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捨てられたポケットモンスター・ブルー

「きりんちゃん、いつも学年トップだよね。うちの子なんてとてもとても……ホントすごいわあ。ポケモン、かってあげなよ」
「そんなの当たり前よ。金出して塾に行かせてるんだから。そんな流行のソフトをあたえたら成績下がる。すぐ調子に乗るから、きりんは」

この言葉は忘れられない。
母は私が成績トップであることを「当たり前」だとのたまった。
その上、「調子に乗る」とまで言うとは、恐れ入った。

私は私なりに努力して、その努力を継続しているから学年トップを維持できているのだ。
――当たり前ではない。
ふざけるな、おまえが決めるな、とすら思った。

家での手伝いも、できることはその当時はしていたと思う。
私は親に起こされなくても起きていたし、忘れ物も殆どしたことがない。
通信簿は体育を除き、小中オール5であった。
先生からの評価も高かった。

それでもダメだった。
私がねだっても、「そんなのは当然」と相手もにされない。おざなりに褒められるだけだった。
一方、いつも学年最下位、通信簿はオール1の弟は、ねだればなんでも買ってもらえていた。

ゲームボーイとの出会い

この私の状況をあまりに見かねて、おじさんがゲームボーイを買ってくれた。
小学生2年生くらいのころだ。
初期の形の、あの分厚いタイプである。
両親はゲーム機は私には一度も買ってくれなかったが、他人からもらったら「人様に買っていただいた」という理由で私の手元に置くことが出来た。
見栄っ張りな両親らしい、理不尽な裁定である。

マリオの六つの金貨や、星のカービィでずいぶん遊んだものだ。
ソフトはたとえ自分のお年玉で買っても、親に「人から貰ったお金でくだらないものを買って」と嫌味を言われ続けるので、機嫌の良さそうなときに一本ずつかった。
一年に一本ペースぐらいだった。
五本もソフトを私は持っていなかったと思う。
捨てられてはたまらないので、ちゃんと大切に保管した。
部屋も毎日片付け、手伝いもした。
両親に揚げ足取りされないように、慎重に立ち回ったものだ。

……家族か、これは?

ポケットモンスター大流行

今でも大人気のポケットモンスター。
その第一作である「グリーン・レッド」はあまりの売れ行きに一時品切れになり、買えなかった子どもが続出したように記憶している。通信ケーブルまで売り切れたのも懐かしい。

クラスでポケモンが大流行していた最中、私は友人がポケモンをプレイしているのを見せてもらっていた。
面白いと友人は絶賛し、「きりんちゃんも買いなよ! ゲームボーイもってるんでしょ。お母さんに頼みなよ」と言ったが、私は無理だと首を左右に振った。
あれだけゲームボーイを手に入れるのに苦労したのだ。一方、弟はねだっただけでスーパーファミコンを手に入れていたが。
品薄のポケモンを手に入れるのに、親が協力してくれるはずがない。

「やった! ポケモンゲット!」

と、レアなポケモンを取れてはしゃぐ友人のそばで、私はポケモン特集をしている雑誌を友人宅で見ていた。
雑誌に限らず、漫画やゲームといった、「無料で見られないもの」は全て私は友人宅で見ていた。漫画どころかTVさえ自由に見られず、いつも娯楽に飢えていた私は友人宅で貪るようにしてそういう雑誌や漫画を読んでいたのである。

ポケットモンスター・ブルーの登場

さて……
ポケットモンスター・レッドとグリーンの人気が冷めやらず、未だ品薄が続く中のことだ。

「なあ、ポケモンにブルーがでるんだって!」

そう言って友人が見せてくれたのはコロコロだった。
そこには「コロコロ限定通販! ポケットモンスター・ブルー!」の文字が躍っていた。
私は食い入るようにそのページを見つめていた。

「これなら、確実に手に入るんじゃないか……?」

あれだけ欲しかったポケモンが、申し込めば買える。
喉から手が出るほど私は欲しかった。

これは通販だからこっそり買えそうだ……
お金もお年玉がまだある……
でも家に届いたら捨てられるだろう……
だけど友人の家に届くようになんてはできない……両親が知ったら友人に迷惑がかかる……

だから私は諦めようとした。
いつものように、ほしいものを諦めようとした。
でもできなかった。
そのくらいポケモンは魅力的なゲームだったのだ。

決死のおねだり

だから、私は勇気を振り絞って親に頼んでみた。
「誕生日とクリスマス」をあわせて、「私の残っているお年玉でポケモンを買って下さい」と頼んだ。
見栄っ張りな両親だから、友人の親のまえで頼めば、とりあえず話だけは聞いてくれるだろう。
そう見越して、友人宅で集まって遊んでいたときにお願いした。
でもダメだった。
その場ではさらりと断られたが、ここで終わりではなかった。

