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海と内陸

以下は、内陸県の地位向上に尽くしたある男が、群衆で埋め尽くされた葛西臨海公園で語った演説の一文である。

私には夢がある。いつの日か、南紀の白浜の上で、内陸県の子供と海あり県の子供が同じビーチパラソルの下で一緒に座ることができるようになるという夢だ I have a dream that one day on the white beach of Nanki the sons of Inland prefecture and the sons of seaside prefecture will be able to sit down together under the beach parasol of brotherhood.

全国で海に隣接していない都道府県は全部で8つある。私はその中の1つ、岐阜県で生を受けた。

人はないものねだりをしてしまう生き物である。ゆえに我々が海を求めてしまうのは必定だった。私の住んでいた地域では、北を日本海側、南を太平洋側と呼んだ。我々は列島規模で見れば海に接しているという事実で己を慰めていたのだ。あるいは日本という海洋国家にあって唯一、大陸国家的性質を持つ内陸県特有の領土拡大思考のもたらす悲しい性なのかもしれない。

とはいえ岐阜にいる間、海がないという事実をことさらに意識することはなかった。岐阜は富山、石川、福井、滋賀、愛知、三重、長野と接しており、このうち滋賀と長野以外は海あり県であった。しかしながら北陸に目を向けると、富山は石川、福井は石川と京都、石川は自分のことしか見ていないので岐阜が関わることは稀であり、滋賀と三重は関西方向を向き、愛知は石川以上に周りに興味がなく、長野とはお互いに関心がなかった。長野と岐阜双方に海がないからである。

しかし東京へ出て事態は一変した。関東地方では、海あり県が内陸県を一段下に見る風潮が存在していた。関東に存在する内陸県、埼玉、群馬、栃木は千葉、東京、神奈川、そして茨城にすら嘲笑されていた。私は驚愕した。茨城、栃木、群馬は並列の関係だと思っていたが、まさかその3県にすら序列があるとは。

我々と埼玉、群馬、栃木は海がないということで繋がった黒い兄弟たちである。そんな彼らが虐げられている様は、嫌が応にも己の置かれた立場を認識させた。この国において、内陸県とは圧倒的なマイノリティなのである。私はこの国に根深く存在する臨海至上主義に慄いた。

確かに我々にも、無意識の内に長野を我々より海から遠い県として少し下に見るきらいがあった。長野には塩尻という土地がある。かつて海で採れた塩が長い旅路の果てに最後に辿り着いたことから着いた地名と言われている。我々には、それよりは海に近いという自負があった。そしてより海に近い我々は優れているというおごりがあった。

我々の中にも悪魔は存在した。海からの距離で優劣を決める修正臨海至上主義という悪魔が。しかし、関東においては、海がないという一事をもってここまで取り扱いの別を受けるとは想像だにしなかった。

この時、私に強い公民権意識の芽生えがあれば、立ち上がって内陸県の地位向上の戦いに身を投じ、内陸県の群衆の先頭に立って「内陸に海あれ、人間に光あれ」と叫んだことであろう。しかし私にはその勇気がなく、黒い兄弟達には申し訳ないが、岐阜を出て後は、好んで海のそばに居を構えて悠々と暮らしている。

冒頭でも述べた通り、内陸に生まれたものは内陸のことよりも、海を志向してしまうのである。

#海での時間

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