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2024年オスカーナイト・ウォッチング!

 現地時間3月10日に挙行されたアカデミー賞授賞式は、『オッペンハイマー』が主要部門の多くを獲得(13部門でノミネートされ7部門で受賞)。『哀れなるものたち』(11部門でノミネートされ4部門で受賞)がその落ち穂拾いをしていったという図式に。
 日本勢は『君たちはどう生きるか』が長編アニメ賞、『ゴジラ-1.0』が視覚効果賞をそれぞれ受賞する快挙となった。おめでとうございます。ただ、残念なことに前者の関係者は誰も式典に出席しておらず、後者の山崎貴監督は英語のスピーチ原稿を用意しておきながら、何度もつかえてメタメタになってしまった。日本国や日本人、日本文化に対する好意と敬意を向上させるまたとない機会なのに、なんともったいないことか。

<概ね下馬評どおりだった俳優部門>
 今回は俳優4部門のプレゼンティング方式に新機軸が採用された。各部門ともに過去のオスカー受賞者が5人ずつ登壇し、今年のノミニー5人をそれぞれ紹介+応援演説めいたことをする形式(ゆえに恒例の男女のたすき掛け方式は採られず)。
 これに似た形式は、たしか2010年(2009年度)にも採用された記憶があるが、あの年の「応援演説者」はオスカー受賞者じゃなかったはずだ。もはやかなりうろ覚えだけど、『17歳の肖像』で主演女優賞候補になったキャリー・マリガンを、同作で共演したピーター・サースガードが紹介したんじゃなかったかな。個人的に、同作もマリガンもお気に入りだったので、そこだけは辛うじて覚えている。

 かくして助演女優賞を受賞したのは、『ホールドオーバーズ/置いてけぼりのホリディ』のダヴァイン・ジョイ・ランドルフ。俳優4部門では唯一、黒人の受賞者となった。すでに37歳ながら、これまでそれほど大きな役柄を演じていない女優さんなので、「ずっと何か違うものになりたかったけど、ある時、自分らしくしていればいいのだと気づいた」と、まるで新人女優のように初々しい、涙ながらのスピーチに。

 対照的に助演男優賞のロバート・ダウニー・ジュニア(『オッペンハイマー』)は、もはや助演では役不足というくらいのキャリアの持ち主だから、スピーチも余裕綽々。薬物依存などでどん底だった時期のことも衆人に知られているだけに、「保釈させてくれた」弁護士に感謝を捧げるおふざけも。
 似たようなキャリアからの復活で感動のスピーチをする役者さんも時折いるわけだが、ダウニー・ジュニアはこういう奴なのだからしょうがない。彼もまた「自分らしく」することしかできないのですね。

 主演男優賞は同じく『オッペンハイマー』のキリアン・マーフィーがゲット。出演作自体の勢いに加えて、他作品に強力な対抗馬がいなかった幸運にも恵まれたか。
 スピーチでは「この映画は原爆を作った人物の話。我々は今も彼の世界に生きている。平和を築く人々にこの賞を捧げます」と発言。被爆国・日本の国民からするともう一声ほしかったようにも思うが、作品自体とそのスタンスをまだ見ていないので、これ以上のコメントは付けにくい。

 主演女優賞の最右翼は『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』のリリー・グラッドストーンで、受賞すれば先住民女優としての希少な快挙になるところだったが、蓋を開ければ『哀れなるものたち』のエマ・ストーンが3度目のノミネートにして2度目の受賞をさらった。ちなみに他の3俳優はいずれも初の受賞で、ダウニー・ジュニア以外は候補になるのも初めてだった。
 ストーン自身も落選を予期していたのか、壇上ではかなり興奮気味。ドレスの背中のジッパーが壊れたことを暴露しつつ、「私、よくこうしてパニックになるの。それでヨルゴス(ランティモス監督)には客観的になれと言われた。確かに自分のことだけ見ていてもダメね。チームの一員として良いものを目指すのが、映画作りの醍醐味よ」と挨拶。劇中であれだけ品のない脱がされ方をしても、監督には恨みはないようですね。