「小狡い! 恥かいた!」

と、家ではクドクドと文句をいわれた。
が、私は知っている。
人の目がなければ、そもそも没交渉なので、よく言うものだと小学生ながら呆れさえした。

……当時の私は分かっていなかったが、傍目から見ても、母の厳しさは相当なものだったらしい。
かなり抑圧されている私を見、再三友人の親や、母と親しい親族は幾度も母を諫めたが、それでも改善はされなかった。
それどころかますます自分の考えに固執し、自分の理想通りに行かない私を責め立てたものだ。

この件に限らず、日常的に何かささいな頼みやおねだりも突っぱねられていたので、私はすっかり母に何か頼むことをしなくなった。
そのくせ、母が気に入れば、私が要らない、好きではないと言っても買ってくるのだから心底嫌だった。
無論、どうしても必要なものがあれば、母に頼むより他なかったが、「おまえは金の相談しかしない!」と毎回キレられた。
そのたびに思ったものだ。
私だって、金さえあれば母になんて、頼まない。
自分で全部準備できる、と。

最高のクリスマスプレゼントは友人の親から

「きりんちゃん、これ、おばちゃんからのクリスマスプレゼント!」
「え……?」

家族ぐるみ付き合っていた友人宅でのクリスマスパーティー。
私はこの集まりがいつも楽しみだった。
親と離れられるし、気の合う友達とゲームで遊べ、漫画も読め、お菓子も食べられた。好きなだけ笑ってよかった。
外面のいい両親は、人の目のあるところなら、私を感情的に怒鳴りつけたり、ネチネチと叱ったりしないからだ。
これだけで私は十分に満足していた。
だから、まさか友人の親からプレゼントを貰うなんて思ってもいなかった。
友人の親から差し出された小包を、親の目を気にしながら受け取り、私はおそるおそる開けてみた。
するとそこには、夢にまで見た……

「ポケットモンスター・ブルー」

があったのだ!
私は感情を殺すのも忘れ、歓声を上げた。

こんなに嬉しいプレゼントはなかった。
全身が震えるほど嬉しかった。

ただ即座に、「母に取りあげられるのでは」と焦って母を見れば、予想通り母は苦虫をかみつぶしたような表情をしていた。
「すいません、うちの子が代わりに申し込んでくれってねだったんでしょう。突っぱねてもらってよかったのに。アンタもアンタで白々しい。イヤらしい子!」
「何言うてるの、きりんちゃんに頼まれてじゃなくて、私がきりんちゃんのために買ってあげたんやで。ほら、きりんちゃん、はよ上いってうちの子と遊び」
と友人の母がその場を納めてくれ、私はポケモンを取り上げられずに済んだ。

これはあとから、友人から聞いた話なのだが――……
その友人の母は、私のがっかりした様子を見かねて、私には内緒でコロコロの通販に申し込んでくれたそうだ。
バージョン違いのポケモンという事で、ポケモン・レッドを持っていた友人も欲しがったが、「きりんちゃんは持ってないんだよ」と諭され、納得した友人が私に権利を譲ってくれたらしい。
「これできりんちゃんとポケモンの話できるなあ! はよやり! つまったら聞いてな!」
と友達はニコニコと笑ってゲームボーイを貸してくれた。私は泣きそうになるのを堪えつつ、ゲームボーイにソフトを入れた。
「うん! 頑張って進めるなあ。対戦もしよう! 交換も……!」
「やろうやろう! 交換でしか手には入らんポケモンおるねん。ケーブル買ってもろてんなー」
……この日はポケモンの話で持ちきり、友達の家で心ゆくまで買って貰ったポケットモンスター・ブルーをプレイした。
友達とやっとポケモンの話がいっぱいできて、嬉しかった。
私が流行のソフトを手にして、ゲームの話題に入れたのは、はじめてだった。

何度も書くが、私は本当に驚いた。
こんな素適なことが自分の身に起こるなんて、思いもしなかった。

このソフトでどれだけ遊んだか分からない。
何度も繰り返しはじめから遊び、当時大流行したFF7のキャラクターの名前を付けたりもした。
これも当時大はやりしていたのは知っていたが、プレステからして私には買ってもらえないのは分かっていたから、せめてもの慰みにポケモンに名前を付けて楽しんでいたのだ。

