見出し画像

「探偵屋の恋女房」著桐乃乱

第二話

 チーン。ジャラジャラ、ジャラジャラ。
 父さん行きつけの遊戯場は松越デパートの三十メートル先にある。右手奥の通路でパチンコ台にかじり付いている父さんを見つけた。
 隣に座る金髪美女が父さんに笑いかけている。珍しい。父さんが大口開けて笑っていた。今日は足元に大きなドル箱がふたつ積んであった。なるほど、これが理由か。
「父さん、休憩時間は終わったよ」
「小春、待ってくれ。もう少しで当たるんだ」
「駄目だよ。母さんに怒られちゃうよ」
「チッ」
 舌打ちしながら父さんはカウンターまで箱を抱えていった。ふう。私ひとりでも厨(ちゅう)房(ぼう)を回せるけれど、父さんに好き勝手をされると困る。親子で力を合わせて売り上げを増やし、早く改装工事の見積もりを依頼したい。
 城下町テイストに生まれ変わったお日さま商店街は、きっと観光客も満足してくれるだろう。
 午後も客足が途絶えることなく過ぎていった――。

「小春、暖簾(のれん)を下げてこい」
「はぁい」
 チラリと見上げた壁掛け時計は午後七時半を指している。店内では常連さんが定食を食べながらビールを飲んでいた。
 「ラストオーダーになります」
 声をかけたら三人とも手を振ったので、看板を消しに戸口へと向かった。
「いつもながら、この店は閉めるのが早いねぇ」
「うるせぇ。飲み足りないなら分(ぶん)町(ちょう)へ行ってくれ」
 父さんはここ数年、やる気をなくして午後八時前に店を閉めている。高校生の私が遅くまで働けないのも理由のひとつだった。やっと卒業したのに『二十二時まで店を開けよう』と説得しても、聞いてくれない。
「親方はキャバクラかい。俺も行こうかな~」
「レイちゃんが、クラブに移っちまったんだよ~」
「そっちに行けば良いだろう?」
「バーカ。『胡(こ)蝶(ちょう)蘭(らん)』は高級クラブだぜ。無理無理」
「親方、ごちそうさん」
「小春ちゃん、またな」
「おやすみー」
「おやすみなさい。ありがとうございました~」
 定年間近のリーマンらは仲良く帰っていった。この先も来てくれるのかは怪しい。通勤ルートから外れてしまうと客足が遠のいてしまうのは世の常。
 客が引いてから煙草に火をつけた父さんは油染みのできた作業着を脱ぐと、カウンターの端にあるレジを開けた。
「父さん、一万だけにして!」
「うるせえ、口出すな」
「融資の件はどうなったの?」
「融資は受けない」
「このままじゃ、改修工事が出来ないよ!」
「工事はしない」
「どうして?」
「もう店は売っちまったよ。お前は他で仕事を探せ」
「どういうこと。店の権利を売ったの?」
 店舗は賃貸だ。売るとしたら、それしかない。
「このビルは建て替えるそうだ。家賃が倍になるし、俺も他所で雇われた方が気楽なんだよ」
「何を騒いでるの?」
 茶の間から母さんが現れた。
「ねえ母さん。父さんが暖(の)簾(れん)を売ったって!」
「ちょっと、あたし抜きで話を進めないでよ」
 険のある母さんの口調に、父さんが舌打ちをしてカウンター席に座った。
「話って?」
 両親の暗い表情に、嫌な予感しかしない。
「あのね、小春。屋代亭は今夜で閉店よ。あなたは他所(よそ)で調理人になりなさい」
