笑いと仲間と攻撃

誰も傷つけない笑いという言葉が出てきたけど本当に誰も傷ついていないのかな?   

                                                      そのことが気になって読みかけだった[ユーモア心理学ハンドブック]を再読してる。                             笑いは人間の感情の一つだ。笑う時、人特有の発達した大脳新皮質だけでなく原始脳ともいわれる大脳辺縁系も活発に反応する。つまり笑いは猿だった時からいろんなものが自然淘汰されても残っている人間の本能だ。本能には抗えない。神さまからの祝福とも呪いとも見れる。

そして笑いという感情がなぜ人に残っているのか?             自然淘汰の末に残った理由があるそうな。  

笑いには人間の営みの中でいくつかの効力が生まれている。 

・社会的結束を強化する道具になりうるが、集団外の人間を排除する道具に        もなりうる                                  ・人間の地位の違いを減少させる一方、強化する                    ・同意や社交性の表明であると同時に不同意や攻撃性の表明でもある             ・協力と抵抗を促進する一方で権力や特権を弱体化する              「ユーモア心理学ハンドブック」R・Aマーティン著 より抜粋 

笑いに共感できる人は仲間に、共感できない人は仲間外れにされたり(もしくは自ら離れたり)、仲間内での序列争いに一役使われたり、皮肉や風刺で権力に一石投じたり。人間社会の中で笑いは深く根付いている。      

個人的には笑いを理解できるかどうかによって仲間意識や地位(笑いが分かる・提供出来るという一種のインテリマウント)の違いが生まれ、対象を笑っていいものとして扱うことで攻撃性が生まれているように思う。 

全ての笑いに攻撃性が含まれているとは言い切れないが、攻撃性の無い笑いは探すのがかなり難しい気がする。直接的・間接的に誰かに対しての攻撃性を持っている。      

そう思うと笑いって難しい。安易に笑っていいものか。                              でも笑いは本能だし、笑いのツボは人それぞれだし。                    笑いに抗うということは似た笑いのツボを持っている人を否定することに繋がるし。(つまり否定した本人は孤立する)

結局人は仲間と敵を作る生き物なのね~                                                                                      



動物や子供の滑稽な動きを素直に笑えるのって笑われた側に攻撃を受けた意識が無いから笑う側は安心して笑えるのかな?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?