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私の家族について


父 プライドは異常に高く、自己肯定感は異様に低い。暴言暴力王。

父は「コミュニケーションのとれない」人だった。
話しかけるとけんか腰で返ってくるの基本。

父にしか分からないであろうコトを訊ねても「自分で調べろ」で終わり。
伝言を頼めば「親を連絡役に使うのか」と不機嫌になる。
自分はいつも「接待される側」だと頭から信じ切っている。
子どもがしたこと、見せたことは「全部バカにする」のが親の務めだと思ってる。

……こんなの扱いづらいどころの話ではない。
とにかく「頼み事」が一切できない相手だった。
またプライドが異常なほど高く、そのくせ自己肯定感が異常なほど低いので、冗談でもからかわれるとキレる。
特に年下、自分が下だと見下している相手には顕著だった。
逆に年上、自分が上だと思っている相手には物腰低く、薄気味悪いほど笑顔で丁寧だった。

日常の雑談など当然できるはずもなく、これまでの人生、父と会話した時間をまとめれば数分にも満たない。

また、自分がわずかにでも気に入らないことがあると暴言、暴力を振るう幼稚なところもあった。
ただ、外面はおそろしくいいので、父のこの顔に気がついている人は、少なくとも父の職場にはいないだろう。
しかし、仕事をどうやってやっていたのか……はなはだ疑問である……。

それに加え、金遣いはかなり荒かった。
「自分は稼いでいるのだから、自分の好きなように使って良い」と本気で信じており、「家族のために使う」ことを嫌がっていた。
けれども結婚し、妻と子がいるのなら、生活費がかかる。もちろん自分ひとり養う以上に。
つまり、父の取り分はものすごく減る。
父の口癖は、「おまえに金がかかるから、好きなものが買えない」であった。
こんなことを言いながらも、自宅は父が買ってきたもので溢れていた。
でも、これは「家族のモノ」ではなく「父のモノ」なので勝手に使ったりしたらブチ切れられる。
使って良いのは母だけだった。
車の乗り換えも頻繁だった。
だいたい2~3年に一度のペースで新車に切り替わっていた。
母にも高価なプレゼントをよく贈っていた。
が、私には数千円のラジカセひとつ買うのも数年渋った。

客観的に見て……
家庭持ちにしては、かなり自由に金を使えていたのではないだろうか?
なのに父は「自分は我慢している!」と言い張り、自由に金が使えない鬱憤を、私をいじめ抜くことで発散していた。
挙げ句の果てには「なんでも悪いことは俺のせいにしやがって! 俺が死ねばいいのか!」とキレ出す始末である。

自分を省みることをしらず、やったことを反省することもなければ、謝ることもない。
どんながあっても、「自分は悪くない」と心から信じている。
それが私の父だ。

母 ヒステリックで見栄っ張り。冷酷。嫌味のプロ。

母は父と見合い結婚だったらしい。
が、結婚当初から夫婦仲は最悪も最悪。
毎日が離婚騒ぎ。
もともと母は神経質で完璧主義、見栄っ張りなところがあり、もともと精神的ゆとりのある人ではなかった。
ヒステリックになると手が付けられず、感情的に全て決めてしまう。
気に入らないことがあれば衝動的にモノを捨てたりするので、ある意味では父よりタチが悪いところがあった。

もし母が都会にいたら、一生独身でバリバリ働いて暮らしていただろう。
そう思わせる雰囲気が母にはあった。
あまり家庭向きな性格ではなかった、と思う。
人情味が薄く、冷酷な仕打ちをされたことは何度もある。
惨めな思いをしたことも多い。

また、母へも「頼み事」はできない相手だった。
私が物心ついたときから、「自分でやれ」が母の口癖である。

ただ、母は父と結婚しなければ、もっとまともな人生を送れただろうなと思う。
家事は出来、身なりもいつもキレイでお洒落にしており、要領も良かった。

だからこそ、年々母の言動が精神的に歪んでいく様をみていくのは、私はしんどかった。

弟 謎の存在

私とは数歳離れているが、殆ど接触なし。
姉弟という感覚も薄い。

私 無表情・無愛想・無口・相談しない・冷血(両親からの評価)

・家の中
私は両親に目をつけられないように「感情を殺して」家の中で暮らしていた。
いつもむすっとしていると言われ、「そんなに家が嫌いか!」とよく言われていた。

表情を作れば、両親に「なんだその顔は」と不快そうに言われるから「無表情」に。
何をしても揚げ足取りをされるので、私が基本的に彼らには関わらないようにしていれば「無愛想」に。
下手になにか自分のことを話せば言質を取られたり、笑い話にされるので、「無口」に。
頼み事があっても「自分でやれ、調べろ、親を使うな」といわれるのが関の山だから「相談しない」に。
そして、これらの態度から、親を親とも思わず小馬鹿にした態度を取る、と両親に見なされて「冷血」に。

両親に何度罵られても、私はこの態度を変えなかった。
これが私の家の中で生きていく戦略だったから。

私は、両親から「可愛がれられている」「愛されている」「尊重されている」と感じた瞬間は、一度もない。

・家の外
家の中では感情を殺して生きていただけに、外ではその分発散していた。
明るくうるさくユニーク。
かなりお喋り。
また気も強い。
よく笑う。
全くの別人だった。

「私」を完全に押し殺して、息を潜めていた暮らし。
「私」を全開にして、生き生きとしていた暮らし。

実家にいたころ、私は二人いたようなものだったのだ……


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