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「ピッチサイドの男」は、笑えるサッカー史観の教科書(だけじゃない)

 たまたま表紙とタイトルを見かけて、「サッカー本なら読んでみますか」と手に取っただけの一冊だったが、まことにもって期待以上。サッカー本としてのみならず、政治や社会の風刺本としても軽視できない佳作だった。
 体裁は東ドイツで長年サッカーチームの監督を務めてきた語り手のモノローグ。私のようなサッカー好きの読者なら、イングランドにおけるサッカーの誕生から、プレースタイルの歴史的変遷、W杯や欧州選手権などの主要大会で起こった数々の椿事、往年の名選手の活躍と失態などが、とうとうと語り倒されるスタイルに惹かれることだろう。
 もちろん、そうした事実自体はファンならほぼほぼ知っていることだが、相当量の毒を含んだ視点から語り直されているので、予備知識の厚い読者の方が、むしろ一層楽しめる。さながら「笑えるサッカー史観」の趣だ。

 語り手の回想は、少年チームの選手の指導法から、西ドイツのサッカー界への反発心とライバル意識、東西ドイツの統一で旧東独国民が味わった悲哀へと、一見脈絡もなく広がっていく。
 そんな中で、本書の隠れた主題として次第次第に立ち現れてくるのは、語り手の教え子だった国境警備兵を襲う苛酷な運命だ。命令に従っただけの者が、体制の変革によって一方的に罪人にされてしまう矛盾。東独出身の著者は、それを笑いにまぶしつつ、しかし真摯に告発する。

 しかしまあ、私が本書の記述で一番うまいなあと思ったのは、語り手が失業時の心境を語る場面でしたね。少し引用してみましょう。

「(失業すると)空気の抜けたボールみたいになっちまうんです。(中略)そんなボールでは、だれもプレーしません。せいぜい踏みつけるだけです。(中略)ヒマができたらやろう、と思っていることってあるでしょう、そんなの全然できない。立ち上がることさえできなくなるんです。生活にリズムがなくなる、モチベーションもなくなる。かつてはなんかのついでにやっていたことが、生活の中心になるんです。郵便受けを見にいく、ミルクを買いに行く、爪を切る」

 私も個人営業なので、仕事の量には波がある。一定期間、受注が途絶えることもないではない。そんなときは、たしかに上記の引用みたいな気分になりますよね。たとえば大好きなサッカーを見ていても、「忙中閑」のときほどは楽しくないわけだ。
 そしてこれは失業者だけではなく、ほとんどすべての定年退職者に共通する心境なのではあるまいかなあ。退職して数カ月ならいざ知らず、5年も10年も趣味の活動で満足していますなんて人、いるのかしら? やはり生産活動や社会活動に従事してこその人間ではないのか。
 余生なんて文字どおり「余り物」なのだから、そんなに長くなくていいのよ、ほんと。

「ピッチサイドの男」
トーマス・ブルスィヒ【著】
粂川麻里生【訳】
(三修社)

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