見出し画像

社会人生活から根付いた自分の思い込みについて

社会人になり、もうすぐ2年間がたとうとしている。
3年目を迎えるにあたって振り返りをする機会があったのだけれど、
ざっくりとまとめるのであれば「1年目は自分を知る期間」「2年目は他人を知り、協調を試みる期間」だったように感じる。

しかし、2年目が終わろうとしている今でも「報連相への恐怖」があったり、「自分1人で何かを決め、行動する」ことがあったりと、まだまだ自分を上手く操縦できていない感覚がある。

それは「どうせ誰も自分のことを理解をしてくれない」という哀しさや「自分の意見が非難され、極端な解釈をするのであれば自分の存在を非難されるかもしれない」という恐怖があるからだ。

これらはひとえに「偏見」と呼ばれるものなのだけれど、これはどうして自分の中で起こってしまったのだろうか。

これまで自分はずっと家にいる祖父母、共働きの両親、2歳上の姉、5歳下の弟という家族構成で何不自由のない生活を送ってきた。自分がやりたい と言ったことは全てやらせてもらったり、買ってもらったり。特に母親と祖父母は褒めて育てる方針だったので自分はそれによって自己効力感並びに肯定感が高く育ったように思う。(どちらも今でも高いと感じている)

そんな自分の小学・中学時代は特に何かについて深く考えることはなく、周りがやっているように何となく勉強も部活をしていた。しかし高校時代からは話が違った。入部した空手部には教えてくれる人がおらず、今までの無思考状態では何もすることができなかった。その組織の中だけでは学び得ることが足りず、自分から外に出ていなかければ学ぶことができない環境だった。さらに、周りが寛容だったからか、自分の無茶苦茶を認めてくれる環境であり、そこで今の自分のアイデンティティーである【拡散性】【自分で決める】という要素が強化されたように感じられる。

大学時代もそうだ。周りが寛容(ある程度の無関心も存在していたかもしれないが)であり、また頼れるリーダーが他にもいた ということがあったこと。また所属していた学生寮も自分の意見や個性を出すことが一番の価値 という文化であったことも相まり、良くも悪くも自分の特質がさらに強化されていったと考えられる。

だがしかし、社会人になり、その自分の行動特質は会社やシェアハウスが想定する基準とは外れたものがあり、苦しい思いをした。

自分が良かれと思って行動したことが悉く外れる。そして非常に怒られる。これを入社して半年で何度も何度も繰り返した。正直、自分が怒られている理由が全くわからず、大変苦しかった。

特に周りのことを考えての行動が全く理解されず、むしろネガティブなものとして捉えられているような気がしていて、ここから「誰も自分のことなんてわかってくれないんだ」とある種のあきらめであり、哀しさを持つことになった。

またさらに、誰かに理解や協力を求めた先に断られることのおそれを感じていて、それによって、誰かに過度な期待をすることなく、出来るのであれば基本的には自分1人で完結をさせた方がいいのではないか?とも考えるようになった。

しかし、このままでは1人で出来る範囲しか行うことができない。
規模を出すことができなくなってしまう。そうなってしまうと自分のやりたいことから遠ざかってしまう。

自分の願いは「誰かと互いの達成したいことを理解し合い、協力して進めること」を出来るようになることだ。

そのためには、まずは自分の偏見を認知し、向き合い、崩していく必要がある。

ここにウルトラCの必殺技はなく、人としての道理(感謝、礼儀、謙虚さなど)を前提に、「やりすぎる」「さらけだす」の2つを突き詰めていくことなんだと思っている。

まずは社内とシェアハウスに対し、このふたつをどれだけ心がけることができるか。勝負の3年目を迎える前に、今試されているような気がしてならない。

本日も読んでくれてありがとう。以下では自分が読んだ本を紹介したり、今週の出来事や感情、そしてどんな時間の使い方をしたのかをシェア

ここから先は

3,386字 / 4画像
このマガジンを購入すると、小川が何を考え、どのように生きているのかを知ることができます。月500円で全部の記事が読めます。頂いたお金は水産業の勉強代として使わせていただきます。

新卒で宮城県石巻市にある創業100年の水産会社に飛び込んだ元文学徒が感じる日々の出来事や気づきを記事にしています。基本的に週に1回投稿。エ…

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?