まさにこのポケットモンスター・ブルーは私の宝物だった。

私が本当にほしいもので、本当に楽しんでいたものだから。
しかもわざわざ、他人が買ってくれたのだ
このことのすごさを小学生の私は理解していた。
普通、友人とは言えども他人の子どもにゲームなんて買わないだろう。
なにせ目の前で親から「買わない」と断言までされていたのだから。
しかも3000円もするのだ。
当時の私にとっては大金だった。
何度も礼を言った。本当に嬉しかった。未だに感謝している。
ここまで鮮明に覚えていることが、その証だ。

でも、大好きなポケモンたちはいなくなった

しかし、この大切なソフトは私の手元にはない。
ある日、なくなってしまったのだ。
私がポケモンをプレイしていた時間は1年かそこらぐらいだろう……。

中学校から帰ってきた私が、宿題を終え、「さあポケモンをしよう!」と、いつもゲームボーイをしまっているベッドの枕下を私は見た。
なぜそんなところに、と思われるだろうが、私は「寝ているときに捨てられては嫌だ」と思い、ベッドの枕下にいつも隠していたのだ。
それに親が起きているときゲームをしていると、何をどうやろうが、ネチネチ文句を言われて楽しめないので、親が寝てからこっそりプレイするのが私の数少ない楽しみだった。

しかし、枕の下にゲームボーイはなかった。
慌てて思い当たる場所全てを探したが、どこにもゲームボーイはなかった。
親が捨てたのか、それとも弟が持ち出して誰かに渡してしまったのか……。
ただ間違いなく言えるのは、私がなくしたのではない、ということだ。

なにせ、昨日まで楽しく遊んでいて、明日はこれをやろう!と計画していたぐらいなのだから。
学校へは持って行っていない。
家の中にあって、なくなったのだから、誰かが隠したか捨てた。
そうとしか考えられなかった。

……このポケモンのデータの内容を、私は未だに覚えている。
ウインディ、サンドパン、ハクリュー、ラプラス、フシギバナ、ミュウツー、フリーザー、ゲンガー、フーディン……。
レベルマックスまで育てた大好きなポケモンたち……。
その中でも私は特にハクリューが好きで、わざわざ6匹集めてハクリューだけのパーティーを作ってしまったほどだ。
貴重なわざましんをハクリューに使い、大切に育てた(初代のわざマシンは使い切りだった)。
四天王突破もハクリュー6匹で行ったりしていたものだ。
ポケモンのイラストもたくさん描いた。
クラスでは上手だと評判だった。嬉しかった。

本当に私はポケモンが大好きだった。

「しらんわ」

私はゲームボーイを必死に探し回った。
部屋のどこかに置いたのだと、早く見つかって欲しいと祈りながら。
でもいつも片付けている部屋だ。
私がうっかりどこかへ紛れ込ませたとは考えにくい。
それでもしつこく探し続けたが、見つからない。
だから私は勇気を振り絞って、家にいた母にも尋ねた。
母は不機嫌そうに、冷たく言い放った。

「しらんわ」

たった一言だった。
探すのを手伝うこともしてくれなかった。
でも私はこの言葉で確信した。
母が捨てたのだ、と。

……今でも、なぜ捨てられたのか、正直分からない。
成績不振は理由にならないし、ゲームをするから捨てるのならば、他のゲーム機だって捨てられていてもおかしくない。
こそこそゲームをするのがムカつくにしても、あまりに短絡的で、むごすぎる仕打ちだろう。
この年になって思い当たることがあるとすれば――、「他人に懐いている私」を母が気に入らなかった、ぐらいだ。

それに……
他のゲーム機は、弟のために両親が買っており、親は捨てられなかったのだろう。
だが私のゲームボーイは、他人が私のために買ったものであり、親は捨てられたのだろう。

私にとっては大事な大事な宝物だったのに。
たかがデータだと母の目に映っていたのだろう。
だから平気で捨てられ、平然と嘘をつけたのだろう。
母のモノに、私がちょっとでも触ったりしたら、激怒するくせに。

これが決定打となり、それ以来、私は母のことを一切信用していない。
表面上、母と喋ることは、一緒に暮らしている以上あったものの、本心を語ったことは皆無である。

また――、その後、ポケットモンスター・クリスタルなどもでたものの、私はこの一件から、また捨てられるのを恐れて、ポケモンを買わなかった。
すごく面白そうで、遊んでみたかった。
でもハードごと捨てられてしまったので、ポケモンとゲーム機両方を同時に買う方法は私にはもうなかった。
なにより、買ってもらったおじさんと友人のおばさんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった……。


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