「どうして閉店するの? 常連さんだっているのに……」
「父さんが昔、詐欺にあったでしょ。その時に銀行から借りたお金を完済する必要があるの」
「なぜ?」
「あたしは連帯保証人だから。再婚する前に片をつけたかったの」
「再婚?」
 母さんは離婚して、他の人と結婚するつもりなの?
「あたし達、三年前に離婚してたの……。小春が一人前の料理人になったら店を閉める約束だったのよ」
「ええっ⁉」
「もういいだろ。店は売れたし、借金は返した。俺は行くぞ」
「行くって、どこに?」
 展開が急すぎて、ついて行けない。
 ガララララ。
「こんばんは。屋代さん、終わりましたか?」
 暖(の)簾(れん)を下ろした店内に現れたのはハイヒールに青いワンピースの金髪碧眼美女だった。パチンコ屋で父さんの隣に座っていた人?
「アリーさん、来てくれたのかい。ありがとう」
 父さんは席を立つと、まなじりを下げて女性に近づいた。
「うふふ。ダーリンのためですもの」
 ダーリン⁉
 目玉をひん剥(む)いて、両親を見比べた。母さんは無言で仁王立ちし、父さんはだらしない顔をしている。行きつけのキャバ嬢なの?
「じゃあな、小春。元気でな」
「父さん、待って!」
 ガララララ。ピシャン。
 私を無視して去っていった。
「あの人、誰?」
「どこかの会社の秘書。あの女が権利を買ったのよ」
 母さんが調理場の引き出しから持ってきた名刺には、横文字の会社名が印字されていた。スマホで翻訳しないと意味不明だ。
「いくらで売ったの?」
「百万円。借金を完済できてよかったわ」
「ダーリンだって!」
 恋人ってことー?
 ピンポーン。
「!」
「あら、時間通りね」
 裏玄関のチャイムが鳴って、母さんがいそいそと向かう。
 ガララララ。
「こんばんは~。買い取り本舗です!」
 グレーのつなぎを着た集団が、どやどやと入ってきた。
「それじゃよろしくね。あとでまた来るわ」
「了解しました!」
 社長のネームプレートをつけた中年男性の後ろで若者数人が椅子やテーブルを運び出す。
「誰、この人達は?」
 手際よく食器を段ボールに詰めているのは、おばちゃん達だ。黒いエプロンの胸には白文字で「買い取り本舗」と印字されている。
「買い取り業者よ。父さんは借金を作って散々好き放題したんだから、お金はあたしと小春で折半よ。さあ行きましょう。部屋で説明するわ」
「部屋?」
「小春が住む部屋よ。さあ、急いで」
 とっさに奥の部屋へ走り、ドアを開けた。ベッドと机、本棚以外は何もなくなっていた。
「私の荷物がない」
「昼間のうちに運んでもらったの。行くわよ」
 これでは従わざるを得ない。抗っても無駄なのは一(いち)目(もく)瞭(りょう)然(ぜん)。引っ越しはもう決定事項なのだ。父さんが金髪美女と消え、母さんは再婚しようとしている。ギャンブル好きな父さんには困っていたものの、屋代家が虚構の家族だったなんて……。
 三角公園の角まで母さんは小走りだった。
 まるで一刻も早く羽化して、この街を飛び去りたい蝶のよう……。
 小学生の私はこの辺りで転んだけれど、今夜は違う。少女ではなくスニーカーを履いた大人になった。背は母さんより若干低いけれど、顔つきだって「母親譲りのべっぴんさんだね」って言われる。どうして母さんは離婚を打ち明けてくれなかったの?

