導を受けている私は、出(だ)汁(し)の取り方や全メニューの味付けだって完璧にできるようになった。
「おい。親子丼、上がったぞ」
 父さんが厨房から声をかけてきたので、テーブルを拭く手を止めた。
「はぁい」
 午前十一時過ぎ。開店三十分前になると、私は四人分の出前をおか持ちに入れた。
「小春、帰りに八百新(やおしん)でネギ買ってきて」
「うん」
 母さんから領収書と釣り銭の入ったウエストポーチを受け取り、白衣のまま出かけた。
「いってきま~す」
 ガララララ。
 古びた引き戸を開けると、アーケードを西に向かって歩きだした。雨が運んでくる湿気が商店街に充満し、道行く人の表情もなんだか晴れない。

 八月五日の前夜祭を皮切りに三日間開催する千(せん)代(だい)七夕(たなばた)まつりまで、あと三ヶ月――。
 東北の商店街は全国から訪れる観光客を迎える準備に追われていた。
 千(せん)代(だい)七夕は学問や書道の上達を願う「短冊」、豊漁の「投網」、富の象徴「巾着」、長寿と家内安全の「折鶴」、清潔と倹約の「屑籠」、機織りの「吹き流し」、病災、厄よけと裁縫上達の「紙衣」ら、七つ飾りに願いを込める。
 アーケードには十メートル以上もある竹竿に五本の吹き流しを飾るのが通例だ。ダリアを連想させるくす玉に和紙の吹き流しが合体した姿は豪華で、ため息が出るほど美しい。
 
 松越デパートの角で右折し、一番街商店街を北上する。うちは基本、出前はやっていない。でも昔からのよしみは別だ。
 月曜日は『ブルーレンファンド株式会社』の大学社長へ看板メニューを四人前届けている。今年に入ってタワービルに会社が移転して距離が数百メートル離れてしまったけれど、散歩気分が味わえるので苦にならない。
 
 私、屋代(やしろ)小春(こはる)(十八歳)が育った繁華街は武将伊(だ)達(て)○(まさ)宗(むね)が開いた城下町だ。千代(せんだい)市役所の南側を走る『常禅寺(じょうぜんじ)通り』を起点に南北を約一キロ続く商店街は『一(いち)番(ばん)街(がい)商店街』、老舗松(まつ)越(こし)デパートと交差するアーケードは『お日さま商店街』と呼ばれている。
 両親が営む『屋代亭』は、お日さま商店街で三十年以上続く定食屋だ。高校卒業後は迷わず家業についたけれど、後悔は微(み)塵(じん)もなかった。
 
 迫りくる『城下町プロジェクト』改装期限まであと一年――。

 件(くだん)のプロジェクトは我が町を繁栄に導いた武将にあやかって観光客を呼び込もうと、市や地元商店街が数年前から進めている。
『一番街商店街』のメインストリートは江戸時代の商家や蔵造りの屋敷、町家へと生まれ変わり、残すは『お日さま商店街』のみとなった。
 店舗の助成金は五十パーセントが支給されるけれど、「跡取りのいない金物屋や紳士服店は閉店を決めてしまった」と八百新の女将さんが嘆いていた。父さんが申し込んだ改装費用の融資は受けられるだろうか。返事が待ち遠しい。
 私はこの街が大好き。三代目の私も頑張って働いて、改装費用のローンを返さなくちゃ!
 
「小春、出前か?」
「テッちゃん!」
「おい、いい加減テツさんと呼べよ。蓮(れん)さんの会社へ行くんだろう。ほら、よこせ」
 重いおか持ちをケーキ箱のように持つ腕は、触らなくても筋肉質だとわかる。ああ……ぴっちりしたTシャツが腹筋と背筋を隠しているのが、非常に残念。
「ありがとう」
 彼はこの街の探偵屋。正確に言うと、この街を仕切る『龍(りゅう)青(せい)会(かい)』の専属探偵だ。テッちゃんの父さんが突然引退し、二代目の彼が後を継いだ。え、なんで内情を知ってるのかって?
 ふっふっふ。情報収集は初恋成就の為に怠らないのが小春流よ。なあんて。テッちゃんママが母さんに話してたんですよね。
「テッちゃん。私、卒業したよ。恋人にして!」
「悪いな、今は仕事で忙しいから無理だ」
 ががーん。また振られたよー!
 
