見出し画像

小説「Webtoon Strokes」1話

ワンルームの小さな空間で、楓はデスクの前に静かに座っている。彼女の手には最新のスタイラスペンが握られ、その先端が青白い液晶タブレットの画面に照らされている。彼女が描き出すのは、カールを巻いた髪を持つ中世の女性だ。その美しいラインは、楓の手によって液晶画面に一筆一筆と描かれていく。

楓の作品は、ウェブトゥーンとして知られるデジタル漫画の形式だ。これは、伝統的な日本の横読み漫画とは異なり、スマートフォンでの閲覧に最適化された縦読みのスタイルを採用している。これらの作品は主にフルカラーであり、アニメのような美麗な色彩を駆使することが特徴だ。このウェブトゥーンは、約10年前に韓国で生まれ、2023年の現在、日本でも話題を博している。

現在、日本のコミック市場は約6700億円規模であるが、ウェブトゥーンは世界市場で3000億円の規模を誇り、さらに2028年には3兆円にまで膨れ上がると予想されている。その利便性と、コマ割りの読みやすさから、新しい漫画表現として世界規模の展開が見込まれている。

ウェブトゥーンの製作スタイルは、日本の漫画とは一線を画している。それぞれのパートで分業されており、原作、ネーム、人物線画、背景線画、着彩、仕上げ、などに分けて一つの作品が作り上げられる。楓が担当しているのは、作品の中心部分を占める人物線画だ。その内容は、女性向けの異世界ロマンスファンタジーというもので、異世界に転生した女性ヒロインが、次々と出て来る見目麗しい男性キャラと恋に落ちていく物語。

しかし、彼女にはその内容が面白いと感じることが出来ないでいた。彼女が好きで描き続けてきたのは、少年向けのバトル漫画の二次創作同人誌だった。SNSに同人誌販売用の宣伝イラストを投稿したところ、フォロワーが急増し、やがて10万人を超えるまでになった。自分の描いた絵が見知らぬユーザーから指示されていく様子に楓は興奮と手応えを感じた。

その人気に目をつけたウェブトゥーン制作スタジオの編集者から、ある日突然、連絡が来た。「弊社でウェブトゥーンの女性向け作品のキャラ線画担当を探しています。執筆依頼出来ますでしょうか?」

え?
ウェブトゥーン?

彼女はその連絡が来るまで、ウェブトゥーンの存在は知っていたが、作品を真剣に読んだことがなかった。楓が愛読しているのは日本の横読み少年漫画であり、描き続けてきたものもそれに紐付く同人誌だった。子供の頃から漫画家に憧れていたが、横読み漫画しか描いたことがない楓にとって、この依頼は突然過ぎる出来事だった。

楓は、一年前に大手の少年漫画雑誌が主催する新人賞で佳作を受賞した経験があった。入社から2年目の新人編集者が担当になり、雑紙掲載に向けて新作の物語を創り出し、ネームを度々提出していた。しかし、編集者の反響は、常に期待に遠いものだった。

「描線は魅力的だね、しかし、肝心のキャラクターが立っていない。主人公には欠点がない。もう少し練って考えてみて。」

キャラクターが立っていないとは何か。楓にとっては、それは理解し難い感覚であり、自分のネームがボツになるたびに耳にする魔術的なフレーズだった。

楓がこれ迄主に描いてきたのは二次創作の同人誌だった。二次創作とは、元々の人気漫画のキャラクターを借り、それをユーモラスに再構築するパロディ作品を生み出すことだ。しかし、作家として現在出版社から求められているのは、パロディの源となる一次作品。パロディとは異なる、作品とキャラクターの個別性と強さが求められる。言い換えれば、何もない白紙から自分が何を描き出したいのかという問いに答えること。それはただ単に自分が楽しむだけではない、自身の内なる作者としての本質と向き合う作業であった。

「私が描きたいものは、一体何なのだろう。」

楓は埼玉県の川越市で生まれ育った。父は小規模なデザイン会社に勤め、母はパートとして共働きで家計を支えていた。3人家族で裕福ではなかったが、生活に不自由はなかった。漫画家に憧れながらも、教育学部の大学生として、美術の教員を志し、地味に生きてきたつもりだった。適度な努力と適度な挫折を経て、今年20歳を迎える。

大きな起伏の無い人生送ってきた自分が一体社会に向けて、漫画というメディアを通じて、自身の意志を示すためにはどうすればいいのか?大切な何かを投げ出し、他人を押しのけて迄、自分が多くの人に伝えたいと思うことがあるのだろうか?自分は単なる漫画愛好家で、他人の作品を模倣し、その断片をつなぎ合わせているだけではないのか。出版社に作品を提出する度に、楓は心身ともに打ちのめされ、一人暮らしのアパートに帰り着いた。

そんな精神的な挫折の最中に、ウェブトゥーンの描き手としての依頼がメッセージとして舞い込んできた。

作家としての障壁に突き当たり、停滞していた楓にとって、それはある種の福音のように感じられた。

彼女はこの機会を掴む決心をした。

(続く)予定。