<幕間のお楽しみ>
 脱がされたと言えば、幕間の「にぎやかし」コーナーで面白かったのは、過去の授賞式をまねてストリーキングをする予定だったジョン・シナが、直前にブルったという設定。
 昨年に続いて司会を務めたジミー・キンメルが、やむなく(という設定で)受賞者発表用の封筒を渡してやると、シナはそれを使ってマッチョな体の局部だけ隠し、カニ歩きでマイクの前へ行く。
 そこで「Costume・・・is important(衣装は大切だ)」と切り出すのだから大笑い。来場者もテレビ視聴者も、そこで初めてシナが衣装賞のプレゼンターだったことに気づくわけですね。

 同様に可笑しかったのは、エミリー・ブラントとライアン・ゴズリングが険悪な雰囲気で絡んだ場面。それぞれ『オッペンハイマー』と『バービー』で助演賞候補になっていた2人なので、「ライバル関係が高じて仲が悪い」という設定になっていた模様だ。
 どちらかというと攻勢に出ていたのはブラントの方で、(ゴズリングが『バービー』で見せていた)「あの腹筋は特殊メイクじゃないの?」とツッコんだり、(前哨戦の結果を見る限り)「もうライバルじゃなさそうね」と見下したり。
 この寸劇は授賞式の前半に披露されたものだったが、幕切れまで見てみれば、なるほど『バービー』の旗色が悪くなるのも納得なのだった。

<政治色は濃かったのか薄かったのか>
 実際、オスカーナイトの最終盤を飾る監督賞と作品賞は、いずれも下馬評どおりに『オッペンハイマー』が獲得。俳優4部門のうち3人が初受賞だったことはすでに述べたが、監督賞のクリストファー・ノーランもまた、8度目のノミネートにして初めてのオスカー像を手に入れた。
 ただ、念願だったと思われるのに、壇上のノーランは至って冷静。各方面にそつなく感謝の言葉を述べると、「映画界の意義ある一員だと認められたのは、私にとってとても大きなことです」と、優等生的な一言で締めくくった。
 原爆の開発者という相当物議を醸すであろう題材でオスカーを射止めながら、その受賞作の内容に対する思い入れや主張は特にないように見えるんだよね。作る映画には毎度こだわりがいっぱいだけど、ノーラン本人は意外に退屈な人物なのかもしれない。
 その点は作品賞の受賞スピーチをしたノーランの妻で、同作プロデューサーのエマ・トーマスもまた同様。やはり各方面に型どおりの感謝を述べただけで、オッペンハイマー博士や原爆について言及することは一切なかった(もう1人のプロデューサーも短い挨拶をしたが、ノーランは製作陣の一角に名を連ねていながら、もはやマイクの前にさえ立たず)。

 同作の作品賞受賞を受けて、「政治色の濃い授賞式だった」と記すメディアも見受けられたが、私の印象はその逆で、「むしろ政治色が薄かった」と感じられる。
 ウクライナとパレスチナで戦火が収まらない現状にありながら、主要部門の受賞スピーチで政治的な発言の範疇に入るのは、前述のキリアン・マーフィーのそれが辛うじて挙げられる程度。
 それ以外では
(1)『実録マリウポリの20日間』というまさにウクライナ戦争を題材とする作品で長編ドキュメンタリー賞を取った受賞者が、「本当はこのような映画は作りたくなかった。ロシアの侵略をなかったことにしたい。私に歴史は変えられないが、映画は記憶となり、記憶は歴史を作る」と、訴えたのが印象的だった。
(2)『関心領域』で国際長編賞を獲得した受賞者は、イスラエルとパレスチナ双方の犠牲を憂慮する言葉を述べたものの、それほど強い言葉ではなかったようだ。
 司会のジミー・キンメルは終盤にドナルド・トランプを揶揄するジョークを飛ばしていたが、ハリウッドではユダヤ資本の存在感が大きいだけに、ことイスラエルが絡む問題となると、誰もが腰が引けちゃうのかもしれないな。

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