 タワービルの守衛に手を振ってオフィスエリア用のエレベーターに乗り込むと、他に人はいなかった。黒いTシャツにジーンズ、クルーカットのテッちゃんは今日もマッチョで格好いいなぁ~。
「じゃあ、一回だけデートして。そしたら諦める」
「諦められるなら、デートも必要ないだろ。他の奴を誘えばいい」
「テッちゃんのバカバカ!」
 頭にきたので背中に飛びついた。狭い室内の鏡に映る私は、まるで男の子みたいだ。
「わっ、危ないだろう」
 言いながらも振り払わないので、そのまま太い首へ手を回した。マッチョ探偵は決して女性に手を上げない。それはテッちゃんママの教えが物語っている。私は思う存分、Tシャツ越しの肉体を堪能した。百九十センチ近い大男は、百五十センチの私なんかセミみたいに感じてるんだろう。
「マッチョ探偵さいこう~♡」
「小春、声に出てるぞ……」
 わざとですうぅ~。
 大好きなテッちゃんの恋人になりたい。でも、彼は女として私を見てくれない。私はもう大人の女性だ。よーし、こうなったら彼の家へ奇襲攻撃をかけてやる。テッちゃんは二年前に独立して、タワービル近くの雑居ビルに探偵事務所を構えていた。マッチョ探偵を縛る……のは無理だから、押し倒してやる~!
「こら、そろそろ降りろ」
 背中から伝わる太い声が耳に心地良い。このところ寝不足だからかな。
「じゃあ、デートして!」
「わかったよ、そのうちな」
 返事に不満なので、腕に力を入れてマッチョの首を締めつけた。
「おい、小春。ぐぐ……」
 ポーン。
 あっという間に十一階へ到着してしまった。ちっともマッチョを堪能できなかったよ~。
「こんにちは」
「おやおや、テツさん。今日は可愛い妖精を捕獲してきたのですか?」
 この蜂蜜を練り込んだテノールはもしや……イケメン弁護士さんだ!
 相変わらず高級ブランドのスーツがバッチリ決まってるなぁ~。慌てて背中から降りて挨拶した。
「加藤弁護士、こんにちは。毎度ありがとうございます」
「今日は私もご相(しょう)伴(ばん)にあずかることになってね。屋代亭の『絶品親子丼』は大好物だよ」
 ワックスで整った髪にお洒落な銀縁めがね。有能な弁護士オーラが出てるぞ……。
『ブルーレンファンド株式会社』のドアには、必ず二人の警備員が立っている。
「こんにちは」
 挨拶を交わしてから社内に入り、右手の社長室まで進んでいった。
 音も立てずにタイルの床を歩くのは探偵屋のスキルなのかな~。
 コンコン。ガチャリ。
「やあ、小春ちゃん。忙しいのにありがとうな」
 ゴージャスな椅子に座る人物が声をかけてきた。
「大学社長さん、こんにちは。ご注文ありがとうございます」
「はははは。大学社長さんだなんて、つれないなぁ。妹分だろう?」
 表向きの役職は社長だけど、彼は県下を治める『龍(りゅう)青(せい)会(かい)』の組長さんだ。
「蓮さん、小春を甘やかさないでください。勘違いしますから」
 テッちゃんがアニキ面(づら)したので、ムカついて足を踏んでやった。私はもう小学生じゃないもんね!
「ぐ……」
 ついでに鋼鉄の脇腹も、こしょこしょした。マッチョ探偵、辛うじて耐えてます。
「テツさん、俺が出しますよ!」
 アンパン○(ま)んそっくりな秘書さんが、おか持ちを受け取った。
「浜田さん、こんにちは」
「うまそうな匂いっすね!」
「ほいよ。配達ご苦労さん」
「ありがとうございます」
 頭を下げて一万円札を受け取り、ポーチの釣り銭を出そうとしたら手で制された。仕方なく領収証を差し出した。大学さんはいつもチップをくれる。店の苦しい経営事情を知っているのか、それとも他の出前にもそうしているのかは知らない。
「小春ちゃん。お願いがあるんだよ」
「はい、なんでしょう?」
「今度は開店前に邪魔していいかな。たまには若い衆にも食べさせてやりたくてね」
 丼の蓋を開けながら大学社長がニヒルに笑う。彼が泣くことなんて、あるのかな。
「はい、もちろんです。父に話しておきます」
「行くときは電話するよ」
「わかりました!」
「はははは。小春ちゃんは元気だなぁ。初果(はつか)ちゃんと気が合いそうだな」
 ハツカちゃん?
「おや、小春さんは『エイプリルフール絶叫大会』を見てなかったのかな?」
「絶叫大会? ああ、仕事中だったかも……」
 銀縁メガネの眼差しが私を捉える。それ、タワービルのOLさんが浴びてよろめいちゃった『イケメン弁護士の知的クラッシュビーム』ってやつだね!
「お昼は稼ぎ時っすよね。あ。そういえば昨日、小春ちゃんの親父さんがパチンコで大負けしてたっすよ。隣に座ってた姉ちゃんのおっぱいがデカかったなぁ」
「えええっ……またぁ?」
 父さんはギャンブル運がないのに、パチンコが大好きなのだ。
「浜田、黙れ。このうっかりめ!」
 副社長さんに小突かれて、浜田さんが転んだ。どさくさに紛れてテッちゃんもお尻を蹴った。だ、大丈夫なの?
「毎度ありがとうございました。失礼します!」
「小春さん、下までご一緒しましょう」
「頼むよ、加藤弁護士」
 蓮さんがボス然として声をかける。加藤弁護士は、まるで私をレディのようにエスコートしてくれた。
 ただの定食屋の娘を誤解させちゃダメだぞ、このイケメン弁護士め~。奥さんが焼きもち焼いちゃうでしょ。今年になって左手の薬指に指輪を発見し、お相手に興味津々です。でも聞けません。
 だってヤクザの顧問弁護士だもんね。平民とは線引きって必要だよ~。
 タワービルの玄関で弁護士さんと別れた。
「それじゃ小春さん。気をつけて」
「さようなら~」
 真っ昼間に、おか持ちをぶら下げた女に危険が迫るとも思えないけど……。
 
