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「自由民主党ほか既存政党だって、NHK党立花孝志と似たようなことをやってきたんだから」と申し上げて叱責された話

 まあお気持ちは分かるけど事実なのでそう述べたまでだったんですが、いたくお気に召さなかったらしく大変にお怒りを喰らいましたので思うところを簡単に述べてみます。

著名な候補を立てる意味とは何か

 俗に申します「タレント候補」とは、政治とは無関係な世界で業績を上げたり芸能活動で売れたりして国民の多くがその名前を知っている人物を連れてきて、担いで当選せしめる手法のことを言います。

 これも言うと怒られるかもしれませんが、著名なジャーナリストもある種のタレント候補に入ると思っているのは、政治も含めた社会・時事の取材をどんなに重ねた人であっても、特定方面の社会事情の知識は持ち得るにせよ政治家となり行政のトップとして国政なり都道府県なり自治体なりの官僚・公務員組織を切り盛りした経験がある人はそう多くないのです。

 その意味では、生稲晃子さんだろうが鳥越俊太郎さんだろうが、その知名度を掲げて出馬に漕ぎ着けるのはある種の選挙制度のハックであって、これを否定することはむつかしいと思います。

 そして、おおよその公職選挙というものは、政治に対する期待感、投票する意味を見出す「物語性(ナラティブ)」と、その候補者に対する好感度も含めた「知名度」とのふたつを専らの変数とする仕組みになっていて、選挙広報もどぶ板選挙も電話掛け、街頭演説その他すべてがこの変数を引き上げて選挙期間中に「浸透する」ことで得票を積み上げることを目標としています。

 したがって、社会的に、マスコミ的に「著名である」ことが武器になるのはもちろんのこと、一方で乙武洋匡さんのように「著名だけどナラティブに欠ける」「著名だけど好感度が低い」候補者は、どんなに有名であり実績があっても残念ながら選挙戦では支持が広がらず苦戦してしまうことになります。選挙(調査)界隈では、俗に「手垢」と言いますが、この辺は割愛。

インターネット時代の知名度は瞬間風速的

 他方でインターネットで知名度を持っているわけではない候補者を横に並べて得票を稼ぐ戦術が開拓されてきました。もっぱら「面白い人」が「変なことをする候補者」として泡沫候補、あるいはインディー政党として立ち上がってきたこと自体は昔からあって、それはそれで面白かったのですが、それが動画サイトを含むSNSの興隆によって一大市場となりました。

 この金城湯池を組織的に蚕食せしめたのがNHK党の立花孝志さんや、れいわ新選組の山本太郎さんほか極端な政治主張を含む一部の陰謀論やガセネタを中心に躍進しようとする勢力だったのですが、信頼のありそうな政党の皮をかぶってしっかりと組織的に国民からの声望を集める国民民主党のような手法が成功にいたるまでは割と長い時間がかかりました。国民民主党も政策本位を掲げて都合3年以上ずっと政党支持率1%台から高くても2%後半と低迷を続けてきていて、これがネットを良く使う若者・勤労世代とハマることによって飛躍的な支持率を獲得するようになってきたのは特徴的です。

 一方、既存マスコミでも話題になりつつありますが、かなり本格的に「テレビを観ないし、新聞も雑誌も目を通さず、ネットニュースや動画サイトからしか社会・時事的な情報を摂取しない層」が出てきました。これはまあ当たり前なんですが、メディアシフトがこれらのインディー政党に有利になったのは、今回の兵庫県知事選もそうですが「ネットでしか候補者を調べない」有権者にとって「対抗の稲村和美さんに関する情報が動画サイトにほとんど出てこないため、斎藤元彦さんと立花孝志さんしか候補者はいないも同然」という状況になった点です。この拡散には、プラットフォーム事業者とこれらのインディー政党が、斎藤元彦さんの知事時代のスキャンダルをネタに爆発的なアクセスを稼ぐと同時に、拡散するその他大勢のインフルエンサーにとっては広告収入が上がるという「現行法では違法ではないが、公職選挙法の趣旨に抵触する」事態になったのです。

