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毒親に嫌われる勇気を持とう!

学生さんで、毒親の元で暮らしており、苦労している方は多いと思う。
こんなやつに養われるくらいなら、家を飛び出して一人暮らししたいと思っている方もいるだろう。

だが、毒親から脱出するためには、大いに毒親を利用すべきだ。

矛盾しているようだが、衣食住が曲がりなりにも保証されている今だからこそ、やれることがある。
※但し、衣食住を保証されていない、ましてや日々暴力に晒されているのであれば、児童相談所や警察にすぐさま相談すべきだ。家族間であっても暴力は犯罪である。

毒親の影響から心身を守りつつ、自分を育てよう。

毒親は本当にメンタルをボロボロにしてくる。
ましてや毒親とは頑固なもので、「自分の考え方こそ素晴らしい!」と思い込んでいる節がある。
だから毒親の考え方を変えることは「諦めよう」。
その代わり、「自分の思考・発想を変えていく」必要がある。

例を挙げれば――
成績が悪いと親に叱られ、良くても褒められない。
これでは勉強のモチベーションが上がらない……私も同じ立場だったから、よく分かる。

だが、学校や塾で学べば、自分が成長できる。これは間違いない。
学歴はあって困るものではない。
ただ「親に褒められる」を目標とするのは止めよう。
他人と比べるのも止めておこう。
その代わり、「自分が過去の自分より成長する」ことを目標として学ぼう。

「不器量だ」「性格が悪い」……他にも多くの心ない言葉を親からぶつけられ、すっかり自信を失った方もいると思う。
でもそれは「親の目線」から見た話だ。
友人からの評価はどうだろう?
世間の人は親の言う評価基準を、それほど重要視しているだろうか?
毒親がもたらす知識や評価から構築される世界ではなく、もっと広い世界へ歩きだそう。
もちろんその世界でも傷つくことはあるだろうけれど、毒親の世界でじっと縮こまって殴られ続けるよりは、ずっと得るものがあるはずだ。
私も友人や読書、文通と言った「他の世界とのつながり」でずいぶん世界観が広がったと感じている。

とにもかくにも、毒親の元で暮らすのが苦しいのは、「自分が自分でいることを許されない」からだ。
本来ならば、親は子どもを手助けしたり、見守る存在なのに、過干渉から子どもを苦しめる。

だから過干渉される側は、親の過干渉をはねのける勇気を持とう。
だって、毒親の世界観によって作り上げられた世界ではなく、自分の世界観で作り上げた世界を生きてこそ、「しあわせだ」と感じられるのだから。

毒親が悲しむ?
なぜそんなことを気にする必要が?

毒親の悲しみは毒親が選んだ感情であって、子どもが解決する問題ではないからだ。


毒親に嫌われる勇気を持とう。

毒親育ちでどうしても陥りやすい思考がある。

「今の自分が上手くいっていないのは毒親のせいだ!」

この気持ちはよく分かる。
私も実際、毒親のせいで体調もメンタルもボロボロで、ここから復調するのに苦労した。
しなくていい苦労をさせられたとつくづく思う。
だが、今の私は満足いく暮らし、つまりしあわせを日々感じながら生きている。
つまり……

「毒親育ちの子どもが、皆が皆、不幸な人生を歩んでいるわけではない」

ってことだ。
矛盾しているようだけれども、今の自分が上手くいかないことを、毒親のせいにして逃げるのはとても簡単だ。こう書かれてムカつく人もいると思う。でも、自分の人生を投げ出して困るのは究極的に言えば「自分」なのだ。腹立たしいが、「毒親」ではない!
もっと冷たいことを言えば――、毒親に自分が上手くいっていないことを押しつけても、何の解決にもならない。
自分がどうしたいか考えたらすぐに分かる。

毒親で育ったからこそ、今、自分がしあわせになりたい、と思っているのではないだろうか?

実際、私も毒親が原因で就活の自己分析にはかなり苦労したし、出遅れもした。
だが「毒親に原因を見いだしたところで就職先が見つかるわけではないのだ」ということに、私は早々に気がついた。
結局、就職したければ、履歴書を書いて、面接を受けて、採用されなくてはいけない。
だから全くもって酷かった就活だけれども、どうにか最後には採用され、今は楽しく一人暮らしできている。
無論、毒親を無罪放免にしたわけではなく、一生涯会いたいとは思わない。
これは私の選択なので、悲しい・苦しいという感情はなく、清々しい感情でいっぱいだ。

だから大切なのは、今の自分を受け入れて、自分の持っている素質を見いだして、今に生かすことだ。
しかしながら、毒親育ちだと、どうしても思考にフィルターがかかってしまい、自己分析が上手くいかない傾向があるとは思う。

そのフィルターを剥がすのには「勇気」さえあればいい。

私も自分自身に向き合うのには、ずいぶんな勇気と年月が必要だった。
今の自分のままのほうがラクだから――、言ってみれば、親にけなされ続けてきた自分でいたほうがラク、親を恨む自分でいた方がラク、ではあった。
自分が上手くいかないことを毒親に押しつけて、わめいている方がラクだ。
口ではどうにかしたいと言いつつも、現状維持がラクなのは、なんとなく分かると思う。
ましてや毒親は普通の親よりもずいぶん扱いづらい。
でも、何かを変えるには、「毒親ではなく自分が動かないといけない」のだ。

だから、勉強を投げ出したり、非行に走ることを、私はあまり良いとは思わない。
実際、親に罵倒されながら勉強を続けるのは相当しんどかったし、毒親を殺してやりたいと思ったことも幾度となくある。

だけど、結局、「成績が落ちる」「前科がつく」といった不利益を被るのは「私」なのだ。
それでは自分はしあわせになれない。
いくら事情があっても、それを話したからって、就職できるわけでも、成績が上がるわけでもないし、前科が消えるわけでもない。

だから「毒親に嫌われる勇気」を持とう。
だいたい「毒親に好かれて、自分がしあわせになれるか」と考えてみると、至って答えはシンプル。

ノーなのだ。

ちなみに……
私の毒親は私に対してあれほどの精神的虐待を加えておきながら、「私のためにやったこと。だから私に嫌われていない」と思っているのである!
いやはや……この考えをメールで送られてきたときは心底「全然私の辛さ分かってねええええ!!」と思ったものだ……。
だからこそ、私はもう「毒親と接しない」という決定を下したのだが。


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