就職活動と趣味について

 就職活動におけるエントリーシートには、よく100字程度で趣味の項目がある。そこを僕はまともに埋められた試しがない。趣味がない。最近思い始めことは、この趣味のなさは、就職活動の根幹に影響してるんじゃないか、ということだ。もしかすると、根本的にやりたいことなんて何もなくて、だから、趣味も一つもないんだろう、ということだ。僕はいろいろ民間企業を受けてみたが、どれも一次面接で叩き落とされた。ただ自分の面接の力量不足と思っていたが、実はやりたいことのないような社会不適合者は話にならなかっただけなのかもしれない。この「やりたいこと」というのは実は通常人が持っていなければならないモノで、ともすれば暗闇を歩くときの懐中電灯かもしれない。僕があてどなく歩くのも無理はないのだろう。

 学校に入ったときの、登竜門的な挨拶で、僕は趣味を読書にしていた。本はたまに読んでいたからだ。ただ、読書家というほどの熱量もなく、趣味で公言するほどのレベルではない。YouTubeを見て始めた靴磨きも、高校の部活動から継続している詩の創作も、もちろん趣味と言えるレベルではない。革靴なんて二足しかないし、詩なんて下手すぎて反吐が出る。そも僕には文才がない。あれば日記で文章力の向上など狙わない。つまり、どれにも熱量を持つことはできなかった。やりたくてたまらない、ということがない。人に自慢できる、見せられることなどありはしない。

 加えて、この情熱のなさ、というのも就職するにおいての欠点なのだろう。最近よく、自分が狭いアパートの一室で孤独死する姿を思い浮かべる。末路を思い浮かべてみても、やる気はでなかった。情熱もなければやりたいこともない。就職できる気がしない。

 ただ、こういうように、「就職できる気がしない」というようなことを言うと、選ばなければできるという人がいる。ただ、僕のような人間が、誰でも入れるようなブラック企業でやっていけるわけがないのだ。理不尽な上司に耐えきれず、暴力をふるい、刑務所行きになるのがオチだ。社会不適合者を舐めるなと言いたい。しかしこんなものがワガママだ、ということも一方で理解しているのだ。僕のような社会不適合者がまともにホワイト企業に就職できるわけがないのだから、おとなしく、ブラック企業で使い潰されて死に晒せというのは当たり前の話だ。この世界に、金にならない人間の居場所なんてない。

 なにはともあれ、僕のような無能で、やりたいこともなく、情熱もない人間は死に晒すほかないのだろう。趣味がないということは、実は重大な欠点だったのだ。暗中模索で潜り抜けられるほど社会は甘くないだろう。まあ、使い潰されて消費されるだけの僕に、趣味など必要なのかは疑問だが。

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