古来からある「ちんどん屋」は陳腐だが効果的

 私もまだこの仕事をやる前に母親が石原軍団を率いた石原慎太郎さんや石原伸晃さんを熱心に応援していたのを思い出しますが、候補者本人の能力や資質もさることながら、そういう人の目につき知名度と好感度を引き上げ自らを当選せしめようとする手法は昔からありました。

 で、それも私たちの日本社会を支える民主主義なのだと割り切れる程度感が問題になってきます。識者の側が「こんなものは正しい選挙ではない」といきり立ったところで、現実に多くの若者や勤労層が既存政党を忌避し、既得権をぶっこわーすことに閉塞感打破の期待を寄せていることに、もっと目を向けなければなりません。

 単純な話、既存政治やマスコミに従事して、おそらく9割の関係者が誠実に目の前の問題に向き合ってきたのだとしても、日々の活動が有権者に伝わらず、むしろマスコミや既存政党に対する不信感を募らせてきたこと自体が、ネットを利用しガセネタも何でもありで指示を広げようとするインディー政党の躍進をアシストしてきた面もあります。

 そして、そもそも政治資金規正法も公職選挙法もそういう不信と不公平な政治環境をクリーンなものにするために、貧しい人でも公平に選挙に出馬したりどんな主張でも基本的には許されたりするルール作りが行われてきました。それは、とりもなおさず1950年代は有権者にばら撒く紙が貴重だった時代に、カネさえあれば大量のビラを配れる候補者が有利になり過ぎるので、公職選挙のルールとしてビラの大きさや送料が規制され、印紙が貼られることになり、カネがある候補がカネを使って選挙をやって自らを有利せしめることに歯止めをかけることが公平だとされたわけです。

 そういう金権政治もなんでもありだった時代に有利を得て55年体制以降長らく日本の国政をかじ取りしてきた自由民主党こそ、選挙制度のハックに長けた組織だったと言えます。

 時代が下って、インターネット時代になり、新しい政治手法としてネット利用が盛んになる状況になると、むしろこれらのネット利用がうまくできない高齢の自民党政治家が一気に不利になっていきます。これは、NHK党のせいでもプラットフォーム事業者のせいでもありません。新しいネット時代の政治に、既存政党が対応できず、有権者に対して「私たちに政治を任せていただければ、こういう良い社会になっていくんですよ」というナラティブを構成して説得することができなくなっている、ということなのです。

おわりに

 そのような状況で自己を客観視し自省することなく「今回の兵庫県知事選は何だ」とか「あのようなガセネタで有権者をたぶらかす政治手法はずるい」などと批判しても始まりません。

 「対抗していっぱいガセネタを流そう」と提案しているのではなく、有権者の期待を集められる動機をどう構築するかと、投票箱に足を向ける有権者の無視できない数が既存マスコミからの情報を得ることなくネットで完結している現状にどう対応するかとが焦点になります。候補者本人がガラケーを使っているのはお好みですが、日々通勤や隙間時間、寝る前にネットを見ている人たちにとって、そういう候補はネットから見えないからいないも同然であって、投票する動機を与えることがないということでもあるのです。

 シルバーデモクラシーとか年寄りに迎合するなとかいろんな意見もあるかと思いますが、それ以前の、ネットシフトの土壌にちゃんとすべての候補者を載せ、政党政治のありようをきちんとモデルチェンジし、かつて自民党がそうであったように社会風土に合わせてしっかりと選挙制度を積極的にハックして勢力を維持しましょう、というのが私の主張です。

 そんな話を次回の『JILISコロキウム』で選挙参謀の松田馨さんをお呼びし、ネット時代の法制度とこれからの公職選挙について語りたいと思っておりまして、12月10日になるんじゃないかと思いますがご関心のある方は是非。

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山本一郎(やまもといちろう)
神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント