昔の経験からくる先入観について
ついこの前、実家のある三重県へ帰省をした。
本来であれば家族をはじめとする友人への挨拶をするために年末年始に三重へ帰省するのだけれど、今年は石巻のことをより理解したいと思い、帰らずにいた。そして帰省の際は家族にだけ会えれば良いと考えていた。
だがしかし、もしタイミングが合えばくらいの気持ちでお世話になった方々へ連絡をしたところ、普段東京で働いているにも関わらず、奇跡的に実家に帰ってきている ということでお茶をしに行った。
自分は三重県に大学進学までいたのだけれど、当時は基本的に自転車や車でしか移動しなかった。というのも移動時間を限りなく短くして勉強と部活に勤しんでいたわけなのだが、せっかく三重に帰ってきたのだから景色を味わいながら移動しようということで、歩いて行くことにした。
以前までは「歩く」という行為が非効率的で馬鹿馬鹿しいものだと思っていたのだけれど、最近は自分の身体の調子を観察したり、景色を味わったりと、自分にとって欠かせない贅沢な時間になってきていることに驚きを感じながら、それ以上に驚いたのは「距離感覚」だった。
前述したように当時は自転車が車でしか移動しなかったので、頭では「非常に遠い場所」であり、歩いていくには大変である と思っていたのだけれど、そんなことは全くなかった。身体の観察したり景色を味わっていたら目的地に着いていた。
時間だと約20分ほど歩いたと思うが、子供時代の自分の感覚との違いに驚いてしまった。これは自分が退屈だと思っていた「歩く」という行為に面白さを見出し、没頭したからなのか、「歩くには遠い」という子供時代の記憶の存在が大きかったからなのか、そもそも自分の体力がついたからなのか。
多分全てが理由になり得ると思うが、とにもかくにも人間の記憶というものは全く当てにならなそうだ。
人間はどうしても昔の経験に基づいた先入観からは逃れることができず、それをもとに考え、判断してしまう。
今回で言うと、小学校低学年のころに経験した【あの場所までは遠い】という感覚が、20年経った今でも自分の判断に影響を及ぼしていた。
人間の先入観は脳みそへの負荷を減らし判断をより楽にするための装置だが、重要な意思決定時にはその装置を制御する必要がある。
だが厄介なことにこの装置の作動は自分が意識していない状態で起こる。
ではどうしたらその装置の作動に対して意識的になりうるだろうか。そのヒントは【重要事項だと判断した際のチェック項目】のような気がする。自分の先入観がどれだけ入っているかを観察するための問いをいくつか持っておき、それを自分に投げかけてみる。その中には主観ではなく客観情報についての問いも大切になってくるだろう。
人間の感覚は、過去の影響を受けており、良くも悪くも「補正」が入っている。
ではどれくらい補正が入っているのか、自分の先入観について、より観察したいと思った。
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