リスクは必ず現実のものとなる、世界は崩壊に向かっていると言っておけば、いつかは必ずそうなる
昔ケインズが「長期的には人は必ず死ぬ」といったのが有名ですけど、少子高齢化であれ原発事故であれ台湾海峡問題であれ「これはリスクだ」と言うのは簡単だけど、それがどういうメカニズムで起きているのか、そういうリスクが具現化したときにどうダメージをコントロールできるようにするのかを考えるのが政策の役割であります。「リスクがあるぞ、いつか大変なことになるぞ」と言っておけば、実際にそうなったときに「ほら、そうなっただろ」と偉そうにできるのですが、それは無責任な占い師や評論家の話であって、情報や政策に携わる人は特に「なぜそのリスクにコストをかけて対処しなければならないか」という短冊を常に引き出しにしまっておかないといけません。いつでも取り出して「こういうことです」と言えるように。
で、その政策を考えるときに「俺はこう思う」という話をするのは「それはあなたの感想ですよね」と言われてしまうわけですから、政策を決める際には必ず根拠となりそうなものを添えたほうがいいよねということでEBPMの観点からなるだけ客観的なデータから方針を導き出しましょう、という話になります。もちろん、財政審での議論もそうですが「データは導き出した人の都合がいいように嘘をつく」面もありますので、相手に嘘んこを突き付けられたときにちゃんと「それは嘘ですよね」と言えるようにしておかなければならない、というのもあります。
ところが、政策というのはデータ面での裏付けがあればそれで勝手にやっちゃっていいのかという話になるんですけれども、それは概ねにおいて「限られた予算や人員、時間で、リスク対処しなければならない」ため、結果としてトリアージが必要になります。つまり、洪水になる(リスクの可能性)際に、ひとつのボート(限られたリソース)に誰を乗せるのか(助ける人の優先順位を決める)のが政治であって、これはエビデンスが提示できるものばかりではなく、裏側に政治思想・哲学のようなものがないとそもそも決められないのです。政治が大事なのは、政策を決定するときに「誰を救わないか」を決める作業も含まれるため、国民から選ばられた人がきちんと政策の方針の決定にコミットするのが大事なんだということに他なりません。
最近、この手の話がトップの機能不全や当事者能力の喪失で宙ぶらりんになり、偉い人がかなり気軽に「お前、対策考えろ」と凄い勢いで丸投げしてくるケースが増えてきました。これは偉い人が無能だとかやる気がないとかパー券問題で心ここにあらずだからだとかいう話ではなく、政策への解像度が高い人でないとそもそもリソースの確認とトリアージを行うための議論に堪えないということの裏返しです。丸投げされる側も「まあこんなもんでええか」と気軽に返せるものばかりではなく、無い知恵、無い時間なりに苦労はしているんだと知っていてほしいなあと強く思います。
画像はAIが考えた『10個しかないりんごを100人に配る方法を考えているうちに、手元にあった10個のりんごが腐ってしまい、誰も幸せにならなかった図』です。
神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント