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最後の晩餐〜描いたそばから腐っていった挙句勝手に風穴空けられた名作〜

ダンブルドアと言っても7割くらい騙せそうなレオナルド・ダ・ヴィンチ自画像


この、ホグワーツにいたら黙ってるだけで校長になれそうな雰囲気の男性は


レオナルド・ダ・ヴィンチ


という1452〜1519年にイタリアで主に活動した
ざっくり言えば世界一有名な芸術家です。



その技量たるや若年の頃からシャレになっておらず
弟子入りした師ヴェロッキオの工房で絵画の一部を手がけたところ


ヴェロッキオ「コイツ上手すぎてやる気失せたわ」


と師匠をビビり散らかした挙句筆を折らせるという
将棋の藤井8段よろしく天才ムーヴで業界を震撼させます。


その圧倒的な描写と機知に富む構図や発想力は異常とも言える探究心によるもので
はみ出した好奇心は工学、地質学、軍事学、気象学など頭の容量とCPUがバグってるレベルで多種多様に及び、そのどれもが専門家を唸らせるものがあります。


そのため、ダ・ヴィンチは「万能の天才」と呼ばれます。


特に人体表現についてはシャレにならない拘りを見せ
人間の顔ってどうなってる?腕はどう動く?などと好奇心は留まることを知りません。


やがて「"人"の中はどうなってるの?」という若干のサイコパス思考が生まれ
ダ・ヴィンチは教会の地下でおよそ30体ほどの死体をせっせと解剖しながら研究し、「アイツ黒魔術士じゃね?」という噂も気にせず好奇心を満たしたようです。


また、「現実の世界に輪郭「線」とかねぇだろ」
という着想から柔らかい筆でしこたま筆致するスフマートという技法で輪郭線を消失させることで絵画の中に"リアル"を追求します。


ダ・ヴィンチの人物の輪郭が若干ボヤけて見えるのはこの技法によるところ。


ホンマにお一人でしたか?と疑いたくなる活動範囲と
尋常ならざる研究心と拘り(あと気分)によるやたらと遅い制作スピードのせいでダ・ヴィンチは作品数がかなり少ない人物です。


だからこそ一度市場に出れば高すぎて逆に訳が分からなくなる金額になり
2017年ニューヨークのオークションに出品された作品「サルバドール・ムンディ」は


$450,000,000といううまい棒にすれば城が作れそうな
シャレにならない価格で落札されました。



この作品「サルバドール・ムンディ」は元々「ダ・ヴィンチっぽくね?」と言う程度の感じで100,000円くらいで取引されていました。


それがすったもんだで「ダ・ヴィンチですね」にかわりこの価格に
美術業界の面白さと闇が滲み出ております。



さて、美術館と分度器の重要度が同じくらい美術に興味がない人でも
ダ・ヴィンチのモナ・リザを見れば「あぁ何か見たことあるわ。目が動くヤツだわ」くらい形はどうあれほとんどの人が知っています。


そんなダ・ヴィンチの有名作品の中でも1番(ダメージ的な意味で)いろいろあった作品が
この「最後の晩餐」です。

イタリア、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の壁画である本作。
構図がどうだのキリスト教がどうだの真面目な話はアホほど語られてるので少し違うことを。


この作品、ぶっちゃけ原型をほとんど留めていないと言われています。


現代になり、この偉大なる傑作をダ・ヴィンチのオリジナルに近い状態に蘇らせよう
という大変危篤なプロジェクトが発足します。


修復の際、まずは画面の表層を落としいきながらオリジナルの表層を探していると


アラびっくり 下地が露出( ͡°
͜ʖ ͡°)


別に修復をミスった訳ではなく
オリジナル部分がボロボロ過ぎてほとんど残っていなかったのです。


そもそも本作完成から訳15年余り
世界初の作家にフォーカスした美術書を記したヴァザーリは最後の晩餐について


「めっちゃ腐っててよー分からん」


と記すほどであり、完成したそばからアレよアレよと朽ちていった模様。
これはダ・ヴィンチがテンペラという卵黄を媒体に絵具を解く技法を採用したことが1つの原因です。


挙句、この壁画の裏は調理場で壁画表側は食堂
まぁ湿気だの何だのがやばいことやばいこと。



本来、フレスコという壁画技法を採用すればこの事態を回避できた可能性はありますが
フレスコは塗った漆喰が浸透、固着していくまでに描く必要があるため計画性を要求する忙しい技法。


ダ・ヴィンチはこの方法が好かなかったのでテンペラを採用したようです。


そうは言っても偉人の名作。
現代に至るまで幾度も修復が試みられておりますが、腐っててやはり細部がよく分からん。


「背景、こんな感じにしといたろ」

「この壁の四角何なん?ちょっと柄足しといたろ」

と言った感じで時代によってやんわり形を変えられていきます。


また、この作品の中央下、キリストの足の部分になんかアーチ場に絵が削られたようになっています。
これは元々そうであったわけでなく


遠回りがめんどいので壁ぶち抜いた結果です。

先ほどお伝えしたようにこの作品は調理場と飲食スペースを隔てる壁に描かれており
食事を運ぶには迂回する必要がありました。


後年になり「最短距離で行くぜ」となり
見事に絵(壁)の中央下部分をぶち抜いた訳です(現在は埋められている)。



因みに、戦争で爆撃されたことありましたが
絵の数メートル手前まではギリ無事だった奇跡体験もしております。


それが、もしダ・ヴィンチ本人が見たら「いや絵変わってるやん」と言われる可能性のある名作


「最後の晩餐」です。

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