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ぼっとん便所を馬鹿にされていた君へ

ぼっとん便所を馬鹿にされていた日々を
あなたはまだ覚えているだろうか。

私の実家はぼっとん便所だった。

中学の時、

「お前んち、ぼっとん便所?」

と馬鹿にされていた。

だが、もう過去のこと。

とっくに終わったことだ。

『どうして私の家だけ、ぼっとん便所なんだ』

毎日、涙で枕を濡らしていた。

いやそれは言い過ぎた。

泣いたことはない。

トイレの底からなにか出てきそうで、
怖くて一人でトイレに行けなかった日もあった。

ぼっとん便所に大切な物を落として、
落胆したこともあった。

排泄物まみれになった大切な物を、
家族総出で救出した日もあった。

ぼっとん便所に母親がポケットベルを落とした時、
家族全員が心ひとつになった。

ひっかけ網をつくり、家族みんなでポケットベルを
すくいあげたのだ。

うんこまみれのポケットベルを。

家族の絆がさらに深まった。

ぼっとん便所だったからこそ生まれたドラマがあった。

だが、クラスメイトに馬鹿にされるのは悲しかった。

一日もはやく、水洗トイレになってほしいと願っていた。

水洗トイレになった今も、
あの頃の気持ちは忘れていない。

だが、ぼっとん便所を馬鹿にしていた人間に
復讐心を持つのはやめよう。

トイレの神様「烏枢沙摩明王様」の存在を信じよう。

ぼっとん便所を馬鹿にしていた人間に復讐することは、
烏枢沙摩明王様は望んでおられることではない。

復讐はなにもいいことをもたらさない。

烏枢沙摩明王様に全てお任せしようではないか。

私たちは私たちで、家にトイレがあることを
ただひたすら感謝しよう。

水洗トイレにしてくれた家族に、ただただ
感謝の気持ちを伝えよう。

トイレの神様、今日も美しいトイレを使わせて
いただきありがとうございます。

ただ、プールで〇〇した件はお許しください。

プールの神様にも懺悔いたしました。

トイレ以外の場所で二度と〇〇は致しません。

どうか、お許しください。


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