 一番街商店街を南へ進んで松越デパートの手前を左に曲がると、お茶屋『井伊(いい)だ』の女将さんが声をかけてきた。
「小春ちゃん、出前かい?」
「うん。また抹茶ソフト食べに行くね」
「待ってるよ」
 そういえばテッちゃんと一緒に食べなくなって、どれ位だろう。よし、連行しなくちゃ……。いや、その前に奇襲計画を立てねば~。
「小春ちゃん、こんにちは」
「蘭ママ、こんにちは!」
 お昼時に商店街で会うなんて珍しい。着物姿が麗しいこの美女は高級クラブ『胡蝶蘭(こちょうらん)』のママ。彼女も店の常連さんだ。
「蘭ママ、ホステスのアルバイトに応募したいんです!」
 小耳に挟んだクラブの時給は、確か五千円だった。改装費用を貯めるには最速のアルバイトじゃなかろうか。
「ほほほ。小春ちゃんは料理の才能があるんだから、それを生かしなさいな」
 むむむむ……門前払いされちゃったぞ。まあ色気がないから仕方ないけれど、幻惑スキルを身につける機会を逃したのは惜しい気がするのよね。
 マッチョ探偵は一筋縄でいかない男なんです、蘭ママ。
「じゃあせめて、そのお色気を分けてください!」
「小春ちゃんはいつも元気いっぱいね。色気は男が作り出すものなのよ」
 パチッとウインクされて、ドキリとしちゃったぞ。
「ええっ。その意味深発言、ここで聞いていいんですかぁ~?」
「うふふ。今度うちにおいでなさいな。メイクを教えてあげるわ」
「わぁ、本当ですか? お礼に何か作りますね!」
「絶品親子丼をお願いするわ」
「了解しましたぁ!」
 クレオパトラか蘭ママか、と噂される分町(ぶんちょう)一の美女が師匠になってくれるなら、誘惑作戦も成功率が上がるはず。
 むふふ。テッちゃん、覚悟しなさい~。
 店の並びにある『八(や)百(お)新(しん)商店』では、店主が威勢良く客を呼び込んでいた。
「へい、いらっしゃい、らっしゃい。今日はネギが安いよ!」
「オヤジさん、ネギを二束くださいな」
「いらっしゃい、小春ちゃん。出前かい?」
 八百新商店が経営するフレッシュジュース販売店のシャッターが閉まっていた。
「うん。あれ、パーラーは休みなの?」
「今日から改修工事に入るんだよ」
「そうなんだ」
「はい、お釣りだよ。毎度あり」
「さようなら」
「小春ちゃん、頑張れよ」
「うん!」
 
 屋代亭の前にはリーマンや作業着の男性達が十人ほど並んでいた。裏口から店へと入り、母さんへポーチを渡して手を洗った。
 ランチタイムのパートさんが暖(の)簾(れん)を下げて声を張り上げる。
「いらっしゃいませ。奥の席からお座りください」
 さあ、腕によりをかけて作っちゃいますよ!
「絶品親子丼、五人前です!」
「はいよ」
「Aランチ二つです」
「はぁい!」
 父さんが丼を並べ、私はトンカツを揚げ始める。母さんはお冷やを運んでから厨房へ入り、Aランチの皿に千切りキャベツ、トマトを盛り付けた。小鉢にはマカロニサラダ、小皿にお新香。母さんが手際よく丼に白飯をよそうと、父さんが親子鍋からふわとろ半熟卵の具を載せる。三つ葉を散らして『絶品親子丼』の出来上がりだ。
 かれこれ五年ほど前、味に感激したリーマンがマジックでデカデカと絶品の文字をメニューに書き足してから、『絶品親子丼』が注文されるようになった。今ではうちの看板メニューだ。

 昼のピークが終わると、両親と私は交代で昼休憩に入る。スマホで『誘惑作戦』に必要なグッズを検索した。何が何でも手に入れたいのはズバリ、コンドームだ。近所のドラッグストアじゃ、まずいよね……。
 いや待てよ。千佳ちゃんがいるじゃないの。彼女はドラッグストア『ペンギン』でアルバイトをしている同い年の女の子。出会ってすぐ仲良しになった。近所に友人のいない私は恋バナを打ち明けるタイミングをうかがっている。
 中学時代からずっと厨房で過ごしてきた私には親友と呼べる存在がいない。同い年の幼馴染みは意地悪な男子ばかりで、もう三年は口をきいていない。
 やはり超安の殿堂『ボンキ』にしておこう。成功したら、千佳ちゃんへ報告するんだ。
 茶の間に来た母さんへ予定を告げた。
「今夜、千佳ちゃんの部屋に遊びに行くから遅くなるね。鍵は持って行くよ」
 千佳ちゃん、お洒落なカフェで奢るから許して~。
「わかった。酔っ払いやチンピラに気をつけなさい」
「大丈夫。テッちゃんを呼ぶから!」
「テツさんは仕事が忙しいんだから、わがまま言っちゃダメよ」
「わかってますよ!」
 街のドンお抱えの探偵が多忙だってことは、十二分に承知している。
 だからこの私がストレスを抱えた探偵屋を癒やしに行きますからね~!
 
 ボンキのコンドームコーナーはカップルがいちゃこらしていて、ゆっくり選ぶことができなかった。
 おのれ、サッサとラブホに飛んでけ~!
 コンドームは千佳ちゃんに頼むか……。すごすごと撤退し、まばゆいネオンが並ぶ分(ぶん)町(ちょう)のメインストリートを小走りで移動した。
「あっ、テッちゃん……」
 誘惑作戦のターゲット発見。数メートルダッシュし、つま先を踏ん張って停止した。
 物心ついた頃から恋い慕う人は、八頭身美人と歩いていた……。

 あの女の人は恋人? ううん、ホステスの送迎かもしれない。それか、大学組長の愛人かな……。
 高層ビルを建設した若き組長はテッちゃんの尊敬するボスだ。
『お金持ちの組長さんには愛人になりたい女性が沢山いる』って、ホステスさんが噂していた。うん、きっとそうだよね……。

 確かめるのが怖くて、風呂上がりの濡れ髪ショットをテッちゃんに送った。それから『マッチョフォルダー』を開く。
 ふふふふふ……。私のコレクションはテッちゃんの写真だ。その数ざっと二百枚。
 存在をアピールするために写メを送ると、テッちゃんも渋々自撮りを返してくれる。
 東北テレビのゆる★キャラ『もふもふモリリン』のおねだりスタンプ(可愛いリスがクルミをねだっている)を、十個送ったのが効いたに違いない。
 革ジャン姿のテッちゃん。白いTシャツのテッちゃん。おでんを食べてるテッちゃん。大胸筋が見事ですね。そして二の腕がおいしそうなタンクトップのマッチョ探偵……私のお気に入りです。なぜか唇を引き結んだ顔ばっかり。右頬のえぐられた古傷を山本先生に治してもらわなかったテッちゃん。あれかなぁ。頬が引きつるって言ってたから?
 強(こわ)面(もて)がレベルアップして、組長さんの護衛に間違えられちゃうかも。でも私の頭を撫でる大きな手は、とっても優しい……。あの美人は、それを知ってるのかな……。

 結局、朝になってもLI○(N)Eは既読にならなかった――。

※ ※ ※

「ごめんなさい。もう一緒に住めません」
 茶の間で算数のプリントを解いていたら、母さんが土下座した。白衣を脱いでビールに栓抜きを引っかけていた父さんは手を止めて、私と一緒に母さんを見た。どうやら今夜はキャバクラへ行かないみたい。キャバクラって若い女の人がビールを注いでくれる店なんだって。母さんがプリプリしながら教えてくれた。
「どうしたんだ。タチの悪い冗談はよせ」
 シュポン。シュワッ。コポコポコポコポ。
 店と同じグラスに黄金色の液体が注がれた。テレビのアナウンサーが東北の梅雨明けは来週あたりだって伝えている。
 私は鉛筆をギュッと握りながら息を止めて、両親を見守っていた。
「ごめんなさい」
 頭を上げた母さんはテーブルに紙を置くと、玄関へ向かった。
「母さん、待って!」
 追いかけて袖をつかんだけれど、強い力で振り払われた。
「ごめんね、小春」
「何が?」
 母さんは、どうして出て行くの?
 一時間前に店を覗いたら、お客さんの冗談に笑い声をあげていた母さん。父さんもカウンターから、私に海老フライや唐揚げの載った夕食を渡してくれた。いつもの風景が、そこにはあったのに……。
 
 ガララララ。
 裏路地の玄関から出て行った母さんは見たことのない赤い靴を履いていた。出前のときに履くスニーカーじゃない。かかとのある、お洒落な靴だ。そういえば、いつワンピースへ着替えたの?
「ねえ父さん、止めてよ。母さんが行っちゃう!」
 父さんは座ったまま、手にした紙を見ている。私は大人用のサンダルをつっかけて走りだした。ペッタンペッタンと変な音がして、すっごく走りにくい。三角公園の手前で片足が脱げたのを慌てて拾った。
 公園のあかりが入り口に立つ人を照らしていたけれど、顔がよく見えなかった。
「時(とき)子(こ)ちゃん」
 聞き覚えのある声だった。母さんは男の人とタクシーに乗り込んだ。
 バタン。
「母さん!」
 もう片方も脱ぐと、はだしで追いかけた。ボコボコしたアスファルトと小石で足が痛い。
「母さん、行かないでぇ! 母さん! 母さぁん!」
 叫んでも、叫んでも、車は止まらなかった。そして大通りへ曲がって見えなくなった。
 母さんは行ってしまった――。
 とぼとぼ歩いてサンダルを拾った。公園に植えられたミヤギノハギから草の匂いがする。見上げたら、ますます三日月がぼやけてきた。
 涙があふれて喉の奥が苦しくなった。
 どうして。どうして。どうして?
「うえっ、えっ、えっ、えっ。かあさぁん……」
「小春」
 迎えに来た父さんは泣きじゃくる私を背負って、暗い路地を戻っていった。
 大きな背中は煙草と汗の臭いがした。
 母さん、お願い。小春、いい子になるから帰ってきて。
 お手伝いもたくさんするよ。お店でお皿洗いも、ニンジンの皮むきだって出来るよ。クラスの友達みたいに『ヤキヤマボニーランドに行きたい』って、もう言わないよ。
 だからお願い。帰ってきて……。

 母さんは朝になっても帰ってこなかった。お酒を飲んだ父さんは茶の間で眠ったままだ。仕方なく、ランドセルを背負って学校へ行った。
 クラスメイトは私の腫れぼったくなった顔を見て驚いたけれど、少女漫画に感動して泣いたってウソをついたら信じてた。本当のことなんて言えやしない。だって意地悪な人がいるから……。
 
「屋代の父ちゃんが金借りに来たぞ。またパチンコかよって、俺の父さんに叱られてたぜ」
「うわ、パチンかすじゃん」
「パチンかす~」
 学校の帰り道に通せんぼしてきたのは靴屋の息子トモキと子分たち。意地悪な人とはズバリ、こいつらだ。
 私はトモキが大嫌い。だって目がデカすぎとか、髪が茶色くて変だっていうんだもん。母さんは『小春が可愛いからよ』ってヘンテコななぐさめ方をしてくる。とにかく、私はテッちゃんみたいに優しい男の子がいいの!
「やーい、やーい。パチンかす~」
「ギャハハ……」
「屋代の母ちゃん、家出したんだぜ」
「うわ、捨てられたのかよ」
「ちがうもん!」
「おい。小春に何してる?」
 トモキの襟首をつかんで持ち上げたのは学ラン姿の高校生。
「テッちゃん!」
「てめえ。女の子をいじめて喜んでるなら、チンコちょん切るぞ」
 近藤印刷が配る仏像カレンダーの不動明王みたいに睨(にら)むテッちゃん。
「ひょええええ……」
 ジョロロロロ……。
 ガキ大将は恐怖の余り、オシッコをもらした……。
 テッちゃんはションベン小僧を靴屋へ届けた後、『お茶の井伊(いい)だ』で大人気の抹茶ソフトをおごってくれた。ベンチに並んで座ると、緑色のクリームにパクついた。
「テッちゃん、おいしい!」
 お茶の渋みと甘さが混ざって、おいしさに舌がしびれてきた~。
「そうか」
「小春ちゃん。抹茶ソフト、うまいなぁ」
 テッちゃんといつも一緒にいる先輩が、ニヤニヤして座ってきた。
「蓮(れん)さん、制服のボタンが外れてるよ?」
「俺はこれが好きなんだよ。龍(りゅう)もだよなぁ?」
「ああ……」
 目が逆三角形のお兄さんもソフトクリームをなめていた。すっごく怖い顔してるなぁ。蓮さんはライオン、隣のお兄さんはオオカミみたい。みんな同じくらい背が高くて、ガッチリしている。テッちゃんはクマさんだね。
 
 テッちゃんは悪者から小春を守ってくれる、たくましいナイトなのだ――。
 
 母さんは一週間後に帰ってきた――。
 ガララララ。
「母さん、おかえりなさい!」
「ただいま。小春……母さんと一緒に丸川の祖(じ)父(い)ちゃんの所へ行かない?」
「今から遊びに行くの?」
「いいえ。田舎で暮らすの」
「いやだ。私、定食屋さんになるの!」
「そう……」
「時子、俺が悪かった。許してくれ!」
 父さんが土下座して謝ると、母さんはまた店で働くようになった。それから大喧嘩をすることがなくなって……。

 ※ ※ ※

 枕に染みた涙の冷たさで目が覚めた。
 人は強く印象に残った事柄を夢の中で再生するらしい。楽しい思い出も沢山あるはずなのに、母さんの家出やガキ大将にいじめられたシーンをチョイスしたのはなぜ?
 答えは明白。ショッキングな場面を目撃したから。水色のワンピースを纏(まと)った美人に手を添えていたテッちゃん。あれは恋人がする仕草と距離感だった。
 枕カバーを外して洗濯機に放り込んだ。まぶたが腫れている。鏡から目をそらして顔を洗った。今日は出前がなくて幸いだった。
 
 テッちゃんと美女を目撃してから、二ヶ月が経過していた――。
 商店街は来週に迫った七夕まつりの準備に余念がない。融資を断られた父さんは他の銀行に申請中だ。私も店の休日にアルバイトをしてお金を貯めていたけれど、母さんは、さほど焦ってはいない。
 テッちゃんとモデル系美人を目撃してから数日後、配達帰りに探偵事務所の前を通りかかったら、あの美人が出てきた。偶然にしては重なりすぎる。美人はコンビニでサンドイッチと野菜ドリンクを購入し、雑居ビルへ戻っていった。エレベーターが止まったのは四階。探偵事務所がある階だ。彼女は社員なの? 五階だったら恋人決定。だって、最上階はテッちゃんの自宅だから。ちなみに私は一度も入ったことはない。
 やはり、あの美女はテッちゃんの恋人かな……。確かめるのが怖い。でも、恋心が生ゴミみたいに腐れていくのも嫌だ。
 このモヤモヤした疑念を消してしまいたい。とにかく当たって砕けるしかないんだ。

 その日は昼休憩が終わっても、父さんが戻ってこなかった――。
「小春、父さんを連れてきて」
「うん。わかった」
 パチンコに熱が入ると、父さんは時間を忘れてしまう。これ以上母さんの眉間にシワが刻まれないよう、慌てて迎えに行った。


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