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がんばっている、という免罪符。

どうも、麒麟です。

夫婦って、育った環境がちがう他人が、人生や生活をともにする。価値観の違うふたりが、すりあわせながら生きていく。そういうもんだと思っていました。

わたしとパートナーは、ともに仕事を持つ、いわゆる共働き。時間や価値観、気持ちのすれ違いに耐えられなくなったわたしは、別居という選択肢を選ぶことにしました。

もちろん男女なので、身体的な得意不得意はあるので、家事や子育てについては、おのずと役割のようなものができてきます(ここのすり合わせが足りなかったのは否めませんが)。

単純に仕事がうまくいなかなったり、家事や育児で疲れたりで、気持ちがいっぱいいっぱいになることってありますよね。それでパートナーにあたってしまったり、ありますよね。

わたしはある時を境に、パートナーとぶつかってしまうときに「がんばってる」「いそがしい」「たいへん」のような言葉を使うのをやめました。

だってそんなの「おたがいさま」じゃないですか。

がんばってるのだって、いそがしいのだって、たいへんなのだってわかってます(ただ、具体的にどうなのか、まで踏み込んでないのが良くなかった)。

だけど、わたしが個人的に感じていること。これは価値観に近いのかもしれませんが、だからこそ夫婦の問題を先に向き合わないといけないのではないですか?ということ。

「そんなこと言っても、自分だってがんばってる」

これを言われると、それ以上話ができなくなってしまいます。わたしが話すのが上手くないのもあると思いますし、この時点ですでにお互い話を聞く体勢というものが素直にとれなくなっていたのもあると思います。

わたしが夫婦のことについて、ひとりで考えている時間が長かったのもあり、どうしてもドライにとらえてしまうのがよくないのもありますが、だからこれからどうしていこう、って話がしたかったのです。

がんばっている。

そう言葉を発せば、自分が悪くないスタンスも保てるときがあるかもしれないですが、受け取り方によっては「相手はがんばっていない」そう取られてもおかしくないと思います。

がんばっている、を免罪符にしないで、じゃあどうしようか、という話にすすめたいので、今の別居というカタチを選びました。


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