 移動先は通りを北に二本渡った十階建てのマンションだった。
 母さんがハンドバッグから取り出したキーで入った室内は八畳のフローリング。シングルベッドには布団が敷かれ、小型の冷蔵庫や壁掛けテレビ、ユニットバスも清潔感にあふれていた。まるでビジネスホテルみたい。一つだけ違う点は段ボール箱が五個、部屋の隅に置かれている点だ。
「ここはひと月契約してあるの。あとは小春が住みたい場所に引っ越せばいいわ。私の住所はこれ」
 メモを受け取りながら必死で尋ねた。
「母さんの再婚相手って誰。いつから付き合ってたの?」
 一緒に住んでいたのに全く気づかなかった。相手とは、いつ会っていたんだろう。
「三年前から、その人と暮らしてたの。小春が部屋に下がってから、新居へ帰ってたのよ」
「帰る……」
「はいこれ。小春が薬局でアルバイトしてくれたお金。改装費用よりも、自分のことに使って。じゃあ元気でね」
「再婚相手は紹介してくれないの?」
「もう何度も会ってるわよ」
「え?」
「仕事が決まって落ち着いたら、三人で食事でもしましょう」
「どうして隠してたの?」
「昔、あたしが家出したのを覚えてる? 父さんが小春の学資保険を解約してパチンコに使ったからよ。あれで結婚生活は無理だって悟ったの」
「そうだったんだ……」
 競馬やパチンコ、競艇や麻雀。あらゆるギャンブルに手を出しては負け続けている父さん。儲かるわけないのに「次は絶対に勝つからな!」が口癖で、いつか勝(しょう)機(き)が巡ってくると信じ込んでいた。
「離婚届を取りに戻ったら、小春が泣くから、【これからどうしたい?】って聞いたの。そうしたら、三人で仲良く暮らしたいじゃなくて【立派な定食屋になりたい】って答えたわ。だから父さんとあたしは小春に屋代亭の全てを教えてきたのよ」
「あたしのために、我慢して働いていたの?」
 本当なら、好きな人と好きな場所で暮らすこともできたのに……。
「馬鹿ね。そんな顔しないの。親としての責任を果たしただけよ。小春がショックを受けるのは申し訳ないけれど、これがあたし達の精一杯だった。だから許してね。父さんは料理の腕はいいけれど、ギャンブルには弱い人間だった」
「母さん……」
 頭を下げて謝る母さん。私は涙を手で拭うことしかできなかった。数時間前には常連さんの冗談に笑いこけていた私たち親子。幸せだと思っていたのは、私ひとりだったの?
「テッちゃんママは知ってるの?」
 テッちゃんのママと母さんは高校の同級生だ。嫁ぎ先が近所だと知って以来、家族ぐるみの付き合いがある。
「父さんの遊び癖は相談したことがあるけど、迷惑をかけたくなくて離婚や閉店は知らせてないわ。父さんは花京院家からも借金したままなの……。噂が落ち着いたら、彼女に連絡してみる」
「そんな……」
 店の売り上げを抜き取るだけじゃ足りなかったの?
 ブブブブ。
 母さんがハンドバッグからスマホを取り出した。
「迎えが来たみたい。それじゃ、あたしは行くわ。落ち着いたら遊びに来て」
「待って、母さん。父さんは、いくら借りたの?」
「正確には分からないわ。けど、相手は花京院家だけじゃないはずよ」
 靴屋のトモキや蕎麦屋のタケルは昔、父さんをあざ笑っていた。
「それって商店街の人たちにも、ってこと?」
 母さんは見慣れないパンプスを履くと、答えずに出て行った。茫(ぼう)然(ぜん)とベッドに座り込んでいた私は玄関から飛び出し、二階の共同廊下から身を乗り出す。外灯が駐車場の人物を照らしていた。
 母さんが赤いワンピースの裾をたたみこんでお洒落なコンパクトカーに乗り込んだ。助手席のドアを押さえていた男性が、こちらを見上げる。
「うそ……」
 母さんの再婚相手は屋代亭のランチタイムに週三回現れる、三十代のリーマンだった……。
 
 屋代家は一家離散してしまった――。
 どうしよう。これからどうしたらいいの?
 発作的にスマホを操作し、もふもふモリリンの『SOS』スタンプを送った。千佳ちゃんは『どうしたの?』って、話を聞きに来てくれるかもしれない。だがすぐに、それは不可能と気づいた。
 既読がついた相手は友人ではなく、マッチョ探偵だった!
 テッちゃんには両親が嘘をついていたと知られたくない。気の毒な女だと思われはしても、好きとは思ってくれないだろう。同情が愛情になるのは三流ドラマの筋書きだ。
 プルルルルル。
 なのに、今夜に限ってマッチョ探偵が電話してきた!
「もしもし……」
 適当にごまかして通話を終えよう。
『小春……そこへ助けにいけない。俺の家に来い!』
「えっ?」
 プッ。
 一方的に切られてしまった。

 みんなみんな、勝手すぎるよー!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?