【書評】ブランド人養成自己啓発本『自分を探すな 世界を見よう 父が息子に伝えたい骨太な人生の歩き方』(田端信太郎・著)
田端信太郎さんと言えば、他の本でもそうであるように基本的には親切なマッチョで、いろんな意味でパイオニアである人物でもあります。私のように謙虚な凡人からすると「ほぇー、すげえことやっとるな」と思ったりもするのですが、本書では余すところなく田端信太郎的何かを伝えるためひたすら自分語りをしています。
影響を受けている私も、この本の元となっているTABATOURを見て、感化されて子どもたちを連れ長期の海外旅行に足を向けたりしています。今年の夏も(選挙が無ければ)どこかに行きたいねって話をしておるわけですよ。
で、たぶん、田端さんの一連の著書やブログなどでの発信が無ければ、また、お子さんを連れての壮大な旅路のエッセイを読まなければ、家族で長期で海外にという考えも持たなかったのではないかと思います。
田端信太郎さんがところどころ自己啓発的なエッセンスを取り入れ、私もよくやっている自分への宣言や、自分の考えている目標とそれを達成する手段を紙への書き下ろすメソッドで「自分はいまどこにいるか」を再確認する手法は、田端さんの心情や考え方に賛同しない人であったとしても役に立つアプローチだろうと感じます。もちろん、プリントアウトしてトイレに貼る必要があるかどうかは意見が分かれますが、田端さんも書いている通り、自分の考えを紙に下ろせない程度の解像度では、あなたのやろうとしていることを実現することなどむつかしいのも自明です。
さらに、本書の大きなテーマのひとつである自分探しに関する話題では、本来の意味でのリバータリアン的な物言いが並んでいます。いわば、なりたい自分がどういうものか明確にならない限りは、自分をいくら探したところで見つかるはずがない。それよりは、より大きな世界の中の自分を相対化させて、生きる意味や遺す価値について考えましょうという話ですから、ある意味で「田端哲学」に近い境地を垣間見られます。
そして、その「田端哲学」は圧倒的に迷惑であって、鼻つまみ者が実践をすると犯罪者になります。それも判決文を読み上げる裁判官から身勝手な犯行と言われる類の。田端信太郎さんは炎上について気にしない、むしろ楽しんでいるという発言が出てきておるのですが、不穏当な発言をして炎上をすることというよりは、徹底的な個人主義、自己責任論であるがゆえに、相容れられない人からは常に批判の対象となるよう運命づけられているとさえ思います。
田端信太郎さんの魅力とは、組織の中にいて我慢するぐらいならばそんな環境はやめちまえとぶん投げておきながら、本書の中で、でも俺はライブドアが大変なときでも4年間逃げずに男を貫きましたとしゃあしゃあと書けてしまうとんでもない大矛盾も、そのときそのときの人生の在り方を考えた結果、正直に自分の身を処したということで包摂してしまう点です。本格的に、組織の事情とか他人の立場とか全体の利益とかお構いなしに、解き放たれた猛獣が世間でうろうろしている状態ですから痛快です。
本書では、TABATOURでもそうであったように田端さんがご自身のご子息に父親として考えを伝える、という体裁になっています。さらさら読むと、完全にウザい父親像しか思い浮かびませんが、何度か通読すると言わんとすることは”社会における完全なる自律とは何か”であって、他の人の考えに惑わされず、自分が生きていく道筋を弁えた上で己が考えた方針を自信もって行動に移せという意味になります。
田端信太郎さんからすれば、たかがそれだけのことを何故ほかの人たちはできずに自分探しをしてしまうのか、という話になりますが、それができないからこそ人は悩み苦しみもがきながら人生を送ることになるわけだし、承認欲求と自らの現状との落差に辛い気持ちを持つからこそ、自己客観視することを怖れ、ましてや紙に書いて自分の宣言とするなんてことも億劫になるのが人間というものです。平然とそれをやれという田端さんに人の心がない一方、世間にはその程度の人たちばかりが生きているからこそ田端信太郎はネット社会で輝き余計なことを言って炎上し、しかし社会的にも経済的にもまあまあ以上に成功して元気に世に憚っているのですから最高です。
批判的精神もしっかり持ちながら、薬だと思って読むタイプの本として、主に人生に悩んでいる皆さんにお薦めしますが、ただ、この本は読んで楽しかったねで終わるべきタイプの本ではなく、田端がそう言ってるんだから俺もちょっと考えをまとめて紙に書いてみようかとか、確かにやりたいことが人生で明確じゃないな、ちょっとは何になりたいかについて考えようと一歩を踏み出すことが期待される本です。
忖度なくいろんなことを言うことが田端信太郎さんの持ち味である一方、本書で紹介されている堀江貴文さんやZOZO前澤勇作さんのネタは美化されすぎていてどっちに気を使ってんねんという田端さんのしっぽを振るドッグ的論調も注目しましょう。
余談ですが、私とすれば田端さんの本に会うまでは、10年ぐらい前からカナダや極東ロシアへの子どもを連れての移住を考えたことがありました。親父から受け継いでいた産業廃棄物事業や資源ビジネスが軌道に乗り、こっちで生きていくか本気で悩んでいたからです。
https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson66/
しかし、そこに立ちはだかったのが親父お袋の体調不良と介護の発生で、 年老いた両親を実家で二人暮らしで転がしておきながらキーマンであり実質的に金銭面でも肩代わりしている私が放り投げて長期海外滞在というのは厳しいと考えたからです。そのままセミリタイヤ的になって、常勤の仕事なども全部やめて、必要なときに必要な仕事をする働き方にシフトして家族の時間を増やしました。
その後、田端さんの本のあとがきでもあるように、家族の時間で人生と向き合うことが増えたわけですが、90歳になった当時の親父が、ぽつりと「一郎は俺のことなんて考えずに、仕事に集中すると思ってたんだがなあ」とか言うわけですよ。
いよいよ親父お袋だけでは暮らせなくなり、面倒を見てもらえる施設を探すために、普段は偉そうに社会保障だ財政問題だと政策論を語る連載をさせていただいている「みんなの介護」を熟読し、入れる施設を探してリストを作ったりして、結局は生きるのも死ぬのもひとり、と言いつつ親と子の情の中で何かできるなら可能な限りしてやりたいという気持ちを持つのも人間なのだというところに思い至ります。
カネがあってまあまあ健康でも、これが自分の生き様であると割り切るのもむつかしいし、50歳でこれなんだから自分探ししてもなかなか大変だぞ、と実感をしてしまう一冊でした。
神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント