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4歳で家出

我が家における、父の食事のマナーの指導の強烈さはこちらに書いた。

父の性格は家族についてに書いたとおりだが、まあ……本当にこんな接しづらい人間は、私はこれまで見たことがない。

父は、わずかにでも「自分が馬鹿にされている」と感じると不機嫌になりぶち切れ出す。
この「馬鹿にされている」というのは、冗談レベルでも、ちょーっとした言葉のあやでも駄目だ。
また、常に自分を一番に立ててもらえないと駄目である。
まさにガキである。

さて、こんな父である。
どれほど心の広い女性であっても、父とうまくいく人などいないだろう。

些細なことで父と母は毎日大げんかをしていた。
窓ガラスを割るほどのけんかになったことも何度もある。

ひどいときは三日に一度、少なくても月に一度か二度は離婚すると言って、祖父母の家に母は私を連れて帰っていった。
祖父母の家は我が家から車で一時間以内の場所であった。

祖父母は私をたいそう可愛がってくれた。
猫かわいがりではない。
社会的にしてはいけないこと、他人を傷つけること、そういうことをすれば叱られたし、祖父母の事情でできないことはできないと、分かるように理由を付けて断られていた。だから、私はそのときは残念に思ったが、祖父母を憎んだり、嫌いになったことはない。
むしろ祖父母は出来うる範囲で私のやりたいことを叶えてくれていた。
私がやってみたいこと(刺繍、お絵かき、TV、トランプ、おはじき、かるた……)はいつも一緒に遊んでくれた。
私の好きなものを、作ったてくれたり、時にはご褒美だと買ってくれることもあった。
すごく嬉しかった。
ちゃんと構ってくれた。

私から無闇矢鱈にものを取り上げたりしなかった。
感情的に怒鳴りつけられたことなど一度もない。

勉強をしていれば、祖父母はいつも褒めてくれた。
「こんなに賢いなら、将来は大物になるなあ」と目を細めて微笑んでいた。

通信簿を見て大喜びしてくれた。
食事中も祖父母とたのしくおしゃべりしながら食べていた。
私は喋りたいことが沢山あったのだ。
家では誰も聞いてくれないから、「右手ちゃん」と「左手くん」としか話せなかった。
祖父母が理解していたかは分からないけれど、聞いてくれている実感があった。

祖父母からは「愛されている」「認められている」「尊重されている」という実感が、私には確かにあった。

それに比べて、実家の惨憺たるものや……
4歳かそこらの私が、「実家に帰りたくない、祖父母の家で暮らしたい」、と考え出すのは当然だった。
しかし言葉にはしなかった。
4歳ながら、「これはいったらマズい」と理解していた。

子どもに気遣わせすぎな両親である……

「だったら出て行け!」

だが、ついに私が限界を迎えた。
4歳のある日、私はぽろっと言ってしまったのだ。
「ばあちゃんちに行きたい」
「そんなにいきたいなら勝手に行け!」
そう言って父は私を外へたたき出した。

外は真っ暗だった。
ド田舎なので街頭などなかった
でも全然くらいのは怖くなかった。むしろ親しみさえ感じた。
暗闇は、ベッドで私をいつも優しく包んで守ってくれるからだ。
その年の時点で、私にとって孤独とは寂しさではなく、安らぎだったのだ。

そのときの私は裸足だった。
が、迷わず家から出て行った。
その年で私は祖父母の家への行き方を、車から見ていた風景や道順で完璧に覚えていたので(それだけしょっちゅう行き来していたのだ)不安などひとつもなかった。
時刻は7~8時頃だったように記憶している。
だから今から夜通し歩けば、朝までには祖父母の家に行ける、と私は見立てていた。
当時の私は知るよしもなかったが、幼児~10歳未満の子供で歩行速度の平均時速は1~2キロだそうだから、意外とこの見立ては当たっていたのである。
私はなるべく走った。
うしろから追いつかれたらたまらないと思ったからだ。
気持ちは実に晴れ晴れとしていた。
やっと祖父母の家で暮らせるのだとワクワクしていた。
RPGの主人公――冒険に出た主人公、のような気分だった。
ドラクエ風に言うなら、装備は「布の服」だけ、である。
でも私は「天使の羽衣」をきたような気分で夜道をひた走っていた。

だが、3~4キロ進んだ時点で、私はバイクに乗った母に捕まった。

帰宅してから怒られた、という記憶はない。
さすがにあの父も参ったのだろう。
父としては、キツく懲らしめてやろう、毎日びーびー泣きやがって! こうすれば泣いて謝るに違いない、しめしめ・・・・・・と思っていたら、子どもは一言も騒がない。泣かない。不審に思って玄関を開けて外を見れば、私がいないのだから慌てて母に迎えに行かせたのである。

しかしながら、4歳の子が、家出すると強く決め、道も覚えて意気揚々と出て行くとは……ヤバいと思わなかったのだろうか?
しかも親に泣いて謝るかと思いきや、私はこれっぽっちも泣かなかった。
その上、私は当時から健脚だった。
足は速くないが、とにかく延々と歩くことはできた。
忍耐力もあったので、裸足で歩くのなんて辛くもなかったのだ。

というか、両親に比べたら、足の裏の痛さなんて、ちっとも気にならなかった。

両親のことが好きじゃない、という事を無意識に感じる4歳児

この事件……
私に、わずかにでも、「母親、父親が好き」という気持ちがあれば、泣いて謝っていただろう。
だが私は「自分は間違っていない」と無意識に感じ、絶対に謝ろうと思わなかったし、謝っていない。

私は彼らに対する愛情に、この時点でヒビが入っていた。
この時点で、私が両親に対して、「大好きだから許して」なんて思ったことはない。

私はすでにその年で、「まわりは私をすごい、えらい、頑張ってると言ってくれる。褒めてくれる。私をバカだとか言う両親は変だ。私をバカというのは両親だけだ。間違っているのは両親だ。私は間違っていない」と無意識のうちに見なしていたのだろう。

これがまた、両親からすると「生意気」「冷血」「人でなし」に繋がるのだが……。

……どちらが「人でなし」なのだろうか?

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